1・2次量産車(1970年 - 1972年)
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1971年(昭和46年)に千代田線初の新系列車として大手町 - 霞ケ関間の開業に合わせて第02 - 13編成が、1972年(昭和47年)に2次車として代々木公園駅延伸開業に合わせて第14 - 19編成が投入された。製造は1次量産車が5社で製造、2次量産車は汽車製造を除いた4社で製造された。1972年(昭和47年)度鉄道友の会ローレル賞受賞。1・2次試作車のデザインを活かした登場時としては斬新なスタイルとなっている。車体は裾形状変更、仕様の見直しなどにより構体重量はより軽く4.1tとなった。 車内配色は第2次試作車などと同じである。ほかに荷棚は金網式、側窓のカーテンは灰色である。座席は試作車と同じ赤色だが、リクライニング機構の採用は見送られた。なお、貫通扉のない妻面は木目だが、貫通扉のある妻面はベージュの化粧板とされている。当初のつり革は座席前のみで、ドア付近にはまったくなかった。側窓は2段窓タイプである。車内の見通しをよくするため、中間運転台のある5号車と6号車間を除き、断面の大きな貫通路を設けた。このグループは乗務員室側面扉の高さが高い。側面方向幕の準備工事が行われ正面方向幕は2次量産車では電動式となったが、小田急線乗り入れ開始時に1次・2次車とも側面方向幕の設置と電動化が行われた。また、2次量産車から前面識別帯の上部に手すりが設置されアンチクライマーの下段がステップとなるよう大型のものとされ、その後従来の車両も改修された。 乗務員室内は緑色の配色であり、運転台計器盤は紺色の配色である。主幹制御器は回転式ツーハンドル式である。北綾瀬支線用を除いてマスコンハンドルはデッドマン装置のない国鉄タイプで、ブレーキハンドルにはノッチが刻んである。 乗務員室仕切りには客室側から向かって右端に乗務員室扉がある。運転席後部にはATC装置などの機器があるため、乗務員室扉にある窓から運転席は見えない。ただし、第22編成から運転席後部に小窓(車掌監視窓)が設置された。 当初の1次試作車では乗務員室仕切中央部に小窓があったが、後の更新時に埋められた。2次試作車以降は前述の通り、機器の増大で窓自体が廃止となった。 3次量産車の乗務員室仕切り(画像では扉の窓が開いている) 4次量産車の乗務員室仕切り運転台後部に小窓が設置されている 運転台(5次量産車 6030号車) チョッパ制御装置は一部仕様が変更された。第02 - 08編成は三相二重方式(素周波数220Hz・合成周波数660Hz)、第09編成以降は二相二重チョッパ方式(素周波数を限界に近い330Hz・合成周波数660Hz)してコストダウンを図った。主回路素子は第10編成までは逆阻止サイリスタを使用したが、第11編成以降は逆導通サイリスタを使用して転流回路の簡素化を図った。素子の冷却にはブロアによる強制風冷方式を使用した。2次試作車と同じく主電動機は145kW出力とし、編成はMT比6M4Tとなったが、組成は異なる。 ブレーキ装置は応答性の良い電気指令式空気ブレーキを採用、台車はのS形ミンデン式(片板ばね軸箱支持)のFS378形とし、基礎ブレーキは両抱き踏面式を採用した。 補機としてはM2車に電動発電機 (MG)、空気圧縮機 (CP) はレシプロ式のC-2000M形を搭載した。 なお、1次量産車のうち第09編成と第11編成は二相二重チョッパ方式の試験を実施するため、本形式の量産車としては最初に搬入(第09編成は1970年(昭和45年)10月5日、第11編成は同年10月11日に搬入)され、千代田線と常磐線において各種試験を実施した。そして、この試験結果を受けて第10編成以降では二相二重チョッパが採用されることになった。それ以外の編成は1970年(昭和45年)10月下旬から翌1971年(昭和46年)2月下旬にかけて搬入されている。
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