1980年のテレビ (日本)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 1980年のテレビ (日本)の意味・解説 

1980年のテレビ (日本)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/22 18:07 UTC 版)

1980年のテレビ(1980ねんのテレビ)では、1980年昭和55年)の日本におけるテレビジョン放送全般の動向についてまとめる。


注釈

  1. ^ a b スタジオアルタが開業し『日本全国ひる休み』第1回放送があった3月31日は、34年後の2014年に『笑っていいとも!』の最終回を放送し、さらに2年後の2016年の同日をもってスタジオ業務を終え[2]、現在は多目的劇場「アルタシアター」となっている。
  2. ^ なお、これに伴い、平日8:30と土曜8:00のアニメ再放送枠『あつまれ!チビッコ劇場』(関東ローカル)は平日放送を廃止、そしてその『チビッコ劇場』と共に土曜8:30のドキュメンタリー番組『世界の先生たち』は双方とも30分繰り上がったため、子供番組『ママとあそぼう!ピンポンパン』(月 - 土7:30)は前週の3月29日の放送をもって土曜放送を廃止、以後1982年3月31日に終了するまで、『ピンポンパン』は平日限定放送となる。
  3. ^ 日本テレビ制作では1981年開始の『火曜サスペンス劇場』が初。
  4. ^ この年は萩本欽一とコンビで担当[9]
  5. ^ 2011年(第34回)はチャリティマラソンランナーを務め、同年からは総合司会を後輩アナウンサーの羽鳥慎一(この年3月に退社、現在は徳光と同様フリーアナウンサー)に交代(以降は羽鳥の他、やはり後輩である桝太一水卜麻美らも担当している)。2012年(第35回)以降もチャリティサポーターとして番組に参加しており(2012年はマラソンのスターターも務めた)、現在もなお『24時間テレビ』に関わっている。
  6. ^ NTV紅白歌のベストテン』の特番。
  7. ^ 徳光は長嶋の出身大学である立教大学の後輩であり、巨人ファンでもある。
  8. ^ この件については後年『行列のできる法律相談所』で紹介されたほか、徳光がマラソンランナーを務めた2011年の『24時間テレビ「愛は地球を救う」34』でも紹介された。
  9. ^ 全日帯においてはNHK総合が首位であった。また、翌1981年春の調査で、1980年の年度視聴率においても、TBSは3冠王を達成したが、あくまでも在京民放局の中での首位であった(全日首位はNHK総合で、TBSはゴールデンタイムプライムタイムの2冠であった)。
  10. ^ 事前にサービス放送を両局共に、同年6月21日から開始している。
  11. ^ 関西ローカル時代から通算して5周年。
  12. ^ 日本初のステレオ放送によるテレビドラマ。
  13. ^ 跡地は現在、有楽町マリオンとなっている。
  14. ^ 当初は関西ローカルで、一部地域にも番販ネットされた。約3年後の1983年3月6日からテレビ朝日系列の全国ネット番組に昇格した。
  15. ^ a b c d e 火曜ワイドスペシャル
  16. ^ a b 土曜スペシャル
  17. ^ a b c 木曜スペシャル
  18. ^ 前回は1979年12月29日「土曜スペシャル」で『爆笑!激笑!!今年の笑いおさめだ79重大ニュース』として放送。→1979年12月も参照
  19. ^ 1976年 - 1978年放送の『わんぱくチビッコ大集合!』から始まった、フジテレビ大晦日ゴールデンタイムでの子供向け番組最終作。

