明治以降の系列
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 05:58 UTC 版)
明治以降に品評会の文化が発展するとともに審美眼の違いからいくつかの系列が現れた。 大阪らんちゅう 江戸期にランチュウとして文献や浮世絵に登場する個体群である。背びれがない丸い背中と開いた尾びれを有する。肉瘤は発達せず、花房と呼ばれる丸い粒のような瘤が左右の目の前に形成される程度である。ランチュウの体色や体型について類型化が行われたのもこの個体群においてである。しかし明治期の登場した協会系や宇野系に押され飼育数は減少。第二次世界大戦の戦災によって絶滅した。戦後に肉瘤の少ないランチュウとナンキン、トサキン、ハナフサなどを使用して復元された。 協会系 明治期に東京の初代石川亀吉が作出した個体群は現在のランチュウの基礎の一つである。以降、現在の品評会につながる観賞会が行われ、愛好会も結成されるようになった。全日本らんちゅう連盟(1941年設立)によって石川家は「らんちゅうの宗家」の称号を贈られた。この石川亀吉のランチュウに連なる系列を日本らんちゅう協会(1951年設立)が基準としたために「協会系」あるいは「宗家系」と呼ぶ。 この系列は、力強い体型と尾の形態の均整、泳ぎ方の美しさを重視する。 宇野系 同じころ京都では陶芸家宇野仁松(1864年-1937年)が趣味でランチュウを飼育し「協会系」のランチュウなどを基に彼の審美眼で選抜され、審美の基準が確立された。これの系列を「宇野系」という。 この系列は肉瘤の発達と色彩の美しさを重んじ体型の大きいものは好まれない。 「協会系」と「宇野系」は審美の基準が異なるためにまったく違うものとして扱われ品評会でも同時に並ぶことはない。大阪らんちゅうはランチュウの観賞文化の基礎を作ったが、現在のものは終戦後復元されたものであり別の品種と見なされる。またこれらの系列に以外にも、現在でも全国の生産者が独自の審美眼で「新しい美しさ」を提案した個体群を作出している。
※この「明治以降の系列」の解説は、「ランチュウ」の解説の一部です。
「明治以降の系列」を含む「ランチュウ」の記事については、「ランチュウ」の概要を参照ください。
- 明治以降の系列のページへのリンク