3次量産車
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「国鉄ク5000形貨車」の記事における「3次量産車」の解説
3次量産車は1967年度後半から1968年(昭和43年)にかけてク5362 - ク5831の470両が製造された。下段のみだった緊締金具収納箱を上段にも設置しており、これは従来車にも改造で適用された。高さ方向の余裕を持たせるために下段のタイヤガイドがわずかに下げられている。これらの改造により自重が21.8 tから22.2 tに増加した。
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3次量産車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 04:44 UTC 版)
「国鉄EF60形電気機関車」の記事における「3次量産車」の解説
1963年(昭和38年)7月から1964年(昭和39年)3月にかけてEF60 47 - 83が製造された。東海道・山陽本線増発用、岡山 - 広島間の貨物列車電化用を名目としている。稲沢第二・沼津機関区に配置され、両機関区のEF15形が各地に転属している。 運転台側窓固定部分のガラス支持が白Hゴムに変更されている。
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3次量産車(1977年)
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「営団6000系電車」の記事における「3次量産車(1977年)」の解説
1978年(昭和53年)の代々木上原延長・小田急線乗り入れ開始に際して、3次車として第20・21編成が製造された。 当初より小田急線乗り入れ機器(列車無線装置・OM-ATS設置など)や側面方向幕、通過標識灯、前面ガラスにデフロスタ、保安ブレーキなど装備して落成した。乗務員室側面扉は高さの低いものに変更され、一部の車両に連結面貫通扉を増設した。 制御装置はサイリスタを1,300V規格から2,500V規格の大容量品に変更、台車は一部改良が加えられている。製造は川崎重工と日本車輌製造である。 乗り入れ機器などの装備は1978年(昭和54年)までに1次量産車・2次量産車にも追設された。なお、通過標識灯は1998年(平成10年)4月に小田急で使用が停止されたため、後年全車撤去されている。 このうち6920号車と6911号車においては、1977年(昭和52年)より、強制風冷式に代わって試験的にフロン沸騰冷却式チョッパ装置の試験を実施した。この結果が良好であったため、半蔵門線用の8000系で正式な採用に至った。なお、このチョッパ装置は制御装置更新時まで残されていた。
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