その他テレビに関する話題
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「2002年のテレビ (日本)」の記事における「その他テレビに関する話題」の解説
日本テレビがこの年の年間視聴率で1994年から9年連続3冠王となる。翌2003年春には年度視聴率でも9年連続3冠王となる。
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「2025年のテレビ (日本)」の記事における「その他テレビに関する話題」の解説
7月(予定) -【新社屋・宮崎県】 宮崎放送(MRT、TBS系)が宮崎市錦本町の県有グラウンド用地に建設する新本社屋を完成させる予定(正式な着工日・本社移転・放送開始日は未定)。
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「1976年のテレビ (日本)」の記事における「その他テレビに関する話題」の解説
この年の年間視聴率は(局別では)、NHK総合が全日帯(6-24時)、TBSがゴールデンタイム(19-22時)、日本テレビがプライムタイム(19-23時)がそれぞれ首位を獲得、3局で分け合う形となった。ちなみにNHKの全日首位とTBSのゴールデン首位はそれぞれ1963年から14年連続、日本テレビのプライムの首位はビデオリサーチ社が1973年にプライムの時間帯の調査を開始してから初めてのことであった。 4月1日 - テレビ宮崎(UMK)がこの日、NETテレビ(現・テレビ朝日)系列ANNネットワーク加盟。 7月 - 東京都東村山市は、同市出身のタレント志村けん(ザ・ドリフターズ)がTBS系『8時だョ!全員集合』でヒットさせた「東村山音頭」(前述)において「東村山市の知名度を高めた」功績を称え、志村に熊木令治市長(当時)から感謝状が贈られるとともに、西武新宿線東村山駅前に3本のケヤキ(志村けんの木)を植樹。同木は志村没後の2022年現在も同市民や志村ファンに親しまれている。 9月4日 - NHKの第11代会長・小野吉郎が辞職。ロッキード事件で逮捕された元内閣総理大臣・田中角榮が東京拘置所より保釈された際、小野が東京都文京区目白台の田中私邸へ見舞いの訪問を行ったことが問題視され、世論の指弾を浴びた末に辞職に至った。後任の第12代会長にはNHK生え抜きの人物として初となる坂本朝一が選任され、9月21日に就任した。 12月22日 - 沖縄県先島諸島にて、NHK沖縄放送局(総合・教育)が沖縄本島のみならず、本土と同時放送となった。総合テレビは前身の沖縄放送協会宮古・八重山各放送局として開局した1967年以来、教育テレビとの混合編成から生まれ変わり(それまでは通常番組は遅れ放送、ニュース番組はラジオ第1の音声を用いた同時放送を経て、白黒映像での同時放送であった)、教育テレビは新規開局となった。
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「1977年のテレビ (日本)」の記事における「その他テレビに関する話題」の解説
4月1日 - 日本教育テレビ(NET)が正式社名を全国朝日放送(ANB)に変更。名称を『テレビ朝日』とする(2003年10月に社名もテレビ朝日 とし、略称をEXに改め、現在に至る)。 9月 - 芸能界においてマリファナ汚染事件が起こり、歌手の研ナオコ、内藤やす子、にしきのあきら、美川憲一、井上陽水などが逮捕された。そのため、テレビ各局は番組や出演者の変更等の対処に追われた。 9月26日 - 民間の視聴率調査会社、ビデオリサーチによる視聴率調査方法が変更され、この日より関東地区にてオンラインメータシステムによる調査を開始。現在とほぼ同等の調査方法となる(関西地区では1980年、名古屋地区では1986年より開始)。 10月 - 再放送や国外製作番組の放送等の例外を除き、白黒テレビ放送が廃止(完全カラー放送へ移行)。最後まで白黒放送を行っていた放送局はNHK教育テレビ。 この年の年間視聴率は(局別では)、NHKが全日帯(6-24時)、TBSがゴールデンタイム(19-22時)、日本テレビがプライムタイム(19-23時)がそれぞれ首位を獲得、3局で分け合う形となった。ちなみにNHKの全日首位とTBSのゴールデン首位はそれぞれ1963年から15年連続、日本テレビのプライムの首位は1976年から2年連続で達成した。
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「1983年のテレビ (日本)」の記事における「その他テレビに関する話題」の解説
フジテレビが(在京民放局で)前年から続く2年連続の年間視聴率3冠を達成。『オレたちひょうきん族』や『笑っていいとも!』等のバラエティの好調も要因の一つとなった。 3月1日 - 沖縄テレビ放送(OTV)が那覇市久米から同市久茂地の現在地に移転。 3月17日 - 学習研究社(現・学研ホールディングス)からテレビ専門誌『TV LIFE』創刊(現在は学研パブリッシングから刊行)。当初は週刊誌 として刊行され、その後現在の隔週誌となる。 3月31日 - 福島テレビ(FTV)がこの日をもってTBSをキー局とするJNNを脱退、『JNNニュースコープ』などのJNN報道番組がFTVでは全て終了。 4月1日岡山県のみを放送対象地域としていた山陽放送(現:RSK山陽放送)が香川県での放送を開始。また香川県のみを放送対象地域としていた西日本放送(RNC)も岡山県での放送を開始した(第2次岡山・香川相互乗り入れ)。(詳細は岡山県・香川県の放送を参照)。 前日にJNNを脱退した福島テレビがフジテレビをキー局とするFNSの単独ネットに一本化(一部番組を除く)、同時にFNNにも加盟。但しTBS系列の番組の大半が視聴者保護の観点から9月30日まで同時ネットで放送された。 9月1日 - テレビ愛知(TVA)開局。全国の民放テレビ局では100局目、愛知県域第5局、テレビ東京系列では3局目の開局となった。 10月1日新潟テレビ21(NT21、現・UX)開局。新潟県域第4局、テレビ朝日系列(フルネット局)では12局目の開局となった。これに伴いフジテレビ系列とテレビ朝日系列のクロスネット局だった新潟総合テレビ(現:NST新潟総合テレビ)はフジテレビ系列の単独ネット局に移行。 北海道文化放送(UHB)がCIロゴ導入(現在も使用中)。 12月4日 - テレビユー福島(TUF)開局。福島県域第4局、TBS系列局では25局目の開局。福島テレビがフジテレビ系列にネットチェンジしてから2ヶ月(報道番組では8ヶ月)振りの福島県のTBS系列局である。 沖縄テレビ放送新社屋稼働開始(3月1日) テレビ愛知(9月1日開局) 新潟テレビ21(10月1日開局) テレビユー福島(12月4日開局)
