ダムの影響と土砂掃流
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 05:06 UTC 版)
ところが昭和43年(1968年)に下久保ダムが完成すると渓谷の様子は激変した。飲料水の確保や灌漑用水の確保のほか、発電も行う下久保ダムでは、川を堰き止めて貯めた水で発電した後、放流水を地下トンネルに排水する。このトンネルは三波石峡の下流側で神流川に注ぐため、三波石峡には全く水が流れないようになってしまった。 これはダムの下流の神流川にさまざまな環境の変化をもたらした。とりわけ三波石峡はその影響が大きかった。まず、水が流れなくなった渓谷にはコケやツル、雑草などの植物が生い茂って川床が見えなくなった。さらにこうした植生が峡谷の底を流れる川床まで広がったことで、まるで「山が迫って」谷が狭くなったような印象をもたらした。そのうえ、美しさを誇った峡谷の名石は、藻や苔が生えたり、土埃や「ノロ」と呼ばれるシルトの付着によって汚れ、黒ずんでしまった。ほとんど水が失われたことで、わずかに残った水場でも、かつては生えていなかった藻が繁茂して淵が澱んだりした。こうして様々な「景観障害」が引き起こされた。 また、ダムによって水の流れが堰き止められたことで、上流からやってくる小石や砂といった土砂の供給も停まってしまった。このことが三波石峡の地形や景観を変えることになった。巨岩・大岩が散在し、ところどころに淵や瀬がある峡谷では、上流から流れてきた砂利や砂礫が、岩の陰や淵の周囲、あるいは川底に砂堆となって集まっていく。これらの砂礫は、絶えない川の流水によって下流へと運び去られるが、同時に上流から継続的に砂礫が供給されるので、河原や川床は維持される。ところがダムによりこうした砂礫の供給が遮断されると、大雨や洪水などの出水で砂礫が下流へ流れ去ったあと、河原や川床が回復しない。このため三波石峡では、かつては河原を散策しながら渓谷を鑑賞できたのに、その河原が消失してしまった。また、川床は従前よりも深くなった。その規模は、三波石峡谷内では場所によって2メートル、三波石峡よりも下流の神流川ではところによって5メートルにも達した。これは三波石峡谷の景観を変えただけでなく、神流川の生態系にも重大な変化をもたらし、漁業関係者にも影響を及ぼした。 こうして荒廃した三波石峡を昔の姿に戻すため、地元では様々な取り組みが行われた。ダム建設から30年余りを経て、流域住民の生活や財産を保全するためダムの洪水調節機能は絶対不可欠であるという意見がある一方で、洪水は「河川の健全な撹乱機会」であるとする見解も認められるようになった。また、想定以上の規模で進行するダム内の土砂の堆積への対応も迫られるようになった。 平成13年(2001年)から「水環境改善事業」として、峡谷に32年ぶりに水を流すことになった。ところが思ったほどには三波石峡の環境は改善しなかった。そこでダムに堆積する土砂対策も兼ねて、放水にあわせて土砂を流すことが検討された。ただし、三波石峡の景観を復活させるために川に土砂を流すことは、さらに下流で利水を行う様々な事業者にも影響を及ぼすことになり、利害の対立も生じる。たとえば農業関係者にとっては、取水堰に貯まる土砂対策のメンテナンス費用がかさむことになる。そこで、ダムの事業者、三波石峡の景観復活運動を行う団体や、農業・漁業関係者、さらには発電事業者や川でカヌーによる商売を営む事業者まで様々な利害関係者が一同に会して、下久保ダムの土砂対策から三波石峡の景観障害対策、漁業・農業振興策を一体的に議論を行った。こうして平成15年(2003年)から土砂掃流(土石掃流)が始まった。これは川の流れにのった小石や砂のクレンジング効果によって峡谷の岩石が磨かれ、美しい緑色の岩肌を復活させる取り組みである。また同時に、深くなってしまった川床を回復する効果も期待された。これにより三波石峡は往年の姿を取り戻しつつある。
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