明治以降の隠居の実例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 14:39 UTC 版)
明治改元以降、一世一元の制が確立して、天皇が崩御するまではその元号が用いられ、天皇の交代は先代の崩御に伴う践祚のみによるものとされ、昭和天皇まで隠退して上皇になる事例は無いが、大正天皇が病臥のもと、当時の皇太子が摂政宮として実質的に天皇としての職務を行っていた例がある。 華族の場合には、戸主を家督相続人に譲り、爵位を継がせて隠居することが可能であった(ただし1907年の華族令改正までは原則禁じられていた)。高橋是清は第二次護憲運動に際して衆議院議員選挙に出馬した際、子爵の身分では衆議院議員に立候補できないため、息子に家督を譲って自身は有爵者でなくなるという形をとり、隠居制度をいわば逆用した。 寺の住職も隠居する場合があり、宗派によって多少異なるが、その場合は後任の住職をつける場合と、住職のまま隠居して副住職をつけ、副住職に寺務を代行させる場合がある。日蓮正宗総本山・大石寺の法主は隠居する場合、原則として後継者を定めて猊座を譲り、隠居することになっている。隠居しても、当代の法主が出張で不在の場合や体調不良などで代理で法要の導師を務めたり、本尊を書写したりする場合もある。 相撲部屋においても、師匠が定年前に後継者に部屋を譲る例は多く、この場合年寄名跡を交換して後継者が名乗っていた名跡を名乗って定年まで務める例(出羽海部屋は佐田の山から鷲羽山への継承の時に、出羽海と境川の名跡を交換した)と名跡交換を行わず部屋の名前を変更する例(三重ノ海は武蔵川部屋を武双山に譲ったとき、名跡はそのまま維持したので、部屋の名称が藤島部屋に変わった。後に三重ノ海の弟子である武蔵丸が武蔵川部屋を再興)がある。師匠の急死で後継者を巡ってお家騒動になった例(ex.朝日山部屋)は多く、それを回避するのと後継者に経験を積ませる上で定年前に相撲部屋を譲る方式は有効である。 伝統芸能の世界では、芸名を名乗ることが基本であるため、隠居に伴い弟子や子供などに自身の名前を授け、自らは隠居名を新たに名乗るという形がとられる。この場合、自身の隠居名への改名より、名を受け継ぐ弟子や子供の襲名の場として興行が執り行われることが多い。また、隠居名は前名を基本に「~翁」と名乗るケースが多い(例:市川猿之助→市川猿翁、笑福亭松鶴→笑福亭松翁など)。
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