出典

  1. ^ 「亜星登場ムード一変!逆転・逆転また逆転!」 読売新聞朝日新聞毎日新聞産経新聞日本経済新聞報知新聞(1980年1月20日付のテレビ欄)より。
  2. ^ “いいとも“聖地”スタジオアルタ、3月いっぱいで休止 新宿アルタは継続”. スポーツ報知. (2016年3月3日). https://web.archive.org/web/20160303123050/http://www.hochi.co.jp/entertainment/20160303-OHT1T50120.html 2016年3月4日閲覧。 
  3. ^ 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'80』日本放送出版協会、1980年、93頁。 
  4. ^ 「竹下景子ガンバル 新メンバー3人登場!」 読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、産経新聞、日本経済新聞、報知新聞(1980年4月6日付のテレビ欄)より。
  5. ^ 「クイズヒントでピント」おしゃれまとめの人気アイデア|Pinterest|é¦æ­ 中æ | クイズ
  6. ^ 橋田脚本の「渡る世間は鬼ばかり」のプロトタイプ的作品である。
  7. ^ a b 日本民間放送連盟(編)「放送日誌(55年5月)」『月刊民放』第10巻第8号、日本民間放送連盟、1980年8月1日、50頁、NDLJP:3470936/26 
  8. ^ 伊予田康弘[ほか]著『テレビ史ハンドブック』自由国民社、1998年、112頁。ISBN 978-4426747015 
  9. ^ アーカイブ 2007年10月24日 - ウェイバックマシン
  10. ^ 「新メンバーを加え、今夜ツービート登場!」 読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、産経新聞、日本経済新聞、報知新聞(1980年10月5日付のテレビ欄)より。
  11. ^ 朝日放送社史編修室/編集『朝日放送の50年 1 本史』2000年、235-236頁。 
  12. ^ 伊予田康弘[ほか]著『テレビ史ハンドブック』自由国民社、1998年、110頁。ISBN 978-4426747015 
  13. ^ a b 『ギャグゲリラ』のテレビ番組があった?”. 赤塚不二夫保存会/フジオNo.1 - gooブログ (2017年11月5日). 2021年12月2日閲覧。
  14. ^ a b 日本民間放送連盟(編)「放送日誌(55年4月)」『月刊民放』第10巻第7号、日本民間放送連盟、1980年7月1日、50頁、NDLJP:3470935/26 
  15. ^ 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'81』日本放送出版協会、1981年、29頁。 
  16. ^ 日本民間放送連盟(編)「放送日誌(55年10月)」『月刊民放』第11巻第1号、日本民間放送連盟、1981年1月1日、52頁、NDLJP:3470941/27 
  17. ^ 日本民間放送連盟(編)「放送日誌(55年2月)」『月刊民放』第10巻第5号、日本民間放送連盟、1980年5月1日、50頁、NDLJP:3470933/26 
  18. ^ RSK山陽放送 会社概要(2023年6月26日閲覧)
  19. ^ RSK HD 訂正有価証券報告書-第72期(2019/04/01-2020/03/31)(IR BANKのサイト)(2023年6月26日閲覧)
  20. ^ a b 日本民間放送連盟(編)「放送日誌(55年3月)」『月刊民放』第10巻第6号、日本民間放送連盟、1980年6月1日、50頁、NDLJP:3470934/26 
  21. ^ RKB毎日放送株式会社50年史編纂委員会 編纂『九州・福岡RKB放送史事典 : RKB毎日放送創立50年記念』RKB毎日放送、2001年、127頁。 
  22. ^ 西日本放送の歴史 沿革(西日本放送)(2023年11月20日閲覧)
  23. ^ 開局二十周年記念事業委員会社史編纂専門部会 編『長野放送二十年の歩み』長野放送、1989年、119頁。 
  24. ^ 信濃毎日新聞 1980年6月30日 夕刊 P.8 テレビ欄 「SBC・NBSの音声多重放送 あすから本格開始 記念番組を編成しPR」(信濃毎日新聞データベースで閲覧)
  25. ^ 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'81』日本放送出版協会、1981年、11,214頁。 
  26. ^ 開始日前日に、本免許を取得して開始。「石川テレビの50年 停波事故を乗り越えて」(2019年4月25日、石川テレビ放送発行)84ページ。
  27. ^ 新潟放送『新潟放送40年のあゆみ』新潟放送、1992年10月15日、434頁。 
  28. ^ 新潟日報 1980年11月29日朝刊 P.24 テレビ欄 及び P.5 BSN新潟放送広告「BSNテレビで、きょう開始 音声多重放送」(新潟日報マイクロフィルム版で閲覧)
  29. ^ a b c 1980年10月11日(土) - プレイバック!TVガイド ~あのころのテレビはこうだった!~ - テレコ!
  30. ^ 故大平首相葬儀 - NHKクロニクル



「1980年のテレビ (日本)」の例文・使い方・用例・文例

Weblio日本語例文用例辞書はプログラムで機械的に例文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「1980年のテレビ (日本)」の関連用語

1980年のテレビ (日本)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



1980年のテレビ (日本)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの1980年のテレビ (日本) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
Tanaka Corpusのコンテンツは、特に明示されている場合を除いて、次のライセンスに従います:
 Creative Commons Attribution (CC-BY) 2.0 France.
この対訳データはCreative Commons Attribution 3.0 Unportedでライセンスされています。
浜島書店 Catch a Wave
Copyright © 1995-2024 Hamajima Shoten, Publishers. All rights reserved.
株式会社ベネッセコーポレーション株式会社ベネッセコーポレーション
Copyright © Benesse Holdings, Inc. All rights reserved.
研究社研究社
Copyright (c) 1995-2024 Kenkyusha Co., Ltd. All rights reserved.
日本語WordNet日本語WordNet
日本語ワードネット1.1版 (C) 情報通信研究機構, 2009-2010 License All rights reserved.
WordNet 3.0 Copyright 2006 by Princeton University. All rights reserved. License
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
「斎藤和英大辞典」斎藤秀三郎著、日外アソシエーツ辞書編集部編
EDRDGEDRDG
This page uses the JMdict dictionary files. These files are the property of the Electronic Dictionary Research and Development Group, and are used in conformance with the Group's licence.

©2024 GRAS Group, Inc.RSS