竣工~改修
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/06 03:53 UTC 版)
新潟市は、昭和初期に行われた信濃川両岸の埋立地開発の一環として、白山公園に隣接する南側の埋立地を運動公園として整備することとし、陸上競技場、野球場、庭球場などを建設することになった。運動公園には後に「白山総合運動場」の名称が付与され、このうち新潟市営白山陸上競技場は1936年に開場した。 1964年の第19回国民体育大会が新潟県で開催されることになり、白山競技場がメイン会場となるのに伴い、県に移管して改築工事を実施。「新潟県営新潟陸上競技場」と改称し、竣工後の運営管理は市が引き続き受託した。この年の国体は、東京オリンピックが平年の秋季大会開催月にあたる10月に行われることを考慮し、それを6月に前倒して春季大会として開催。期間中は県内外から多くの人々が訪れた。しかし閉会式から僅か5日後の6月16日、新潟地震で被災。一帯は元々埋立地だったことから液状化現象が発生し、競技場も土盛りスタンドの崩落や仮設スタンドの崩壊などの被害を受けた。 1983年、所有権が再び県から市に移管。しかしトラックは当時既に一般的だった全天候舗装ではなく、砂敷きのサンドトラック。フィールド内の高麗芝も全く生え揃わず、バックスタンドもあちこちで芝の剥がれや崩落が見られた。管理が市に移管した後に改修工事が施され、全天候型トラックとなった。 1992年に新潟県内では初のJリーグ公式戦となるJリーグヤマザキナビスコ杯、ヴェルディ川崎対清水エスパルス戦が開催。だが現行設備ではJリーグの開催基準を満たせない為、1993年に新潟市はリーグ戦誘致の為大規模な改修を実施。バックスタンドをコンクリート張りにして全席ベンチ席とし電光スコアボードを設置。傷んでいた芝生はJRA新潟競馬場の技術協力を得て高麗芝から西洋芝へと変更。改修後の1994年、Jリーグプレシーズンマッチ、ジェフユナイテッド市原対ボタフォゴ戦、浦和レッドダイヤモンズ対現代自動車戦が開催された。その後、新潟県内の競技場としては初めて本格的なナイター設備を設置。 1995年、全面改修終了後初のJリーグ公式戦として柏レイソル対サンフレッチェ広島戦が開催された。通常、陸上競技場やサッカー場のスコアボードはメインスタンドから向かってバックスタンド左側に設置されることが多いが、当競技場では右側(南側)に設置されている。
※この「竣工~改修」の解説は、「新潟市陸上競技場」の解説の一部です。
「竣工~改修」を含む「新潟市陸上競技場」の記事については、「新潟市陸上競技場」の概要を参照ください。
- 竣工~改修のページへのリンク