明治以降の行政区画の変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 13:50 UTC 版)
「溝口 (川崎市)」の記事における「明治以降の行政区画の変遷」の解説
1878年(明治11年) :郡区町村編制法が施行され、神奈川県橘樹郡溝ノ口村が成立。 1889年(明治22年)4月1日 :町村制の制定に伴って、溝ノ口村、二子村、久地村、下作延村、久本村、諏訪河原村、北見方村、坂戸村が新設合併し、村制を施行。高津村が発足すると共に、当地は高津村大字溝ノ口になる。 1927年(昭和3年)4月17日 :高津村が町制を施行し、当地は高津町大字溝ノ口になる。 1937年(昭和12年)4月1日 :高津町が橘樹郡から離脱して川崎市に編入され、当地は神奈川県川崎市大字溝口になる。 1951年(昭和26年) :飛地が宮前(みやさき。現在の宮前区)に編入される。 1972年(昭和47年)4月1日 :政令指定に伴って旧高津町域に行政区が設置され、当地は神奈川県川崎市高津区大字溝口になる。 1997年(平成9年)度 :住居表示実施(大字を廃し町を設置)。このとき、二子、坂戸、久本、下作延との町境を一部変更している。 2002年(平成14年)度 :久地の住居表示実施に合わせて町境を一部変更。
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