明治以降の書籍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/27 09:55 UTC 版)
家元制度が衰退したため、明治時代は江戸時代の定跡書の復刻が主となったが、昭和3年に十四世名人木村義雄の将棋定跡書『将棋大観』が出たのが近代の棋書の始まりである。木村の回想によれば、当時の将棋ファンから「将棋の本というのは分かりにくい、実際対局を出来るまでになるのは容易ではない」と言われ、「分かりやすいこと、出来るだけ親切に面白く学べること」をモットーに執筆し、好評を得たという。木村以前の定跡書はただ指し手が書いてあり、最後に「これで先手よし」などど書いてあるだけのものであったが、木村は1手1手の指し手の解説を細かく行った最初の人である。この定跡を特に「大観定跡」といい、現在でも駒落ち将棋の基本定跡になっている。 昭和戦後は大量の定跡書が出たが、棋士のゴーストライターが書いたものも多く、例えば人気棋士の升田幸三はアマ名人の関則可にゴーストを行わせ、サインをするときだけ自著と関の本を分けていたという。名著として名高い『升田式石田流』も実際は関の執筆だと雑誌『将棋ジャーナル』で関本人が明かしている。(詳しくは関の項目参照) 昭和期の棋書としては升田のものを除くと加藤治郎『将棋は歩から』・『将棋の公式』、米長邦雄『米長の将棋』・加藤一二三『棒銀の戦い』・『逆転の将棋』などが好評であった。 平成に入ってからは羽生善治『羽生の頭脳』が名著として名高い。また、「定跡伝道師」の異名をとった所司和晴と、その弟子の渡辺明はAIを取り入れた定跡研究書を大量に執筆している。
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