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「2000年のテレビ (日本)」の記事における「その他テレビに関する話題」の解説
2月28日 - 東京放送(TBS)が一般公募によって選ばれたシンボルマーク「ジ〜ン」をこの日発表。4月1日からTBSテレビなどのTBSグループ各社で使用を開始(1994年4月から使われているローマン体の「TBS」ロゴマークと併用)し、TBSや毎日放送他JNN各局制作の全国ネット番組で一部番組を除いて制作クレジットロールで表示される。系列シンボルマークとしてはテレビ朝日に続いて2番目。 3月 - TBSがバラエティ番組やテレビドラマの制作部門を「株式会社TBSエンタテイメント」、スポーツ番組の制作部門を「株式会社TBSスポーツ」にそれぞれ分社化(2004年10月1日に両社が合併して現在は株式会社TBSテレビ)。 12月1日BSデジタル放送が開始。 日本衛星放送、社名をWOWOWに変更する(「WOWOW」は開局時から愛称として使用していた) 。 日本テレビをはじめとする系列各局が全地域で年間視聴率で三冠を達成。
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「1975年のテレビ (日本)」の記事における「その他テレビに関する話題」の解説
3月31日 - 毎日放送(MBS)と朝日放送(ABC、現・朝日放送テレビ)による東京→大阪間ネットワークチェンジ(いわゆる腸捻転解消)を挙行。これにより、毎日放送はJNN、朝日放送はANNにそれぞれ当日をもってネットワーク加盟。また、ANN単独加盟ながらJNN系列の番組の大半(報道番組含む)を番組販売扱いでネットしていた青森テレビ(ATV)もANNを脱退してJNNに正式加盟。なお、青森県のANN系列はNNN・NNS系列の青森放送(RAB)に移行し、RABはクロスネット局に移行。 9月1日 - 宮城テレビ放送が開局5周年を機に、局の愛称を「宮城テレビ」から「ミヤギテレビ」に、略称も「MTB」から「mm34」に改める(略称は1985年10月に「MMT」、愛称は2010年1月に「ミヤテレ」にそれぞれ再変更)。 10月1日日本民間放送連盟のCM基準改正により、プライムタイムなどにおけるスポットニュースなどのミニ番組の放送枠が、これまでの5分から6分に拡大。日本テレビ系列(NNN)、フジテレビ系列(FNN)、NETテレビ(現・テレビ朝日)系列(ANN)、東京12チャンネル(現・テレビ東京)が先行して実施。なお、TBS系列(JNN)は実施を見送った。 東日本放送(宮城県、NETテレビ系)、テレビ新広島(広島県、フジテレビ系)がそれぞれ開局。これにより、7大都市圏での民放4局化が完了するとともに、両県の日本テレビ系列局(ミヤギテレビ、広島テレビ)がそれぞれクロスネット解消。さらに広島ホームテレビ(NETテレビ系)でネットしていた一部の日本テレビ系・フジテレビ系の番組が姿を消す。
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「1979年のテレビ (日本)」の記事における「その他テレビに関する話題」の解説
福岡放送2代目社屋(サンセルコ内)稼働開始(3月5日) テレビ埼玉(4月1日開局) 静岡第一テレビ(7月1日開局) TBSがこの年の年間視聴率で在京民放局5局において3冠王となる(1978年から1981年までの4年間)。 3月5日 - 福岡放送(FBS/日本テレビ系列)がこの日、本社・演奏所が福岡市博多区築港本町の博多パラダイスから同市中央区渡辺通の複合ビル「サンセルコ」に移転、稼働開始。 4月1日岡山県と香川県の民放テレビジョン放送のエリアが一本化された。元は香川県域局の瀬戸内海放送(KSB/テレビ朝日系列)が岡山に進出し(小豆島中継局の指向性を解除し、岡山向けに出力を増力)、11月30日には元岡山県域局の岡山放送(OHK/フジテレビ系列。それまではテレビ朝日系列とのクロスネット局であった。当時はテレビ岡山の呼称を使用していた)が金甲山の親局の指向性を解除し、出力も増力した。「岡山県・香川県の放送#岡山・香川両県の民放相互乗り入れ放送」も参照 埼玉県域の独立局・テレビ埼玉(TVS/テレ玉)が開局。 テレビ宮崎(UMK、フジテレビ系列・日本テレビ系列・テレビ朝日系列クロスネット)がこの日、NNNに正式加盟。 6月 - 1967年にTBS(東京放送、現在のTBSホールディングス(TBSHD))アナウンサー12期生して入社、以来ラジオ番組などで活躍し、当時『ぴったしカン・カン』『ザ・ベストテン』の司会で活躍中だった久米宏が同月を以て退社、フリーとなる。 7月1日 - 静岡県域4番目の民放テレビ局・静岡第一テレビ(SDT/だいいちテレビ→Daiichi-TV、日本テレビ系列)が開局。これに伴い、前年開局した静岡県民放送(SKT/静岡けんみんテレビ。現在の静岡朝日テレビ(SATV/あさひテレビ))はテレビ朝日系列と日本テレビ系列のクロスネット局からテレビ朝日系列の単独ネットとなる。 8月8日 - 電電公社(当時、現・NTT)のテレビ中継回線のステレオ化工事が完了。これにより、音声多重放送実施局のネット受け番組に於いて、ステレオ放送が可能となった。 11月1日 - 郵政省、NHKと民放テレビ9657局に再免許。NHK総合テレビと一般放送事業者には教育10%以上、教養20%以上の番組を確保する条件を出した。ただし全国朝日放送(テレビ朝日)と東京12チャンネルには引き続き教育20%以上、教養30%以上の確保を義務付けた。
