1963年のテレビ_(日本)とは? わかりやすく解説

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1963年のテレビ (日本)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/18 21:06 UTC 版)

1963年のテレビ(1963ねんのテレビ)では、1963年昭和38年)の日本におけるテレビジョン放送全般の動向についてまとめる。

主なできごと

11月23日、日米間初の人工衛星を使用した衛星中継試験放送が行われる。

その際、当時の米大統領ジョン・F・ケネディが、テキサス州ダラスにて暗殺により死亡したニュース速報が伝えられる


福島テレビが開局

他の地方地域より約4年遅れて、福島県初の民放テレビ局が誕生。地方局最後のアナログVHF親局のテレビ局となる。

NHK教育テレビが熊本・岡山・山梨・宮崎の各県と、北海道の北見地方で開局。

これで、同テレビは北海道内の全放送局で放送開始を完了する。

翌年の東京オリンピックを控え、甲信越及び中部地区のNHK総合テレビのカラー放送開始が完了。

12月1日に電電公社が、テレビネット回線の東日本ループのカラー対応の高規格化を完成。これを受け、同月16日に、甲信越及び中部地方のNHK総合テレビのカラー化が完了する[1][2][3]、更に同日、名古屋での教育テレビのカラー放送も開始[1]


テレビ番組


テレビ普及率

日本におけるテレビ普及率が88.7%へ上昇。


視聴率
  • TBS[注 1]がこの年の年間視聴率で、ゴールデンタイム(19〜22時までの時間帯)の視聴率がトップとなる。以後、1981年までの19年間、連続して首位の座を維持することとなった(ビデオリサーチ調べ)。
  • また、NHKがこの年の年間視聴率で、全日帯(6〜24時までの時間帯)の視聴率がトップとなる。以後、1986年までの24年間、連続して首位の座を維持することとなった(同上)。


技術


番組関係のできごと

1月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月

その他テレビに関する話題

福島テレビ開局(4月1日。写真は旧本社)
  • 4月1日 - 福島テレビ(FTV)開局。地方局最後のアナログVHF親局のテレビ局となった[注 14][4]
  • 6月10日 - 鹿児島県の離島、奄美大島へテレビネット回線が開通したことを受け、この日NHK鹿児島放送局の総合テレビが奄美群島では初めて、名瀬市(当時)の名瀬中継局からテレビ放送を開始(同年11月1日には、教育テレビの放送も開始)。[4][28]
  • 8月19日 - 邦画5社(東宝・新東宝・松竹・東映・日活)、劇映画のテレビ放出制限を廃止。[4]
  • 9月1日 - TBS、テレビ番組自動送出装置(APS)の運用を開始。[4][8][29]
  • 9月28日 - 電電公社、本土 - 沖縄間のマイクロ波テレビネット回線が完成、テレビ中継が可能となる(翌1964年9月1日に使用開始)。[4]
  • 11月1日 - TBS、全日放送開始。[8][29]
  • 12月1日 - 電電公社、テレビネット回線の東日本ループ(東名阪・北陸・信越廻り)[注 15]のカラー対応の高規格化整備が完成[1][2][3][4][30]
    • これにより、NHK教育テレビの回線が初めてカラー対応となり、同ループ内のカラー同時ネットが可能となる。これを受け、今までNHK大阪放送局で行われていた教育テレビのカラー番組の事前素材送り放送が廃止となる。
  • 12月16日 - 前述の電電公社のテレビネット回線の東日本ループのカラー対応化を受け、NHK名古屋中央放送局の総合及び教育テレビと、本部管下の甲信越の各地方局及び中部地区内の静岡県内の総合テレビで、一斉にカラー放送開始(詳細は、「既存局のカラー放送開始」の項を参照のこと)[1][2][4]。(本部管下及び名古屋中央局管内の教育テレビカラー放送未実施局は、翌年4月1日に教育のカラー放送を開始[31]。)

開局

既存局のカラー放送開始

視聴率

(関東地区、ビデオリサーチ調べ)[33]

  1. 第14回NHK紅白歌合戦(NHK総合、12月31日)81.4%
  2. ニュース(NHK総合、12月31日 21:00-21:05)66.7%
  3. プロレスWWA世界選手権無制限一本勝負「デストロイヤー×力道山」(日本テレビ、5月24日)64.0%
  4. ゆく年くる年(NHK総合、12月31日)57.4%
  5. ボリショイサーカス(NHK総合、7月16日)55.3%
  6. ベン・ケーシー(TBS、1月11日)50.6%
  7. リングサイドアワー海老原博幸×ポーン・キングピッチ」(フジテレビ、9月18日)47.8%
  8. 事件記者(NHK総合、6月4日)47.1%
  9. 世界バンタム級タイトルマッチ「エデル・ジョフレ×青木勝利」(TBS、4月4日)46.0%
  10. 図々しい奴(TBS、8月5日、9月9日)45.1%
  11. お笑い三人組(NHK総合、6月4日)44.2%
  12. 歌謡浪曲ドラマ(NHK総合、1月1日)43.9%
  13. ニュース(NHK総合、1月27日 17:35-17:40)41.8%
  14. 月曜日の男(TBS、8月12日)40.9%
  15. てなもんや三度笠(TBS、11月24日)40.5%
  16. 若い季節(NHK総合、2月3日)40.3%
  17. ドラマ・吾輩は猫である(NHK総合、1月1日)40.2%
  18. 1963年歌くらべオールスター大行進(TBS、12月31日)39.9%

