吉田カツ
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吉田 カツ(よしだ かつ、1939年11月4日[1] - 2011年12月18日)は、日本のイラストレーター。本名、吉田勝彦(よしだ かつひこ)。
経歴
1961年、大阪美術学校(現、大阪芸術大学)デザイン科を卒業後、平沢志郎デザイン室で働き始めるが3か月で退職[3]。
1963年、オギノスタジオ入社[3]。
1968年、オギノスタジオ退社、旭通信社入社[3]。
1970年、旭通信社退社[3]。
1971年、上京[2]。
1973年、妻・智恵子と大阪で挙式。
1974年、『ローリング・ストーン』誌の仕事をきっかけにキョードー東京の出版物や『GORO』 、『アドリブ』、『月刊プレイボーイ』等の雑誌のイラストレーションを手がけるようになる[2][3]。
1976年より、「フリーランス・イラストレーター・カツ(KATSU)」と名乗る[4][5]。
1977年からはアートディレクターの石岡瑛子と組んでPARCOのポスターや雑誌『野性時代』表紙、西武劇場「サロメ」のポスター等を制作[2]。
1979年、青山のグリーン・コレクションズで初の個展を開催[2]。
2005年、東京から故郷の篠山市へ仕事場と居を移す[2]。
作品
- マルサの女2(伊丹十三監督)(1988年)のポスターグラフィック。
- フジサンケイグループのシンボルマーク「目玉マーク」[7]
- キリン一番搾り 美味くて喜ぶ顔のマーク[8]
- 全日空グループの機内誌『翼の王国』表紙イラスト[7]
- Mandance 1982年に発売されたジャズ・ドラマーのロナルド・シャノン・ジャクソンのアルバムのカバー・イラスト。
- Consecration-The Last 1989年にアルファレコードから発売されたビル・エヴァンズトリオのアルバムのカバー・イラスト。
- 青春玉 -学生時代- 1992年に発売されたロックバンド爆風スランプのベスト・アルバムのジャケット・アート。
著作
- 『Books』(光琳社出版、1993年)
- 『High coup』(講談社インターナショナル、1985年)
- 『Katsu on Issey』(三宅一生と共著、CBS・ソニー出版、1982年)
- 『M,m』(光琳社出版、1994年)
- 『Picaro』(リブロポート、1988年)
- 『Popular』(共著、講談社、1985年)
- 『すごい島』(ほるぷ出版、 1991年)
- 『だいじょうぶマイ・フレンド』(村上龍と共著、集英社、1983年)
- 『東京味のグランプリ. 1986』(山本益博と共著、講談社、1986年)
- 『花』(光琳社出版、1998年)
- 『バハマブック』(情報センター出版局、1991年)
- 『満月変』(ミリオン出版、1983年)
- 『吉田カツ個展1979-1991』(光琳社出版、1992年)
- 『吉田カツ・セクサス』(美術出版社、1980年)
- 『ラウンド・ミッドナイト』(JICC出版局、1984年)[9]
脚注
- ^ 『現代物故者事典2009~2011』(日外アソシエーツ、2012年)p.664
- ^ a b c d e f “吉田カツ 日本美術年鑑所載物故者記事(東京文化財研究所)”. 2025年3月12日閲覧。
- ^ a b c d e 吉田カツ『吉田カツ・セクサス』美術出版社、1980年。
- ^ 東京地裁 平成7年(ワ)第6276号 著作者実名登録抹消登録請求事件
- ^ 吉田カツ『Popular』講談社、1985年。
- ^ “イラストレーターの吉田カツ氏死去”. 時事通信. (2011年12月24日) 2011年12月26日閲覧。
- ^ a b “画家の吉田カツ氏死去…フジサンケイの目玉マーク描く”. スポーツニッポン. (2011年12月24日) 2011年12月26日閲覧。
- ^ 日本食糧新聞1998年1月21日付3面
- ^ 著作一覧は国立国会図書館のNDL-OPAC Archived 2002年10月2日, at Archive.isの検索結果による。
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