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「1972年のテレビ (日本)」の記事における「その他テレビに関する話題」の解説
テレビ神奈川(4月1日開局。写真は初代本社で、現在は解体済み) びわ湖放送(4月1日開局) NHK沖縄放送局(5月15日沖縄返還により開局) 4月1日フジテレビ系列の北海道文化放送(UHB)、独立局のテレビ神奈川(TVK)、びわ湖放送(BBC)とUHF(アナログ)を親局とする民放3局が開局。 島根放送(TSK、テレビしまね)が山陰中央テレビジョン放送に社名変更。 5月15日 - 沖縄が日本本土に返還され、新生沖縄県が発足。NHK沖縄放送局が開局(沖縄放送協会が解散)。沖縄テレビ(OTV)、琉球放送(RBC)両局がコールサイン・チャンネル番号を変更。これと同時に沖縄テレビはFNN・FNSに、琉球放送はJNNにそれぞれ正式加盟(詳しくは各局の項を参照)。 6月14日 - 日本テレビネットワーク協議会(NNS)発足。日本テレビほか18局が参加。 7月1日 - 映像・音声周波数の単位がメガサイクル(Mc)からメガヘルツ(MHz)に変更。同じくして、日本テレビの放送開始・終了時に流れる映像「鳩の休日」が開局以来19年間使われたモノクロ版から、カラー版へと一新。 9月22日 - 鳥取県と島根県に本社を置く民放テレビ局が両県への相互乗り入れを開始(山陰準広域圏)。鳥取県を放送対象地域としていた日本海テレビ(NKT)が島根県での放送を開始。また島根県を放送対象地域としていた山陰放送(BSS、本社は鳥取県米子市)、山陰中央テレビも鳥取県での放送を開始。
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「1984年のテレビ (日本)」の記事における「その他テレビに関する話題」の解説
瀬戸内海放送岡山本社(KSB会館)稼働開始(6月1日) 宮崎放送新社屋稼働開始(9月1日) フジテレビが1982年から在京民放局で3年連続の年間視聴率3冠王を達成する。翌1985年春には、年度視聴率でも在京民放局で3年連続の3冠王を達成する。 1月23日 - 日本初の実用放送衛星、ゆり2号a打ち上げ。 5月12日 - NHKが衛星放送の試験放送を開始。 6月 - テレビ朝日アナウンサーの古舘伊知郎が、1977年 から7年3ヶ月勤務した同局を退職、フリーアナウンサーとなる。 6月1日 - 瀬戸内海放送(KSB)が岡山県の拠点として、岡山市大供(現・北区大供)に「KSB会館」が落成。同時に岡山総局が「岡山本社」に昇格した。 7月31日 - 兵庫県明石市で朝日放送の取材ヘリが毎日新聞社ヘリとが接触し墜落、3名が死亡する事故が発生。 9月1日 - 宮崎放送(MRT)の本社・演奏所が宮崎市下北方町から同市橘に移転、稼働開始。 10月1日 - 瀬戸内海放送の親局送信所が前田山送信所(香川県高松市)から金甲山送信所(岡山県玉野市・岡山市)に移転。親局のアナログチャンネル数も33ch(高松)→25ch(岡山)に変更(高松局は中継局に格下げ)。
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「1973年のテレビ (日本)」の記事における「その他テレビに関する話題」の解説
奈良テレビ放送(4月1日開局) NHKホール(6月20日竣工) NHK放送センター(8月稼働開始) 東京12チャンネルのロゴ 4月1日名古屋放送(NBN、名古屋テレビ。現・名古屋テレビ放送、メ〜テレ)が日本テレビと日本教育テレビ(NETテレビ。現・テレビ朝日)のクロスネットからNETテレビ系列のシングルネット局に、中京テレビ放送(CTV)もNETテレビと日本テレビのクロスネットから日本テレビ系列のシングルネットにそれぞれ一本化され、中京地方に於いての「複合ネット」が解消される。これと同時に、中京テレビは名古屋テレビから入れ替わる形で日本テレビネットワーク協議会(NNS)とNNNに加盟する。詳細は「ネットチェンジ#中京広域圏(名古屋局)における名古屋放送(メ〜テレ)と中京テレビ放送の「複合ネット」とその解消」を参照 奈良テレビ放送(UTN、現・TVN)開局。ここの年の新規開局は、後述する東京12チャンネルを除くとこの1局のみであった。 日立グループ(日立製作所ほか)の企業CM「日立の樹」が、日本テレビ系『日立ドキュメンタリー すばらしい世界旅行』番組内で放映開始。「この木なんの木」のフレーズで知られるCMソング(作詞:伊藤アキラ、作曲:小林亜星)と共にお茶の間に親しまれ、何度ものマイナーチェンジを経て、2021年現在も続く長寿CMとなっている。 4月2日 - NHK、津および岐阜エリアにて県域テレビジョン放送開始。 6月3日 - 必殺仕置人殺人事件が発生(神奈川県川崎市)。 6月20日 - 渋谷区神南にNHKホールが完成。 7月16日 - NHK第10代会長を務めた前田義徳が退任、後任の第11代会長に元郵政事務次官の小野吉郎が就任。 7月31日 - NHK、本部機能を千代田区内幸町の旧放送会館から渋谷区神南の放送センターに移転。 10月1日 - 日本民間放送連盟のCM基準改正により、ゴールデンタイムにおけるスポットニュース等のミニ番組の放送枠が、これまでの4分から5分に拡大。 10月19日 - 郵政省、テレビジョン放送用周波数割当計画の一部修正。京浜地区の民放教育専門局用周波数2波(第10と第12チャンネル)を廃止し、総合番組局用(チャンネルは同じ)割り当て。同時に宮城(32チャンネル)と広島(31チャンネル)に各1波割り当て。長野・新潟と静岡には3民放を認める。 10月24日 - 東京12チャンネルの番組を制作する株式会社東京十二チャンネルプロダクションが、株式会社東京十二チャンネルに社名変更。「放送法によるテレビジョン等放送事業」を目的に追加。日本科学技術振興財団テレビ局の資産等を受け継ぐ。 