明治以降の源宗寺と修復、保存の動きとは? わかりやすく解説

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明治以降の源宗寺と修復、保存の動き

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/01 09:08 UTC 版)

源宗寺 (熊谷市)」の記事における「明治以降の源宗寺と修復、保存の動き」の解説

明治時代入って廃寺となった源宗寺であったが、寺の本堂本尊である薬師如来像観世音菩薩像管理藤井家が行続けた。しかしやはり廃寺となってしまったことによって、次第荒廃進んでいった。 1952年昭和27年)には本堂修復工事が行われたが、やはり住職不在状況継続しており、寺務については熊谷市久下曹洞宗東竹院が行っている。そして本尊薬師如来像観世音菩薩像については、登録名木彫大仏座像」として1954年昭和29年11月3日、、熊谷市指定有形文化財指定された。なお、薬師如来像薬壺観世音菩薩像蓮花失われしまっているが、両像の保存状態比較良好である。 戦後引き続き創建者一族である藤井家が、寺の本堂本尊である薬師如来像観世音菩薩像管理行い続けている。なお2019年現在、寺の本堂源宗寺護持会が所有している。1970年代から本堂老朽化に伴うう修復が行われてきたが、老朽化著しくなってきたことにより、所有者である藤井家檀家主導し熊谷市教育委員会本寺である東竹院らが協力して2019年度から保存修理事業行っていく予定となった事業開始先立ち2018年平成30年12月8日に、戦後初の本尊薬師如来像観世音菩薩像一般公開が行われた。

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