石川準吉 (総務官僚)とは? わかりやすく解説

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石川準吉 (総務官僚)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/30 09:59 UTC 版)

石川 準吉(いしかわ じゅんきち、1908年明治41年)3月14日[1] - 1989年平成元年)4月14日[1])は、日本の官僚歴史学者行政管理庁行政管理局長、法学博士

経歴

兵庫県朝来郡生野町(現:朝来市生野町)で、石川伊兵衛の四男として生まれる[2]第一高等学校を卒業[3]1932年東京帝国大学文学部哲学科を卒業[1][2][3]1935年10月、高等試験行政科試験に合格[2][3]1936年内閣に入り内閣調査局属となる[3][4]

以後、企画庁属、企画院事務官・内政部勤務、地方事務官・富山県勤務、埼玉県地方課長、同商工課長、奈良県地方課長兼振興課長、静岡県官房主事、企画院調査官、軍需省軍需官などを歴任[2][4]

戦後、東北地方行政事務局第一兼第二部長、宮城県経済部長、大阪管区経済調査庁査察部物資課長、東京管区監察局第二部第二課長、岡山地方監察局長、名古屋管区行政監察局第二部長、行政管理庁行政監察局監察審議官などを歴任し、1963年12月、行政管理庁行政管理局長に就任[2]1964年に退官し、その後、日本電気顧問、阪神外貿埠頭公団監事、日本大学講師など務めた[1][2]

また、歴史研究にも取り組み、1959年、著作『生野銀山と生野代官』が日経・経済図書文化賞を受賞し[2]1962年、「生野代官を中心として観た江戸時代代官制度の研究」により京都大学から法学博士号を授与された。特に官僚時代、国家総動員計画に携わったことから、その記録を取り纏めることを使命として『国家総動員史』全13巻を刊行した[1]

著作

  • 『生野銀山と生野代官 生野代官より勘定奉行に対する禀伺とその回答』日本工業新聞社 1959年。
  • 『綜合国策と教育改革案 内閣審議会・内閣調査局記録』清水書院、1962年。
  • 『江戸時代代官制度の研究 生野代官を中心として観た』日本学術振興会、1963年。
  • 『国家総動員史 資料編』全10巻、別巻、国家総動員史刊行会、1975-82年。
  • 『国家総動員史』上巻、下巻、国家総動員史刊行会、1983年、1987年。
翻訳
  • フランシスク・コワニェ著、編訳『日本鉱物資源に関する覚書』羽田書店、1944年。
    • 『日本鉱物資源に関する覚書 生野銀山建設記』産業経済新聞社、1957年。

脚注

  1. ^ a b c d e 『現代物故者事典 1988~1990』55頁。
  2. ^ a b c d e f g 『人事興信録』第24版 上巻、い196-197頁。
  3. ^ a b c d 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』314頁。
  4. ^ a b 『日本官界名鑑 昭和十七年版』5版、イ34頁。

参考文献

  • 『現代物故者事典 1988~1990』日外アソシエーツ、1993年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
  • 人事興信所編『人事興信録』第24版 上巻、人事興信所、1969年。
  • 日本官界情報社編『日本官界名鑑 昭和十七年版』5版、日本官界情報社、1942年。



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