松前藩御用達から漁場請負とは? わかりやすく解説

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松前藩御用達から漁場請負(場所請負)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 15:40 UTC 版)

西川傳右衛門 (初代)」の記事における「松前藩御用達から漁場請負(場所請負)」の解説

下国安芸信用勝ち取った傳右衛門早々に松前藩御用達となり、千石船五百石船を建造し自家の船で物産輸送取り扱うなど一代松前屈指の豪商になった下国安芸より『蝦夷の利は海産にあり、奥地踏み入り漁場開いて之を内地輸送すれば、一に国益、二に自家の利なり。』と説かれ傳右衛門自ら奥地入りアイヌ人接し、『忍路高島漁場沿革滋賀大学経済学部附属資料保管西川傳右衛門文書)』によると寛文7年1667年)頃までに高島(現小樽市高島)・忍路オショロ)の地を選んで漁場開いたとされる。なお、漁場請負元文5年1740年)から宝暦1755年)の間とする資料もある。いずれにせよ延宝9年1861年)の資料によると材木買い付け等を行い近江送っており、初代傳右衛門時には未だ漁場経営本格的に行われていなかった。 傳右衛門順次請負漁場改良し出店庶務整理し故郷近江帰って家政修め一代40数度近江蝦夷地往復したとされる隠居するまで毎年交易出店経営も自ら行い、支配人蝦夷地置かれたのは漸く2代目傳右衛門時になってからだった。元禄9年1696年初代傳右衛門隠居し2代傳右衛門昌興が西川傳右衛門当主となった傳右衛門隠居後元禄14年1701年)、長年の功に対して松前藩侯より名字帯刀許され加えて御先手二十人扶持藩士待遇与えられた。 宝永6年2月1709年3月死去した近江八幡市円満寺には、初代傳右衛門奉納した千石船模型千石船絵馬額が保存されている。

※この「松前藩御用達から漁場請負(場所請負)」の解説は、「西川傳右衛門 (初代)」の解説の一部です。
「松前藩御用達から漁場請負(場所請負)」を含む「西川傳右衛門 (初代)」の記事については、「西川傳右衛門 (初代)」の概要を参照ください。

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