10月31日 - 日本科学技術振興財団テレビ事業本部が運営していた東京12チャンネルがこの日をもって放送終了(日本科学技術振興財団が7月に行った再免許申請を取り下げた。このため財団所属の1社8局が廃局)。郵政省、NETと東京十二チャンネルに対して総合番組局としての予備免許交付。番組編成に関して教育20%以上、教養30%以上の確保が条件(翌11月1日本免許)。 11月1日 - 東京12チャンネルが総合番組局として改めて開局(1社8局。新規免許であり、日本科学技術振興財団からの免許継承ではない)。NET、総合番組局となる。 郵政省、全国のNHKと民放5894局に再免許を交付。 東京ニュース通信社、朝日・毎日・読売・日経と東京の5新聞にラジオ・テレビ欄の一括制作と配信を開始。 12月 - 在京キー局と新聞社とがそれぞれ保有する株式の整理が実施され、日本テレビ=読売新聞、TBS=毎日新聞、フジテレビ=サンケイ新聞、NET=朝日新聞、東京12チャンネル=日本経済新聞の形による「新聞・放送」の株式単一化が進められた。 12月22日 -【訃報】2020年度後期NHK連続テレビ小説『おちょやん』のヒロインのモデルとなった人物で、松竹新喜劇の看板女優を経て映画などで活躍し、テレビドラマではNHK大河ドラマ『太閤記』(1965年)や『細うで繁盛記』シリーズ(読売テレビ制作・日本テレビ系)などに出演、また大塚製薬「オロナインH軟膏」のCM・ホーロー看板でも知られた女優の浪花千栄子が死去(66歳没)。
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「1970年のテレビ (日本)」の記事における「その他テレビに関する話題」の解説
1月1日 - 日本教育テレビ(NET、現・テレビ朝日)をキー局とするオールニッポン・ニュースネットワーク(ANN)結成(ニュースネットワークとしての正式な発足は1974年4月1日)。 4月1日山形テレビ、福島中央テレビほか、この日だけでUHF第2次免許による民放UHF親局が8局も開局。 NETの完全子会社で、音楽管理事業の「エヌ・イー・ティー音楽出版」(現・テレビ朝日ミュージック)設立。 中京ユー・エッチ・エフテレビ放送(CUT)が社名を中京テレビ放送(CTV)に変更。 5月5日 - 静岡放送(SBS)がこの日、本社・演奏所が静岡市紺屋町(現・葵区紺屋町)の静岡新聞社内から同市石田(現・駿河区登呂)の静岡新聞・放送会館に移転、稼働開始。 9月11日 - フジテレビ、報道番組関係を除く制作部門の独立化を発表。 10月1日 - 宮城県の民放第3局となる宮城テレビ(MTB→MM34、現・ミヤギテレビ、MMT)開局。当時は日本テレビとNETテレビのクロスネット。 10月21日 - TBS系で1967年12月17日に放映された『ウルトラセブン』第12話「遊星より愛をこめて」の内容が、原爆被爆者を怪獣扱いしているとの被爆者団体からの抗議を受け、制作会社の円谷プロダクションが謝罪、第12話を欠番とすることを決定。詳細は「スペル星人#『ウルトラセブン』第12話「遊星より愛をこめて」の欠番扱い」を参照 11月10日 - 日本テレビ、東京タワーに送信所を移転。 12月1日 - 広島県の民放第3局となる広島ホームテレビ(UHT、現・HOME)開局。
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「1982年のテレビ (日本)」の記事における「その他テレビに関する話題」の解説
テレビ大阪(3月1日開局) 熊本県民テレビ(4月1日開局) 鹿児島放送(10月1日開局) フジテレビが開局以来初めて在京民放局年間視聴率3冠を達成 し、これまで首位だったTBSの牙城を崩した。なお、フジの年間3冠は1994年に日本テレビに奪取されるまで12年連続で続くこととなった。 NHKのカラー受信契約が3000万件を突破。 当時NHKアナウンサーの鈴木健二がエッセイ単行本『気くばりのすすめ』(講談社)を出版、400万部のベストセラーとなる。 2月13日 - 戦後に美空ひばり、雪村いづみと共に「三人娘」の一員として活躍し、TBS系ドラマ『サザエさん』『はじめまして』などのテレビドラマやバラエティに出演したことでも知られた歌手で女優の江利チエミが45歳で死去。 3月1日 - テレビ東京で開局以来初の地方系列局となるテレビ大阪(TVO)が開局。テレビ東京系列メガTONネットワーク(現・TXNネットワーク)で最初のネットワーク局となる。テレビ東京系はさらに翌年のテレビ愛知(この年12月に設立)から1991年のTVQ九州放送まで4局を開局、2012年現在計6局というネットワークになっている。 4月1日 - 熊本県で3番目の民放テレビ局・熊本県民テレビ(くまもと県民テレビ・KKT、日本テレビ系列)が開局。 9月22日 - 角川書店(現:KADOKAWA)からテレビ情報誌『ザテレビジョン』創刊。 10月1日 - 鹿児島県で3番目の民放テレビ局・鹿児島放送(KKB、テレビ朝日系列)が開局。 10月4日 - TBSの20・21・22時の各スポット枠が、5分から6分へ拡大。これで在京民放全ての同スポット枠が6分となった。 12月1日 - テレビ愛知設立(翌1983年9月1日開局)。 12月17日 - NHKの東京・大阪地区において、音声多重放送が本放送に切り替わる。 12月28日 - 俳優の岸田森が食道癌のため逝去(享年43)。最後の出演は12月20日放送のTBS系『水戸黄門』第10話「尾張名古屋の妖怪退治」だった。なお、この年1月まで放送していた特撮番組『太陽戦隊サンバルカン』(テレビ朝日系スーパー戦隊シリーズ第5作)に「嵐山大三郎長官」役で出演しており、翌1983年早々に関東地区で『サンバルカン』の再放送が始まったが、この時の再放送時は第1話の嵐山登場シーンに訃報テロップが添えられた。 12月29日 - 日本テレビ系『独占!スポーツ情報』の初代キャスターを務めたことで知られ、数多くのテレビ・ラジオ番組の司会を務め、独特の口調で人気を博したロシア出身のタレント、ロイ・ジェームスがこの日、53歳で逝去。
