1950年 - 1984年
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「アウトバーン 3」の記事における「1950年 - 1984年」の解説
A 3路線の建設は1950年代に再開した。オーバーハウゼンとエメリッヒまでの区間は建設が1958年に再開された。オーバーハウゼンからヴェーゼルまでの区間は1961年に開通した。エルテン国境通過店からエメリッヒまでの7.2 kmの区間も同時期に建設された。この区間は1962年に完成された。オーバーハウゼンからオランダ国境までの区間は1965年に全線開通できた。 ヴィースバーデン以南の路線建設は1950年に再開されたヴァイルバッハまでの区間は1951年、フランクフルト=南までの区間は1956年7月10日に開通された。同時にフランクフルト空港付近にA 5とのJCT(フランクフルトJCT)も建設され、戦後西ドイツ最初のアウトバーン交差点の建設であった。 フランクフルトからエアランゲンまでの区間(長さ214 km)の建設は9年間かかった。1959年12月15日にロールプルンまでの区間が開通された。その後、ヴュルツブルク=西までの区間は1961年10月27日に、ニュルンベルクまでの区間は1964年11月26日に開通された。この区間の建設で工事作業員21人は労災に遭い、殉職した。 ニュルンベルク以南の路線の建設は1958年から再計画された。冷戦体制下で拡大されたホーエンフェルス演習場を迂回する必要が生じ、戦前の計画より異なる路線を設定することが必要になった。レーゲンスブルクまでの区間は1971年まで完成された。 デッゲンドルフからパッサウまでの区間は1968年から建設された。イッゲンスバッハまでの区間は1975年に、パッサウ=北ICまでの区間は1978年に、パッサウ=南ICまでの区間は1979年に、オーストリア国境までの区間は1983年に開通した。 レーゲンスブルクからデッゲンドルフまでの区間は最も遅く完成された。建設は1970年代末から実施された。開通は1984年に行なわれ、A 3全線開通が果たされた。なお、ドイツ・アウトバーンのナンバリング制度は1975年に導入された。その時から本線がA 3となっている。
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