12次車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 13:33 UTC 版)
「京急1000形電車 (2代)」の記事における「12次車」の解説
2012年(平成24年)度には8両編成1本、6両編成2本の20両が竣工した。全車LED車内照明を採用した。1153編成は総合車両製作所が発足後最初に鉄道事業者に引き渡された車両で、同社を出場した2012年4月6日に出場記念のテープカットが行われている。 8両編成 ← 浦賀 竣工時期形式・車種デハ1000形(M2uc) デハ1000形(M1u) サハ1000形(Tu) デハ1000形(M1u) デハ1000形(M2s) サハ1000形(Ts) デハ1000形(M1s) デハ1000形(M2sc) 車両番号1153 1154 1155 1156 1157 1158 1159 1160 2012年4月 6両編成 ← 浦賀 竣工時期形式・車種デハ1000形(M2uc) デハ1000形(M1u) サハ1000形(Tu) サハ1000形(Ts) デハ1000形(M1s) デハ1000形(M2sc) 車両番号1319 1320 1321 1322 1323 1324 2012年4月 1325 1326 1327 1328 1329 1330
※この「12次車」の解説は、「京急1000形電車 (2代)」の解説の一部です。
「12次車」を含む「京急1000形電車 (2代)」の記事については、「京急1000形電車 (2代)」の概要を参照ください。
12次車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 07:44 UTC 版)
2003年度製造の第37 - 39編成が該当する。この3編成が、帝都高速度交通営団として最後の新製車両となる。 帝都高速度交通営団の民営化直前である2003年12月から2004年1月にかけて投入されたため、当時3 - 4ヵ月後に迫っていた東京メトロ移行を考慮し、前面と側面側窓上部のSマークはステッカーとなっていた。営団地下鉄を証明するSマークで見られた時期が大変短く、貴重な写真とされている。 蓄電池の台数を見直し、編成で3台から2台へ集約した。
※この「12次車」の解説は、「営団05系電車」の解説の一部です。
「12次車」を含む「営団05系電車」の記事については、「営団05系電車」の概要を参照ください。
1・2次車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 11:18 UTC 版)
「JR西日本221系電車」の記事における「1・2次車」の解説
網干電車区(現在の網干総合車両所本所)には、1989年2月から3月にかけて1次車として6両編成5本(M1 - M5)と4両編成6本(E1 - E6)の54両、7月には2次車として6両編成7本(M6 - M12)と4両編成1本(E7)の46両、計100両が配置された。編成記号は、6両編成がM、4両編成がEとされた。4両編成は、2編成連結の上で快速運用として同年3月6日から、6両編成は新快速用として4月1日から運用を開始した。 奈良電車区(現在の吹田総合車両所奈良支所)には、1989年2月から7月にかけて、1・2次車として4両編成12本、2両編成12本の計72両が配置された。同年4月10日から関西本線(大和路線)・大阪環状線で大和路快速を中心に運用を開始した。 これらのグループは当初扉間に吊り革を設けておらず、3次車以降の登場に合わせて増設した。このため、客用扉付近と扉間で吊り革の引き通し棒が分離している。また、半自動ドアボタンが車内・車外ともに後のグループより高い位置に取り付けられている。 1次車 2次車
※この「1・2次車」の解説は、「JR西日本221系電車」の解説の一部です。
「1・2次車」を含む「JR西日本221系電車」の記事については、「JR西日本221系電車」の概要を参照ください。
1・2次車(鋼製車)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 03:34 UTC 版)
「山陽電気鉄道3000系電車」の記事における「1・2次車(鋼製車)」の解説
1972年に1次車として3050編成の1編成4両を導入、続けて1973年に2次車として3052・3054の2編成8両が増備された。冷房関係を除く基本的な電装品は3000系3次車に準じており、電動空気圧縮機 (CP) も3000系と同様、制御電動車にC-1000LAを2基搭載する。台車は冷房装備に伴う軸重増大に対応して車軸やばね定数を変更したKW-3・KW-4を装備する。増備途中の3052編成より前照灯ケースが小型化され、左右のライトの間隔が狭くなった。 3050-3051-3530-3630 (1972年7月5日竣工) 3052-3053-3531-3631 (1973年4月6日竣工) 3054-3055-3532-3632 (1973年4月6日竣工)
※この「1・2次車(鋼製車)」の解説は、「山陽電気鉄道3000系電車」の解説の一部です。
「1・2次車(鋼製車)」を含む「山陽電気鉄道3000系電車」の記事については、「山陽電気鉄道3000系電車」の概要を参照ください。
1・2次車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 18:30 UTC 版)
「東京都交通局10-000形電車」の記事における「1・2次車」の解説
(1次車)10-020F - 10-090Fと10-010Fの015・016 (2次車)10-100F - 10-180F 量産車は6両編成となり、1次車は1978年(昭和53年)の岩本町 - 東大島間開業に、2次車は1980年(昭和55年)の新宿 - 岩本町間開業にそれぞれ備えて量産された。製造は1次車が東急車輛製造、2次車が日本車輌製造。試作車と同じくセミステンレス車体の2段窓構造である。外板の表面仕上げは試作車のへアラインからダルフィニッシュに変更された。前面形状は試作車と異なり貫通扉部分以外にFRPを使用した額縁スタイル(いわゆる骸骨顔)となり、試作車では側面中央にあった種別・行先表示器が車端部に移動した。また、冷房装置は搭載せずに準備工事とされ、強制送風機が取付けられた。 2005年(平成17年)から2006年(平成18年)にかけて10-300形および10-300R形に置き換えられ、1・2次車はすべて廃車となった。 この置き換え途中で10-030Fの10-031と10-032が故障で使用不能となったため、10-040Fの10-041と10-042と差し替えて運用していた。 1次車最後の先頭車は10-030Fで、同車は2006年9月末に離脱した。また、2次車の先頭車は一足早く消滅し、同年7月に離脱した10-170Fが最後だった。 6次車までの行先表示器(2013年3月16日)
※この「1・2次車」の解説は、「東京都交通局10-000形電車」の解説の一部です。
「1・2次車」を含む「東京都交通局10-000形電車」の記事については、「東京都交通局10-000形電車」の概要を参照ください。
1・2次車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 05:46 UTC 版)
「東京都交通局6300形電車」の記事における「1・2次車」の解説
1次車の排障器は左右がつながっていない短い形状であるが、2次車からは形状を大形化した。 冷房装置の前後端にFRP製のカバーを装着している。 製造当初はホーム監視用の車外モニターを駅ホーム部に設置する予定だったため、運転席のTISディスプレイは計器盤に収められている。その後、車上ITV(ホーム監視モニター)を車内に設置する方式を正式に採用するため、前述のワンマン運転改造工事時に運転台上部に設置された。 運行番号・行先表示・列車位置などの情報は助士側の列車情報設定器から行っていた。 列車番号設定器が1号車の運転席背面に設置されているが、その後使用を中止し、改修工事を施工した編成から順次撤去されている。 車体外側の車両番号の表記は切り抜きプレート式を採用している。
※この「1・2次車」の解説は、「東京都交通局6300形電車」の解説の一部です。
「1・2次車」を含む「東京都交通局6300形電車」の記事については、「東京都交通局6300形電車」の概要を参照ください。
- 12次車のページへのリンク