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「1985年のテレビ (日本)」の記事における「その他テレビに関する話題」の解説
フジテレビが1982年から、在京民放局で4年連続の年間視聴率3冠王を達成する。翌1986年春には、年度視聴率でも在京民放局で4年連続の3冠王を達成する。 4月 8日 - NHK放送センター(東京都渋谷区神南)内の見学コースが1965年の開設から20年を迎え内容を一新、この日「NHK展示プラザ」としてリニューアルオープン(1995年にNHKスタジオパークとしてリニューアル、2020年を以て閉館)。 7月 1日 - 前年大晦日の『第35回NHK紅白歌合戦』で紅組のトリを務めた都はるみを「ミソラ…」と間違えたことで世間の注目を集めたNHKアナウンサーの生方恵一が、東京アナウンス室から大阪放送局に異動。しかし、数日後に退職してフリーアナウンサーに転向する。 9月 1日 - 緊急警報放送の運用が開始される。 テレビせとうち(10月1日開局) テレビ朝日六本木アークヒルズ放送センター稼動開始(10月5日。写真は現在のテレビ朝日アーク放送センター) テレビ東京本社移転(12月12日。写真は虎ノ門本社(2011年撮影、現・神谷町スタジオ) 10月 1日テレビ東京系列4局目、岡山県・香川県エリア5番目の民放局となる、テレビせとうち(TSC)が開局。岡山・香川エリアとしても最後の開局であり、地上波民放テレビの開局は昭和では最後となった。また、五大都市圏以外の地域で唯一のテレビ東京系列局でもある。 ミヤギテレビ(日本テレビ系列)が略称を「mm34」から「MMT」に変更(現在も使用中)。 5日 - テレビ朝日の六本木アークヒルズ放送センター(9月30日完成)が稼働開始(翌年5月には本社機能も移転、現在は六本木ヒルズに本社を移転している)。 11月 29日 - NHK総合テレビ(東京・大阪)にて文字多重放送の運用を開始(翌年に全国整備完了)。 12月 12日 - テレビ東京が本社を港区芝公園から神谷町(虎ノ門)へ移転(2016年11月に現在の六本木本社へ移転、神谷町旧本社は「テレビ東京神谷町スタジオ」として継続使用)。
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その他テレビに関する話題
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「1990年のテレビ (日本)」の記事における「その他テレビに関する話題」の解説
年間 フジテレビがこの年の年間視聴率で1982年から9年連続3冠王となる。 4月 1日 - テレビ金沢(KTK、日本テレビ系)、長崎文化放送(NCC、テレビ朝日系)が開局。テレビ金沢の開局により、日本海側全域に日本テレビ系列局が出揃った。 5月 9日 - 読売テレビがこの日13時59分より1時間以上にわたり、関西地区全域にて放送が中断する事故があった。 7月 15日 - 元NHKアナウンサーで『NHK紅白歌合戦』などの司会を担当し「おばんでございます」のフレーズで知られる、フリーアナウンサーで参議院議員も3期務めた宮田輝が逝去(享年69)。なお、逝去時には参議院議員在職中であった。 23日 - テレビの研究開発を手掛けた電子工学者の高柳健次郎が逝去(享年91)。なお、当時放送中のNHK連続テレビ小説『凛凛と』では、高柳のライバルだった川原田政太郎が主人公のモデルとなっている。 9月 1日毎日放送(MBS。現MBSメディアホールディングス)が大阪市北区茶屋町の新社屋に移転。これまで本社を置いていた大阪府吹田市の千里丘放送センターは引き続き番組収録用スタジオとして2001年3月まで使用された後、2009年までに解体。 ティー・エックス・エヌ九州(現・TVQ九州放送)設立。翌年4月1日、テレビ東京系列(TXN)第6局として開局。 30日 - テレビ長崎(KTN)がこの日、フジテレビ系列(FNN/FNS)と日本テレビ系列(NNN/NNS)のクロスネットを解消。同日付でNNN・NNSを脱退し、翌日よりフジテレビ系列単独ネットとなる。 10月 1日NHKの東京・名古屋・大阪の各放送局にて、教育テレビの音声多重放送開始。 テレビユー富山(TUT、TBS系。現チューリップテレビ)が開局。日本海側のTBS系列局では現時点でTUTが最後発となる。 2日 - 元TBSアナウンサーで、『水戸黄門』や『兼高かおる世界の旅』を始め、『スクール☆ウォーズ』など大映テレビ制作のテレビドラマのナレーターとして知られる芥川隆行が逝去(享年71)。 28日 - 元フジテレビ社長で、フジサンケイグループ会議議長を務めた鹿内信隆が逝去(享年78)。 11月 30日 - 日本初の民間衛星放送局WOWOW、サービス放送開始(1991年4月1日開局)。 テレビ金沢(1990年4月開局) 長崎文化放送(1990年4月開局) 毎日放送茶屋町新社屋(1990年9月1日稼動開始) テレビユー富山(現・チューリップテレビ。1990年10月開局)
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「1974年のテレビ (日本)」の記事における「その他テレビに関する話題」の解説
