T.O.K.Y.O作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 06:03 UTC 版)
「革新自治体」の記事における「T.O.K.Y.O作戦」の解説
1974年の田中内閣当時、革新自治体を嫌悪していた自治省が企画し、5年ほどかけて大規模な革新自治体を潰していく作戦。T.O.K.Y.Oとは、T=東京都(美濃部亮吉知事)、O=大阪府(黒田了一知事)、K=京都府(蜷川虎三知事)、Y=横浜市(飛鳥田一雄市長)、O=沖縄県(屋良朝苗知事)の5革新自治体であり、最終目標はその頂点に位置する東京都知事のポストを保守陣営が奪還することにあった。この時期、オイルショックとスタグフレーションにより国も地方も財政が逼迫していたが、多くのマスコミは財政問題について革新自治体に比重を置いて批判的な記事を書いていった。とくに産経新聞は記事の行間に「行革に反対する議員を落選させよう」などのスローガンを挿入するなど、露骨な革新自治体批判を展開していたが、批判の嚆矢は1975年1月22日の朝日新聞の社説「行き詰まった東京都の財政」で、都が放漫財政を行って人件費を乱費した上、福祉予算を膨張させたために都財政が逼迫したと批判したことにあるといわれる。結果的にこのアンチ革新自治体のキャンペーンは国民に浸透し、自治省が企んだ「T.O.K.Y.O作戦」は1978年京都府知事選挙と1978年横浜市長選挙において革新系候補が相次いで落選し、翌年の1979年大阪府知事選挙での黒田了一の落選や、1979年東京都知事選挙において、元内閣官房副長官の鈴木俊一が革新陣営が擁立した総評議長の太田薫らを破り、都知事の座を保守陣営が奪還したことにより結実した。
※この「T.O.K.Y.O作戦」の解説は、「革新自治体」の解説の一部です。
「T.O.K.Y.O作戦」を含む「革新自治体」の記事については、「革新自治体」の概要を参照ください。
- T.O.K.Y.O作戦のページへのリンク