1950年 - 1998年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 05:42 UTC 版)
「サンゴバン」の記事における「1950年 - 1998年」の解説
1950年から1969年にかけて、サンゴバンは毎年10%ずつ売り上げが増加した。1950年には3万5千人だった従業員が1969年には10万人に達した。1960年代末には150以上の子会社を抱えるようになっていた。 第二次世界大戦後の建設ブームと消費拡大により、ガラスやグラスファイバーの製造で大きな利益を上げた。サンゴバンのガラスは自動車から建築物まで様々な場所で使われ、年間生産量は1950年に350万m2だったものが1969年には4500万m2となった。グラスファイバーは1950年には全売り上げの4%だったものが、1969年には20%を占めるようになった。 フランス国内の売り上げはサンゴバン全体の5分の1に過ぎず、スペイン、ドイツ、スイス、ベルギーも重要な市場となっていた。 1968年、フランスの企業グループ Boussois-Souchon-Neuvesel(現・ダノン)が、パリバとラザード、さらにNeuflize Schlumberger Mallet(現・ABNアムロ銀行)の協力を得て、サンゴバンに対し敵対的買収をしかけた。サンゴバンは即座にホワイトナイトとなってくれる企業を探した。スエズ社は、サンゴバンと Pont-à-Mousson が合併すればBSNが手出しできなくなるだろうと助言した。 1971年に合併して Saint-Gobain-Pont-à-Mousson となったが、後に単にサンゴバンとなり、ガラスやグラスファイバー以外にパイプを製造するようになった。 1970年代はオイルショックによって西側経済が停滞した。サンゴバンの業績も低迷し、リストラを迫られた。 1981年、社会党のフランソワ・ミッテランが大統領となり、主要企業の国有化を進めた。サンゴバンも1982年2月に国家の統制下に入った。ミッテラン大統領のときにロスチャイルドへ接近し、経営主体性を維持した。すなわち1983年にジェネラル・デ・ゾー(現ヴィヴェンディ株)を33%保有していると公表し、また5年後には主要土建子会社(Société Générale d'Entereprise)をデ・ゾーに売却している。サンゴバンの国有体制は長く続かず、1987年には国有でなくなった。 国有でなくなったサンゴバンでは、技術畑出身の Jean-Louis Beffa がCEOに就任し、10年をかけて組織再編を行い、特に高機能材料の開発を強力に推進していった。将来の成長が見込める研磨剤やセラミックスといった市場への進出を推し進めた。 同時に国際的な拡大も継続し、単に海外に工場を設置するだけでなく、海外の競合企業の買収も行った。1996年、フランスの建材流通業の大手 Poliet を買収し、事業構成が大きく変化した。
※この「1950年 - 1998年」の解説は、「サンゴバン」の解説の一部です。
「1950年 - 1998年」を含む「サンゴバン」の記事については、「サンゴバン」の概要を参照ください。
- 1950年 - 1998年のページへのリンク