1月 10日 - NHK教育テレビ、放送開始から15周年を迎えた。 16日 - 電気事業法に基づき電力使用制限令が出されたことから、NHKは総合・教育に加えて、当時東阪で行っていたUHF実験局で平日昼間と全日深夜(23時から翌6時まで)の放送休止に踏み切る。民放各社もこれに準じて前後の時期に深夜の終了時間を早めた。 4月 前年のオイルショックの影響で、プロ野球のナイター開始時刻が19:00から18:30へ早まった事から、この月より始まるプロ野球ナイター中継の放送枠が、それまでの20:00 - 21:26(→21:25)から19:30 - 20:55と30分繰り上がる。 01日NHK、新年度スタート。放送局を東京を含む70に削減し、廃止した地域には代わりの通信部・報道室を置いた。 放送時間短縮措置が一部緩和され、夜の終了時刻を総合テレビが23:15、教育テレビが23:30にそれぞれ変更(UHF実験局は23:00のまま)。 日本教育テレビ(NETテレビ、現・テレビ朝日)をキーステーションとするANNが正式発足。 テレビ和歌山(WTV、独立局)が開局。この年の民放局開局はこの1局のみ。 民間放送教育協会の中京広域圏の加盟局が、中部日本放送から名古屋テレビ放送に変更する。 9月 09日 - NHK、平日日中の放送休止を取りやめ。 10月 唯一夜のスポットタイムが4分だった東京12チャンネル(現・テレビ東京)が、この月より5分に拡大、全在京キー局の夜のスポットタイムが5分となる。 11月 19日 - 大阪の朝日放送(ABC)(当時、現・朝日放送テレビ)が朝日新聞社の方針により東京キー局をTBSからNETに、毎日放送(MBS)もキー局をNETからTBSにそれぞれ1975年3月31日付でネットチェンジすることを4社間で基本合意した。 12月 1日 - テレビ西日本(TNC、フジテレビ系列)の本社・演奏所が郵政省(当時)の方針で1958年の開局以来本社を置いていた北九州市八幡東区から福岡市南区高宮の福岡放送会館に移転。これに伴い親局のコールサインも北九州局の「JOHX-TV」から福岡局の「JOJY-TV」に変更される。
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「2004年のテレビ (日本)」の記事における「その他テレビに関する話題」の解説
2月29日 - 開局50年を機に日本テレビが汐留の新社屋(通称・日本テレビタワー)に移転し、殆どの生放送番組がハイビジョン制作に。 3月22日 - テレビ東京がデジタル・アナログ統合マスターの運用開始し、ハイビジョンで放送されるようになる。それに伴い、提供クレジットの文字フォントがBSジャパンと同じ仕様となる。 10月1日 - TBSのテレビ番組制作部門3社(TBSエンタテイメント・TBSスポーツ・TBSライブ)が合併、TBSエンタテイメントを存続会社として『株式会社TBSテレビ』が発足。
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「1971年のテレビ (日本)」の記事における「その他テレビに関する話題」の解説
群馬テレビ(4月16日開局) 千葉テレビ放送(5月1日開局) TBSがこの年の年間視聴率で、ゴールデンタイム(19〜22時)において首位となる(1963年から9年連続)。 NET(現・テレビ朝日)が同じくこの年の年間視聴率で、全日帯(6〜24時)において在京民放局で首位となる(1969年から3年連続)。 1月 1月19日 - TBS系列23社による「JNNネットワーク協議会」設立。 2月 2月1日 - 東京12チャンネル、報道局新設。 4月 1日 - NHK大津放送局、滋賀県域テレビジョン放送開始。 16日 - 関東地区初の独立UHF局、群馬テレビ(GTV)が開局。 5月 1日 - 千葉テレビ放送(CTC、チバテレ)が開局。 24日 - NHK神戸放送局、兵庫県域テレビジョン放送開始。 31日 - NHK和歌山放送局、和歌山県域テレビジョン放送開始。 10月 公正取引委員会の規則改正で「1人が1回の懸賞で得られる賞金・賞品の総額は100万円まで」となる。これに伴い、フジテレビ系『赤白パネルマッチ』は8月で、日本テレビ系『巨泉まとめて百万円』(よみうりテレビ制作)・TBS系『夢の世界旅行 クイズジャンボ』と『3・3が9イズ』(朝日放送制作)は9月でそれぞれ終了、フジテレビ系『ズバリ!当てましょう(第1期)』は9月を以て「3週連続優勝チームは世界一周旅行獲得」のルールを廃止、NET系『クイズタイムショック』は「賞金100万円+自動車(後にギリシャ旅行)」から「海外旅行を含む賞金賞品総額100万円」へ、TBS系『ベルトクイズQ&Q』は「賞金270万円」から「賞金100万円」へ、それぞれ変更した。その後上限は、1996年に「1000万円まで」に緩和され、2006年には撤廃される。 1日 - 前年の4月に開局した福島中央テレビ(FCT)が、これまでのフジテレビ系とNETテレビ系のクロスネットから、同局の筆頭株主である福島民友新聞社(読売新聞系)の方針で日本テレビ系とNET系のクロスネット局にネットチェンジ。開局からわずか1年半でFCTからフジテレビ系の番組が姿を消す。これに伴い日本テレビ系とTBS系のクロスネットだった福島テレビ(FTV)はTBS系とフジテレビ系のクロスネット局にネットチェンジ、同時にJNNにも加盟した。 10日 - NHK総合、全番組放送のカラー化を開始。11月14日にはTBSが夜の時間帯(17時30分 - 翌〈深夜〉0時30分)を全カラー化。 11月 5日 - NET、報道局を廃止。11月20日に朝日テレビニュース社と「報道番組等の制作に関する契約」を締結。朝日テレビニュース社にNET報道部員の出向を発令。これに伴い朝日テレビニュース社は「NET朝日制作株式会社」(現・テレビ朝日映像)に。 23日 - 青森放送(RAB、日本テレビ系)と福井テレビ(ftb、フジテレビ系)が系列を超えた2元中継を実施。 12月 20日 - フジテレビなどフジサンケイグループが「ディノス」設立。テレビショッピング番組などで取り上げる商品の仕入れ、宣伝、販売を行う。 23日 - 日本テレビがドキュメンタリーメインの製作プロダクション「日本映像記録センター」設立。社長に牛山純一が就任。
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「1999年のテレビ (日本)」の記事における「その他テレビに関する話題」の解説
深夜枠に限り放映されていた消費者金融のCMが全日に解禁された。但しTBSは社内上の問題から2001年3月まで解禁されなかった。 日本テレビがこの年の年間視聴率で1994年から6年連続3冠王となる。翌2000年春には年度視聴率でも6年連続3冠王となる。 2月 - 日本テレビ系列の静岡第一テレビでCM未放送問題が発覚。3月、日本民間放送連盟は同局に対して会員除名の処分を決定し、日本テレビネットワーク協議会(NNS)も同局の会員資格を無期限停止とした(現在は両方とも解除)。また、同局は『24時間テレビ』にも1999年と2000年の2年間参加を辞退した(番組は通常通りネット)。
