恵比寿屋庄七とは? わかりやすく解説

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恵比寿屋庄七

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/18 02:17 UTC 版)

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恵比寿屋 庄七(えびすや しょうしち、生没年不詳)とは江戸時代から明治時代にかけての江戸地本問屋

来歴

錦昇堂と号す。熊谷氏。幕末[1]から明治期に照降町北側、小船町3丁目政治郎地借において地本問屋を営業している。歌川広重美人画3代目歌川豊国役者絵河鍋暁斎錦絵を出版している。嘉永5年(1852年)4月に川口正蔵より本組株を譲り受けている。

作品

  • 歌川広重『立斎草筆画譜』4編 絵手本 嘉永元年(1848年)‐嘉永4年(1851年)
  • 3代目歌川豊国 『小幡小平次芝居絵』 大判3枚続 嘉永6年(1853年)
  • 歌川広重 『伊勢参宮略図』 大判3枚続 安政2年(1855年)
  • 3代目歌川豊国 『梅暦見立八勝人』 大判8枚揃 安政6年(1859年)
  • 歌川国貞 『役者大首絵』 大判揃物 万延元年(1860年)‐文久3年(1863年))
  • 歌川国芳 『百人一首之内』
  • 河鍋暁斎 『蘭人猛虎生拘図』 大判 万延1年(1860年)
  • 3代目歌川豊国 『死絵 二代目望月朴清』 大判 文久1年(1861年) 国立劇場所蔵
  • 3代目歌川豊国 『三世沢村宗十郎の梅の由兵衛』 大判 元治1年(1864年)
  • 河鍋暁斎 『東台戦争落去之図』 大判3枚続 明治7年(1874年)

脚注

  1. ^ 『浮世絵の基礎知識』は嘉永・元治年間とし、「中仁」と同じか、とする。

参考文献




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