1979年東京都知事選挙
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/30 07:14 UTC 版)
1979年東京都知事選挙(1979ねんとうきょうとちじせんきょ)は、1979年(昭和54年)4月8日に執行された東京都知事選挙。第9回統一地方選挙の一環として実施された。
注釈
- ^ 麻生良方は1963年の第30回衆議院議員総選挙に民社党公認で立候補し初当選し、1972年の総選挙で落選した。政治評論家としてマスコミなどで活動していた1974年のある日、麻生は自民党幹事長代理の江﨑真澄から「会って話がしたい」と電話を受ける。江﨑の行きつけの小料理店に行くと、江﨑は「翌年の都知事選に出てもらいたい。橋本登美三郎幹事長も『もし麻生さんにその気持ちがあるのなら、立候補にあたっての条件を聞きたい』と言っている」と告げた。麻生は政界を離れ政治評論家になった自身を「負け犬」と表現し、「東京1区で負けた者がなぜ都民を代表する都知事になる資格があるのか」と固辞した。1週間後、自民党参議院議員会長の安井謙から督促の電話があるも再び断った[13][14]。それから2年後、1976年12月の総選挙に麻生は無所属で立候補し、議員に返り咲いた。
- ^ 2011年東京都知事選挙で、渡邉美樹が3位に終わった候補として初めて100万票を超えた。
出典
- ^ a b c 光延忠彦. “鈴木都政における政治経済学(1)”. 千葉大学. 2023年11月16日閲覧。
- ^ a b 『経済展望』1979年4月15日号、経済展望社、14-17頁。
- ^ a b 『朝日新聞』1978年2月17日付朝刊、1頁、「太田薫氏が立候補表明 都知事選『革新統一』めざす」。
- ^ 『月刊社会党』1978年2月号、日本社会党中央本部機関紙局、35頁。
- ^ “市政日誌 1977年11月―1978年1月”. 横浜市. 2023年11月22日閲覧。
- ^ “市政日誌 1978年2月―4月”. 横浜市. 2023年11月22日閲覧。
- ^ a b 『朝日新聞』1979年1月6日付朝刊、1頁、「都知事選 後藤氏が出馬表明」。
- ^ 麻生 1979, p. 39.
- ^ 船橋成幸 (2013年11月). “■証言:戦後社会党・総評史 飛鳥田一雄さんとともに歩んだ社会党――船橋成幸氏に聞く(上)” (PDF). 大原社会問題研究所雑誌 №661. 大原社会問題研究所. 2020年5月31日閲覧。
- ^ a b c d 森邦久「都知事選における各政党の思惑」 『労働レーダー』1979年3月号、労働問題研究会議、24-28頁。
- ^ a b 『朝日新聞』1978年12月19日付朝刊、2頁、「麻生氏が出馬宣言 東京都知事選」。
- ^ a b c “日本労働年鑑 第50集 1980年版 第二部 労働運動”. 法政大学大原社会問題研究所. 2023年11月16日閲覧。
- ^ 麻生 1979, p. 70.
- ^ 麻生良方「〝ヒモ〟つき候補に挑戦する」 『経済往来』1979年3月号、経済往来社、128-147頁。
- ^ a b 『朝日新聞』1979年1月6日付朝刊、2頁、「後藤氏の都知事選出馬表明 総評が態度硬化」。
- ^ 大木正吾「東京都知事選を闘って」 『月刊社会党』1979年6月号、日本社会党中央本部機関紙局、77-89頁。
- ^ 壹岐崇「燃えない都知事選に誰れがした」 『政経人』1979年3月号、政経社/総合エネルギー研究会、40-45頁。
- ^ a b 伊藤昌哉 1982, pp. 475–477.
- ^ 『朝日新聞』1979年1月16日付夕刊、1頁、「太田擁立あす決定 社党・総評」。
- ^ a b 諏訪賀久夫「国政レベルの都知事選挙」 『改革者』1979年3月号、民主社会主義研究会議、45-51頁。
- ^ a b c 田中義郎「なぜ東京は燃えなかったのか」 『新聞研究』1979年6月号、日本新聞協会、26-28頁。
- ^ a b 太田久行 1979, p. 16.
- ^ 『革新』1979年3月号、民社党本部教宣局、17頁。
- ^ 『法と民主主義』1979年3月号、日本民主法律家協会、1頁。
- ^ “第87回国会 衆議院 決算委員会 第4号 昭和54年3月20日”. 国会会議録検索システム. 2023年11月16日閲覧。
- ^ a b 『法と民主主義』1980年11月号、日本民主法律家協会、46-48頁。
- ^ a b “第87回国会 衆議院 地方行政委員会 第13号 昭和54年5月25日”. 国会会議録検索システム. 2023年11月22日閲覧。
- ^ a b c d 麻生 1979, pp. 82–94.
- ^ 『週刊朝日』1979年4月20日号。
- ^ 宮川隆義「統一地方選 麻生良方現象の研究」 『中央公論』1979年5月号。
- ^ a b 『朝日新聞』1979年4月8日付朝刊、5頁、「投石、太田候補けが 全治十日」。
- ^ 清沢美子「私のふるさと再発見」 『社会主義』1978年8月号、新情報社、31-32頁。
- ^ a b 黒田 1980, pp. 223–227.
- ^ 『朝日新聞』1979年2月23日、21頁、「私もやります '79都知事選」。
- ^ 『朝日新聞』1979年2月23日付夕刊、10頁、「学者・文化人・タレント…『応援団』勢ぞろい」。
- ^ 麻生 1979, pp. 56–58, 98–99.
- ^ 『朝日新聞』1979年3月18日付朝刊、21頁、「中村法大総長ら『太田支持』 科学者集会にメッセージ」。
- ^ 東京都選挙管理委員会 | 選挙結果&データ | 各種選挙における投票率 - ウェイバックマシン(2003年8月11日アーカイブ分)
- ^ 東京都知事選 - 過去の選挙 朝日新聞デジタル
- ^ “中日ニュース No.1317_2「都知事に鈴木氏 第九回統一地方選」”. 中日新聞社 (2017年2月22日). 2023年11月22日閲覧。
- ^ 『朝日新聞』1979年4月10日付朝刊、20頁、「善戦の太田氏 区部の『太田票』食う」。
- ^ “中野区・区長選 (東京都)”. 政治データのブログ (2019年6月16日). 2023年10月12日閲覧。
- 1 1979年東京都知事選挙とは
- 2 1979年東京都知事選挙の概要
- 3 概説
- 4 立候補者
- 5 参考文献
- 6 外部リンク
- 1979年東京都知事選挙のページへのリンク