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その他テレビに関する話題
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「1969年のテレビ (日本)」の記事における「その他テレビに関する話題」の解説
NHKのテレビ受信契約数が21,880,000件に達し、普及率が90%を突破。 TBSがこの年の年間視聴率で、ゴールデンタイム(19〜22時)において首位となる(1963年から7年連続)。 NET(日本教育テレビ、現・テレビ朝日)が同じくこの年の年間視聴率で、全日帯(6~24時)において在京民放局で首位となる(以後、1971年まで3年連続)。 1 - 3月 3月 - フジテレビ本社(新宿区河田町)タワービル完成(現在は解体)。 3月15日 - NHK佐賀放送局、NHKでは初となるUHF(アナログ)県域テレビジョン本放送開始。 3月22日 - NHK高松放送局、香川県を対象エリアとするUHF県域テレビジョン本放送開始。 4 - 6月 4月1日 - 中京ユー・エッチ・エフテレビ放送(現・中京テレビ放送)、岡山放送、瀬戸内海放送、福岡放送、サガテレビなどUHF(アナログ)を親局とする民放テレビ局が各地に開局。これまでラジオ単営だった近畿放送(現・京都放送)がラ・テ兼営局となる。 5月1日 - サンテレビジョンが開局。 5月5日 - 中部日本放送(CBC)の本社ビル「CBC会館」(名古屋市中区新栄)にて火災。この火災により中京エリアにて一時的に放送中断。詳細は「中部日本放送#CBC放送会館火事詳細」を参照 7 - 9月 9月17日 - NHK徳島放送局、徳島県知事選挙において日本で初めてテレビによる政見放送を実施(翌日には四国放送でも実施)。 10 - 12月 10月1日 - フジネットワーク(FNS)発足。この日秋田テレビと福井テレビの2局が開局し、さらに沖縄テレビを加え21局が加盟。 10月9日 - 読売新聞社元社主で、日本テレビの創業者であり同社の初代社長を務めた正力松太郎が逝去(享年84)。 10月11日 - 日本テレビの粉飾決算がこの日、大蔵省(当時)の指摘により発覚。 12月 - 日本経済新聞社が東京12チャンネルプロダクション(現・テレビ東京)の経営に参加。 12月1日 - 青森テレビ、テレビ岩手、三重テレビのUHF3局が開局。 12月10日 - 愛媛放送(現・テレビ愛媛)が開局。
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「1981年のテレビ (日本)」の記事における「その他テレビに関する話題」の解説
緑山スタジオ・シティ テレビ新潟 福島放送 KBS京都のロゴ テレビ東京の初代ロゴ TBSが、この年の年間視聴率で在京民放局5局において3冠王となる(1978年から4年連続)。 2月18日 - ザ・ドリフターズの仲本工事と志村けん、そして彼らがレギュラー出演するTBS系『8時だョ!全員集合』プロデューサーの居作昌果が、競馬のノミ行為により書類送検されたことが発覚。仲本と居作は罰金刑、志村は起訴猶予処分となった。3人とも1か月の謹慎となり、ドリフは残った3人での活動を余儀なくされた。 3月16日 - 神奈川県横浜市青葉区(当時は緑区の一部)にTBS所有のテレビドラマ専用スタジオ「緑山スタジオ・シティ」が竣工。5月7日より稼働開始。 4月1日新潟県第3番目の民放局、テレビ新潟放送網(TNN、現:TeNY。日本テレビ系列)開局。これに伴い日本テレビ系列とフジテレビ系列、テレビ朝日系列のトリプルネット局だった新潟総合テレビ(現・NST新潟総合テレビ、NST)はフジテレビ系列とテレビ朝日系列のクロスネット局に移行(テレビ朝日系列の新潟テレビ21〈NT21、現:UX〉開局前日の1983年9月30日まで)。 近畿放送(現・京都放送、KBS)が、呼出名称を「KBS京都」に変更。 7月1日 - 文部省の主導により特殊法人放送大学学園(当時)設立。テレビとラジオを使用した大学教育のための教育専門放送局であるが、国が放送局を持つことによる言論統制など反対意見も根強くあり、放送大学学園法案は4度目で日の目を見たほどの難産だった。首都圏ならびに群馬県での授業放送開始は1985年4月。なお2003年10月からは「私立学校法第三条に規定する学校法人」となり、あわせて文部科学省と総務省管轄下の特殊法人である。 8月22日 - 『寺内貫太郎一家』(TBS系、1974年 - 1975年)『あ・うん』(NHK総合、1980年)等のテレビドラマで知られる、作家で脚本家の向田邦子が、 台湾で発生した遠東航空103便墜落事故により死亡(享年51)。 10月1日フジテレビが、キャンペーンキャッチコピー「楽しくなければテレビじゃない」を採用。 東京12チャンネルが、社名を「テレビ東京」に変更。1964年に日本科学技術振興財団のテレビ事業本部(愛称:東京12チャンネル、呼出名称:科学テレビ)としてスタートした同局は、長年にわたり系列局を持たない関東ローカルの放送局としての面を持っていたが、翌年の1982年に初の地方系列局であるテレビ大阪が開局することに伴う社名変更であった。 福島県第3番目の民放局、福島放送(KFB、テレビ朝日系列)開局。これに伴い日本テレビ系列とテレビ朝日系列のクロスネット局だった福島中央テレビ(FCT)は日本テレビ系列のフルネット局へ移行。
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「1980年のテレビ (日本)」の記事における「その他テレビに関する話題」の解説
