赤版として創刊
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創刊の作業は、当時の編集部の吉野源三郎が担当し、吉野が目にしたイギリスのペーパーバックであるペリカン・ブックスを参考に判型が決められた。装幀は吉野の依頼を受け、美学者・美術史学者である児島喜久雄が担当。2006年(平成18年)まで長く用いられた表紙のランプや、扉部分の四隅で風を吹きかけあうアネモイ(ギリシャ神話の風神)を描いた。また創刊当初の表紙の色を赤一色にしたのは岩波茂雄の指示による。 創刊の辞は「道義の精神に則らない日本の行動を深慮し、権勢に媚び偏狭に傾く風潮と他を排撃する驕慢な思想を戒め、批判的精神と良心的行動に拠る文化日本の躍進を求めての出発である」と、「岩波新書創刊50年、新版の発足に際して」(1998年1月)に引用されている。 この赤版は戦争による一時中断を経て、101点刊行された。 岩波新書創刊第一冊目は、矢内原忠雄がリンカーン、エレミヤ、日蓮、新渡戸稲造などの伝記を『余の尊敬する人物』と題して構想しており、岩波の了解も得ての予定だったが急遽変更となり、1938年(昭和13年)赤版1、2の上・下二冊としてクリスチーの『奉天三十年』(上・下)を翻訳で発刊した。発刊の辞は「今茲に現代人の現代的教養を目的として岩波新書を刊行する」としている。 1944年、苛烈な戦時下にあって、岩波新書は刊行点数98点を以て中絶のやむなきにいたり、超えて1946年、3点を発行したのを最後に赤版新書は終結した。
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