1936年のテレビとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 1936年のテレビの意味・解説 

1936年のテレビ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/13 09:10 UTC 版)

1936年テレビにおける日本および世界の出来事は以下のとおり。

世界のテレビの出来事

  • 1936年7月7日 - アメリカ合衆国デイヴィッド・サーノフは、自らの経営するRCAの電子式テレビジョン技術を使い、RCAの子会社であるNBCに30分間の実験放送を実施させた。これは演説、ダンス、歌などからなるバラエティ番組で、343本の走査線のある22センチのテレビ画面に毎秒30コマの映像を受信させて実現した。
  • 1936年8月 - ドイツで行われたベルリンオリンピックでは、1935年から定時放送を開始していた「パウル・ニプコウテレビ局ドイツ語版」が走査線180本の中解像度のテレビで実況中継を行った。ベルリンポツダムなどに開設された公衆テレビ視聴室で延べ15万人が番組を視聴した。この公衆テレビ室では、同軸ケーブルを使ってベルリンとライプチヒの間でテレビ電話サービスも提供していた。
  • 1936年11月2日 - 英国放送協会は高解像度(当時は走査線200本以上のものを指す)のテレビとしては世界初の定時放送(現在のBBC Oneの前身)をロンドンアレクサンドラ・パレスから開始した。ジョン・ロジー・ベアードの開発した走査線240本の機械式テレビと、EMI-マルコーニの開発した走査線405本の電子式テレビの2つのシステムを週替わりで使用して放送された。主な番組は、試験放送中の10月から開始した『ピクチャー・ページ』という時事番組のほか、歌やコメディなどからなるバラエティ番組の『スターライト』、話題の演劇をアレクサンドラ・パレスで演じて放送する『シアター・パレード』で、放送時間は月曜から土曜日の15時~16時、および21時~22時だった[1]

脚注

  1. ^ Burns, R.W. (1998). Television: An International History of the Formative Years. London: The Institution of Electrical Engineers. p. ix. ISBN 978-0-85296-914-4 



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  1936年のテレビのページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

1936年のテレビのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



1936年のテレビのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの1936年のテレビ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS