明治以降の沿革
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「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での国内の支配は以下の通り。太字は当該郡内に藩庁が所在。国名のあるものは飛地領。(293村・95,893石余)長狭郡(62村・23,050石余) - 幕府領、旗本領、館山藩、船形藩、武蔵岩槻藩、上総鶴牧藩 朝夷郡(63村・22,704石余) - 幕府領、旗本領、館山藩、上野前橋藩、武蔵岩槻藩、越前敦賀藩、上総鶴牧藩 平郡(75村・26,254石余) - 幕府領、旗本領、勝山藩、船形藩、館山藩、上野前橋藩、近江三上藩 安房郡(93村・23,884石余) - 幕府領、旗本領、館山藩、船形藩、上野前橋藩、近江三上藩 慶応4年船形藩が廃藩。元治元年(1864年)立藩のため、わずか4年での廃藩となった。 7月2日(1868年8月19日) - 幕府領、旧船形藩領に安房上総知県事を設置。 7月13日(1868年8月30日) - 駿河田中藩が平郡・安房郡・朝夷郡に転封し、長尾藩となる。 明治元年9月21日(1868年11月5日) - 遠江横須賀藩が長狭郡に転封し、花房藩となる。 平郡に三河西尾藩が入封。 以上の変更にともない、勝山藩、館山藩および前橋藩、岩槻藩、鶴牧藩、敦賀藩、三上藩の飛地領で領地替えが行われる。各飛地領が消滅。 明治2年2月9日(1869年3月21日) - 安房上総知県事が宮谷県となる。 6月23日(1869年7月31日) - 勝山藩が、越前勝山藩、美作勝山藩との区別のため、任知藩事後に加知山藩に改称。 明治4年7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により、藩領が加知山県、館山県、長尾県、花房県および西尾県の飛地となる。 11月14日(1871年12月25日) - 国内に県庁を置く各県(国外の飛地領を除く)が木更津県に統合。 明治6年(1873年)6月15日 - 木更津県が印旛県に統合して千葉県が発足。
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明治以降の沿革
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1889年(明治22年)5月1日 - 町村制の施行に伴い、東京府荏原郡麹谷村・萩中村・鈴木新田・羽田獵師町・羽田村の全域が合併し、東京府荏原郡羽田村が発足。 1902年(明治35年)6月28日 - 京浜電気鉄道の羽田支線(穴守線)の糀谷駅、大鳥居駅および(旧)穴守駅が開業。 1907年(明治40年)10月4日 - 羽田村が町制施行して東京府荏原郡羽田町となる。 1912年(明治45年)4月1日 - 「東京府神奈川県境界変更に関する法律」が施行され、鈴木新田、羽田、羽田猟師町の各一部が神奈川県橘樹郡大師河原村に編入され分離する。 1913年(大正2年)12月31日 - 穴守駅を移設。 1914年(大正3年) - (旧)穴守駅付近に羽田駅が開業。 1915年(大正4年)1月 - 羽田駅を穴守方面へ移設、稲荷橋駅に改称。 1932年(昭和7年)10月1日 - 荏原郡全域が東京市に編入。羽田町の区域は東京府東京市蒲田区となる。羽田町域は蒲田区内の、羽田一丁目から三丁目、羽田本町、羽田鈴木町、羽田穴守町、羽田江戸見町、糀谷町一丁目から五丁目、北糀谷町、萩中町、羽田御台場、鈴木御台場、猟師町御台場の各町へ編入された。 1932年(昭和7年)4月26日に、東京市から東京府へと提出(内申)された市域拡張案では、大森町・入新井町とともに大森区となる予定であった。
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