竣工後の近代化改装
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/29 00:14 UTC 版)
「妙高型重巡洋艦」の記事における「竣工後の近代化改装」の解説
その後昭和7年(1932年)から昭和11年(1936年)の第一次、13年からの第二次改装により、主砲を正八インチ砲へと改正(砲身の内筒を203mmのものに交換)、主砲弾の重量弾化(110kgから125kg)、砲弾の給弾法を押し上げ式からつるべ式に改正、浮力確保のため大型のバルジを追加、「八九式 12.7cm(40口径)高角砲」を連装砲架で4基への改正、25mm機銃の増備、魚雷発射管を次発装填機付き九二式四連装魚雷発射管への更新、カタパルトの増設・搭載水偵の増載と重量増加に伴う水偵格納庫の撤去、また、機関関係ではボイラーが一部高温缶に取り替えられかつ巡行時に外舷側2軸推進であったものを4軸全てを推進する形式に変えた事により250トンの燃料減載にも関わらず航続距離は14ノット/7,000海里から14ノット/7,500海里に延伸した。ただし船体幅が増加したために速度は35ノットから33.3ノット程度へと低下した。 特記事項として、8インチ砲の散布界過大は大きな問題とされており、九八式遅延発砲装置の導入による砲弾間の相互干渉制御によって一定の効果があるものとされたが、導入後の本砲の散布界も決して良好とは言えなかった。 また、大きな危険とされていたのは、機関部の中央縦隔壁である。中央縦隔壁は強度設計上及び主砲砲戦時の坑堪性を意図して設置されたものだが、片絃への浸水時に重量バランスを損ねての横転沈没の危険性があった。この危険性に対しては一部隔壁を撤去するだけに留めており、日本巡洋艦の被雷時における危険な因子として潜在し続けた。設計主任の平賀大佐は損傷時の浸水極限の為これを許容したと伝えられる。同様の設計を踏襲した利根型「筑摩」においては、至近弾により浸水した際に浸水量を900トンに制御し、かつ反対舷注水によって傾斜の制御を可能とした。しかし、この際14000トンの大艦にも関わらず一時傾斜角は30度にも達して転覆の危険があった。
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