竣工時期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 05:51 UTC 版)
一番艦大和の竣工が開戦8日後であることから「海軍は大和の完成を待って開戦を決意した」とも言われるが、これは適切な理解ではない(翔鶴型航空母艦の竣工時期は開戦判断に影響を与えている)。当時の12月8日(日本時間)は月齢19日で真珠湾攻撃に最適であったこと、その日は日曜日で艦隊が停泊している可能性が最も高かったから選ばれたのであり、むしろ大和の竣工が開戦に合わせて繰り上げられたのが真相である。武蔵においても、竣工が大幅に繰り上げられ、過酷な労働で、体調を崩したり、事故で死亡した工員も多いとされる。ただし、大和型戦艦、翔鶴型航空母艦を含む第三次海軍軍備充実計画の艦艇は1941年度末までにほぼ完工に近い工程あるいは就役の状態であり、年単位での軍拡状況という観点から見れば、短期決戦を捨て切っていなかった海軍にとってはひとつの節目の時期には当たっていたと言える。
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