石川潤次郎
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石川 潤次郎(いしかわ じゅんじろう、天保7年8月1日(1836年9月11日)[1] - 元治元年6月5日(1864年7月8日))は、幕末期に土佐藩に仕えていた足軽。諱は直義[1]、または真義[2]。
土佐国土佐郡鉄砲町出身[1]。父は足軽の石川音作[2]。武市瑞山の土佐勤王党に参加[3]。元治元年(1864年)、土佐藩の命を受けて京都黒谷の三条実美別宅の警備を勤めていた。同年6月5日、土佐藩士野老山吾吉郎を池田屋に訪ねる途中、池田屋事件にて新選組を援助するために動員された会津藩・彦根藩兵に阻止されて争いとなり、数名を負傷させるが斬られて路上で死亡した[2]。享年29。明治31年(1898年)、正五位を贈られる[4][5]。
脚注
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