テレビ信州(10月1日開局)。左は本社(現・松本総局)、右は放送センター(現・本社) TBSがこの年の年間視聴率で在京民放局5局において3冠王となる(1978年から1981年までの4年間)。 4月1日テレビ岩手(岩手県、TVI)が、テレビ朝日系列(ANN)とのクロスネットを解消してNNSフルネット局に移行。 山形県におけるANN加盟局が山形テレビ(YTS)から山形放送(YBC)へ移行。山形テレビは1975年3月以来のフジテレビ系列フルネット局となり、山形放送は日本テレビ系列とテレビ朝日系列とのクロスネットへ移行(1993年4月より山形テレビはテレビ朝日系列にネットチェンジ、山形放送はNNSフルネット局へ移行)。 6月19日 - 日本テレビが1953年の開局から送信所として使用し、1970年に送信機能が東京タワーに移転後も予備送信所として使われた同局本社(後の麹町分室)敷地内の電波塔の解体工事を開始、8月10日に完了した。 9月 - 映画会社のにっかつがUHFによるペイテレビ(有料放送)局の申請を行う。有料放送はアメリカで急速に普及していたが、日本の放送体制にはない新しい形態だったため、郵政省では「慎重に検討したい」とした。 10月1日 - 長野県に第3番目の民放局、テレビ信州(TSB)が開局。日本テレビ系列とテレビ朝日系列のクロスネット(1991年4月よりNNSフルネット局へ移行)。 12月1日 - 韓国で全斗煥軍部による「言論統廃合」策が実行され、国内のテレビ局が韓国放送公社(KBS)と文化放送(MBC)に集約。このため、日本テレビがKBSに併合された東洋放送(TBC)と結んでいた提携関係も自然消滅した。 俳優の田畑孝が急逝(45歳没)。前年10月から毎日放送・TBS系で放送開始した『仮面ライダー (スカイライダー)』に「志度敬太郎」役で出演していたが、体調不良により第13話で降板していた。なお『西部警察』(テレビ朝日系)第22話が最後の出演となった。
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「1986年のテレビ (日本)」の記事における「その他テレビに関する話題」の解説
フジテレビが1982年から、在京民放局で5年連続の年間視聴率3冠王を達成する。翌1987年春には、年度視聴率でも在京民放局で5年連続の3冠王を達成する。 1月17日 - 郵政省(現・総務省)が民放テレビ全国四波化の目標を設け、第1段階として青森・秋田・岩手・山形・富山・石川・長崎の7地区に3局目の周波数を割り当てる方針を決定。 3月22日 - TBS社長の山西由之が急逝(63歳没)。6月に濱口浩三が就任するまで社長ポストが空席となる。 4月1日フジテレビが、グループのCI導入に伴い、シンボルマークを1959年(昭和34年)の開局以来使用してきた8マーク(亀倉雄策作)から、現在も使用している目玉マーク(吉田カツ作)に変更。 広島ホームテレビが略称を「UHT」から「HOME」に変更。 4月 - 沖縄テレビ放送(OTV)では春闘などにより自社制作やローカルニュース等の番組配信ができず、特に19日は一日中キー局(フジテレビ)からのマイクロ回線を一日中そのまま放送する形となった。なお、同日の『FNNスーパータイム』のローカル枠はテレビ西日本発のものを放送した。詳細は「沖縄テレビ放送#沿革」および「OTVイブニングワイド#備考」を参照 5月11日 - NHKの大相撲中継で吊り屋根の天井中央に小型カメラを取り付け、土俵の真上からの撮影を開始する。 5月 - テレビ朝日が、六本木アークヒルズに完成した放送センターに本社機能を移転(現在は六本木ヒルズに本社を移転している)。 8月8日 - NHK総合の音声多重放送の全国整備が完了。全国で同放送が実施されるようになった。 9月17日 - 西日本放送(RNC)の親局送信所が青峰テレビ送信所(香川県高松市・坂出市)から金甲山テレビ送信所(岡山県玉野市・岡山市)に移転(親局の名称は「高松局」のまま)。
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「2003年のテレビ (日本)」の記事における「その他テレビに関する話題」の解説
2月1日 - NHK東京が日本初のテレビ放送を開始してこの日で50周年。 3月31日 - 名古屋テレビ放送(NBN / 名古屋テレビ)が局愛称「メ〜テレ」を制定。 7月1日 - 日本テレビが開局以来50年間使用してきた「日本テレビ」と「NTV」の角ゴシック体のロゴを廃止しドット式の「日テレ」ロゴに変更した。なおなんだろうは2012年末まで使用された。(ただし2008年から2009年3月までは除く) 8月26日 - この日夜、テレビ朝日系のニュース番組『ニュースステーション』のメインキャスターである久米宏が、翌年3月いっぱいで降板することを発表。 8月28日 - 日本テレビが日本初の民間放送によるテレビ放送を開始してこの日で50周年。 10月1日 - 全国朝日放送が社名を局愛称である「株式会社テレビ朝日」に変更。略称を「ANB」(Asahi National Broadcastingの頭文字)からコールサインの「JOEX」から取った「EX」に変更。同時に本社・演奏所もアークヒルズから六本木ヒルズに移転し、ロゴも「テレビ朝日」から小文字の「tv asahi」に変更した。 日本テレビの社員(プロデューサー)が、自分の制作したテレビ番組の視聴率が上がるよう、探偵業者を利用し、ビデオリサーチのモニター世帯を割り出したうえ、番組制作費を私的に流用して金銭を渡して視聴を依頼した事件が発覚した(なお事件発覚の翌月にプロデューサーは懲戒解雇された)。 詳細は「日本テレビ視聴率買収事件」を参照 12月1日、日本初の地上デジタル放送が首都圏、関西圏、中京圏で開始。 日本テレビがこの年の年間視聴率で1994年から10年連続3冠王となる。しかし、翌2004年春に公表された年度視聴率では、前述にある「(日本テレビ)視聴率買収事件」の影響もあり、日本テレビの年度視聴率の10年連続3冠王はならなかった。 日本テレビは全日帯(6-24時)、ゴールデンタイム(19-22時)の2冠に留まり、プライムタイム(19-23時)はフジテレビが1993年度以来、10年ぶりの首位となった。
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