明治以降の贈位
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 15:56 UTC 版)
明治時代以降も引き続き死者の功績を称える目的で贈位が行われた。幕末の尊皇攘夷や明治維新で功績を挙げながら亡くなった者、または南北朝時代の南朝方の公卿や武将、勤皇家とされる戦国武将、統治で功績を挙げた大名等が主な対象であった。たとえば長州藩の祖である毛利元就は、正親町天皇即位式をはじめとする献金の功と、子孫である毛利敬親がその意志を継いで朝廷に貢献したことを評価され、正一位を贈位されている。また江戸時代の大名でも徳川光圀、松平定信、上杉治憲、毛利重就、一般では藤原惺窩、前野良沢などが贈位を受けている。 贈位は原則として従五位以上とされたが、明治2年(1869年)の官位制度改革以後は従四位以上の適用となった。明治28年(1895年)、「戦死者贈位並叙位ノ件」が制定されたのに伴い功績抜群なる軍人が戦死した場合は生前の位階に関わらず従五位以上を贈るものとし、準ずるものは生前の位階を一級ないし二級特進させることとした。明治30年(1897年)、「戦死者贈位並叙位進階内則」では将官は正四位以上、佐官は従五位から正四位の間、尉官は従五位から正五位の間、准士官、下士官、兵卒は従五位を贈るとされた。明治時代は栄典大権は天皇に属するものであり贈位は内閣賞勲局が担当したが大東亜戦争後、生存者に対する叙位が停止したのに伴い贈位も一時停止状態となった(ただし、昭和35年(1960年)8月15日に終戦時の首相で10年以上前に死去していた鈴木貫太郎に従一位が贈られている)。
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