土佐京都藩邸資料吾吉調書とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 土佐京都藩邸資料吾吉調書の意味・解説 

土佐京都藩邸資料吾吉調書(新史料)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/13 16:20 UTC 版)

野老山吾吉郎」の記事における「土佐京都藩邸資料吾吉調書(新史料)」の解説

事件当日6月5日石川潤次郎藤崎八郎伴って七ツ時(午後4時)ごろ藩邸の門を出た吾吉郎一行四条小橋居酒屋飲食した後、四条酒屋夕刻まで飲酒一度、潤次郎離れた後、四条寺町本屋にて日本外史(頼山陽著)を求めるも取扱いがなく、川原四条貸本屋にて一杯飲んだ後、八郎伴に池田屋訪れ望月亀弥太らと宴席出席していたところ新撰組奇襲遭難した酩酊状態ながらも抗戦し脇差一本残し大刀や袴は捕り手打ち落とされるも三条河原身を隠す事に成功する(創を負ったという記載はなし)。夜が明けぬ内に宮川町の揚茶屋に匿われたが、翌6日の昼に捜索追手が来た事から熊野権現境内にある升という居酒屋移り、店の者を遣わせ石川潤次郎宛に手紙届けた。潤次郎池田屋にて闘死しており、代わりに次郎足軽六兵衛という者が升を訪れたところ、吾吉郎は隠れ回るのも限界であることから自害意思伝えた六兵衛藩邸に戻るよう説得されたが「事件に関わったため、藩に居場所は無い」として藩邸に戻ることには応じず、自ら板倉槐堂を頼ることとなった同日夕、堂からも自害することに反対を受け、まず長州藩邸に匿って貰った上で後日堂が迎えに行く提案をされた。その後長州藩邸の所郁太郎頼ったところで調書終了している。

※この「土佐京都藩邸資料吾吉調書(新史料)」の解説は、「野老山吾吉郎」の解説の一部です。
「土佐京都藩邸資料吾吉調書(新史料)」を含む「野老山吾吉郎」の記事については、「野老山吾吉郎」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「土佐京都藩邸資料吾吉調書」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「土佐京都藩邸資料吾吉調書」の関連用語

土佐京都藩邸資料吾吉調書のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



土佐京都藩邸資料吾吉調書のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの野老山吾吉郎 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS