亀井茲満とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 人名 > 美術人名辞典 > 亀井茲満の意味・解説 

亀井茲満

読み方かめい これみつ

江戸中期大名石見津和野藩亀井家第四当主幼名助・松之丞。先代亀井茲親第六子。兄茲長が歿したため嫡子となり、翌年将軍吉宗謁見従五位下因幡守に叙任する。領内大飢饉の際には、御納戸金を出支し、幕府からの借入金で米を買い、領民供与するなどの救済計った元文元年(1736)歿、24才。

亀井茲満

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 14:48 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
 
亀井 茲満
時代 江戸時代中期
生誕 正徳3年7月18日1713年9月7日
死没 享保21年4月9日1736年5月19日
改名 松之助・松之丞(幼名)、茲満
戒名 養壽院殿宗月源光大居士
墓所 島根県鹿足郡津和野町の亀井家墓所
官位 従五位下、因幡
幕府 江戸幕府
主君 徳川吉宗
石見国津和野藩
氏族 亀井氏
父母 父:亀井茲親、母:宗義真の娘・覚知院
兄弟 茲長、菅沼定好、伊織、万吉、茲満、茄之助
板倉重泰の娘
松五郎、千之助、養子:茲延
テンプレートを表示

亀井 茲満(かめい これみつ)は、石見津和野藩の第4代藩主。津和野藩亀井家5代。

生涯

正徳3年(1713年)7月18日、第3代藩主亀井茲親の六男として津和野で生まれる。享保11年(1726年)に長兄で世嗣だった茲長が死去したため、11月26日に世子に指名され、享保12年(1727年)に第8代将軍徳川吉宗御目見し、12月に従五位下・因幡守に叙位・任官する。

享保16年(1731年)、父の死去に伴い津和野藩主となる。享保17年(1732年)に享保の大飢饉による被害を受け、幕府の援助を受けて再建を図るが、3万3780石の被害と1万1141人の餓死者を出したとされている。その後は藩の再建を目指すが、享保21年(1736年)4月9日に津和野で死去した。享年24。

跡を甥で養子の茲延が継いだ。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「亀井茲満」の関連用語

亀井茲満のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



亀井茲満のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
株式会社思文閣株式会社思文閣
Copyright(c)2025 SHIBUNKAKU Co., Ltd. ALL RIGHTS RESERVED.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの亀井茲満 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS