明治以降の源宗寺と修復、保存の動き
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「源宗寺 (熊谷市)」の記事における「明治以降の源宗寺と修復、保存の動き」の解説
明治時代に入って廃寺となった源宗寺であったが、寺の本堂と本尊である薬師如来像、観世音菩薩像の管理は藤井家が行い続けた。しかしやはり廃寺となってしまったことによって、次第に荒廃が進んでいった。 1952年(昭和27年)には本堂の修復工事が行われたが、やはり住職不在の状況は継続しており、寺務については熊谷市久下の曹洞宗東竹院が行っている。そして本尊薬師如来像、観世音菩薩像については、登録名「木彫大仏座像」として1954年(昭和29年)11月3日、、熊谷市指定有形文化財に指定された。なお、薬師如来像の薬壺と観世音菩薩像の蓮花は失われてしまっているが、両像の保存状態は比較的良好である。 戦後も引き続き創建者一族である藤井家が、寺の本堂と本尊である薬師如来像、観世音菩薩像の管理を行い続けている。なお2019年現在、寺の本堂は源宗寺護持会が所有している。1970年代から本堂の老朽化に伴うう修復が行われてきたが、老朽化が著しくなってきたことにより、所有者である藤井家、檀家が主導し、熊谷市教育委員会、本寺である東竹院らが協力して、2019年度から保存修理事業を行っていく予定となった。事業開始に先立ち、2018年(平成30年)12月8日に、戦後初の本尊薬師如来像、観世音菩薩像の一般公開が行われた。
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