テレビ番組

テレビドラマ

NHK
日本テレビ系
TBS系
フジテレビ系
NETテレビ系

子供向けドラマ

NHK
日本テレビ系
TBS系
フジテレビ系
NETテレビ系

特撮番組

テレビアニメ

バラエティー番組

クイズ番組

音楽番組

トーク番組

教育・教養・ドキュメンタリー番組

料理番組

紀行番組

特別番組

  • 第6回NHK全国図画コンクール(NHK総合)
    • 各地方コンクール入選発表(各地方別に放送。関東甲信越地方コンクールのみカラー)- 8月25日放送[41][42]
    • 全国図画コンクール入選発表(カラー)- 10月13日放送[41][43]
    • 全国図画コンクール受賞者のつどいと入選作品展(カラー)- 11月3日放送[注 16][41][44]
  • 東京国際スポーツ大会(開会式のみカラー)(NHK総合)[22]

既存番組のカラー化

年内開始番組を除く

参考文献

など

注釈

  1. ^ 当時は東京放送(後のTBSホールディングス)のテレビ放送事業だった(後のTBSテレビ)。
  2. ^ テレビアニメとしてはそれ以前に『もぐらのアバンチュール』『新しい動画 3つのはなし』『インスタントヒストリー』『おとぎマンガカレンダー』などが放映されている。
  3. ^ a b CBCテレビ(当時:中部日本放送のテレビ放送部門)が日本テレビより早く1962年12月3日に開始している。
  4. ^ 1年間の通年放送となるのは翌年放送の第2作『赤穂浪士』から。
  5. ^ EB-1000。ジャケット裏にはB面曲「いつもの小道で」のジャケットが掲載されており、事実上同シングルは両A面扱いである。ステレオ録音されたが初発シングルはモノにダウンミックスされての発売。日本レコード大賞を受賞後、同品番で表裏共にジャケット写真を差し替えさらに「こんにちは赤ちゃん」の側に「1963年日本レコード大賞受賞」と記載されたものが発売された。
  6. ^ 当時は朝日放送のテレビ放送事業であり、2018年4月の放送持株会社制移行により朝日放送グループホールディングスとなり、現在の朝日放送テレビとなった。
  7. ^ 1975年4月から最終回までは腸捻転解消に伴いNETテレビ系で放送。
  8. ^ 『私のクイズ』は同月9日放送分から、『歌のグランプリショー』と『底ぬけ脱線ゲーム』は同月11日放送分からカラー化されている。
  9. ^ a b c 1975年4月から腸捻転解消に伴いTBS系で放送。
  10. ^ 小池は1983年9月まで司会を務め、後年は西郷輝彦(歌手・俳優)に司会を交代、最終回まで務めた。
  11. ^ この模様は後に、NHK総合テレビ『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』の2004年11月30日放送の第160回「衝撃のケネディ暗殺 日米衛星中継」にて放送された。
  12. ^ 当時は『オリエンタルがっちり買いまショウ』。1972年に提供が江崎グリコに交代し『グリコがっちり買いまショウ』となった。
  13. ^ この記録は『NHK紅白歌合戦』の歴代並びに日本のテレビ史上1位の高数字であり、2020年現在まで破られていない。
  14. ^ a b 開局当初は、在京キー局4系列の人気番組を中心に編成したオープンネット形式であったが、1970年4月に福島中央テレビ(FCT)がフジテレビとNETのクロスネット局として開局してから、日本テレビとTBSのクロスネット局に移行するが、FCT開局から1年半後の1971年10月、新聞資本の関係でTBSとフジテレビのクロスネット局となり、1983年10月までにフジテレビ系フルネット局に一本化され、現在に至る。
  15. ^ 東日本ループの経路は次の通り。東京(→甲府)-横手山(→長野)-薬師(2025年現在は上越市内)(→新潟)-金沢(→富山)-福井-大阪-名古屋-浜松-静岡-東京。
  16. ^ 一部スタジオを含め、上野文化会館で収録。

脚注

  1. ^ a b c d e f 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'64』日本放送出版協会、1964年、5, 50, 206~7頁。NDLJP:2474361/12,NDLJP:2474361/35,NDLJP:2474361/125 
  2. ^ a b c 日本放送協会総合技術研究所『五十年史』(1981.03) 95ページ (渋沢社史データベース)(2023年10月4日閲覧)
  3. ^ a b 日本テレビ放送網(株)『大衆とともに25年. 沿革史』(1978.08) 41ページ (渋沢社史データベース)(2023年10月4日閲覧)
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh bi bj bk bl bm bn bo 「放送史年表 -詳細版- 1963年」(NHK放送文化研究所)(2025年5月6日閲覧)
  5. ^ NHKクロニクル『大雪のつめあと 「緊急対策と今後の課題」アナログ総合 1963年02月02日(土) 午後09:00 〜 午後09:29
  6. ^ a b c d e 日本放送協会 編『NHK年鑑'64日本放送出版協会、1964年10月15日、161,171頁https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2474361 
  7. ^ a b 朝日新聞 1963年3月23日 朝刊 P.7 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  8. ^ a b c 株式会社東京放送『TBS50年史 資料編』株式会社東京放送、2002年1月、335頁。 
  9. ^ NHKクロニクル『タイ国王王妃両陛下訪日記念特別演奏会 ~NHKホールから中継~』アナログ総合 1963年05月29日(水) 午後03:30 〜 午後05:05
  10. ^ 引田惣弥『全記録 テレビ視聴率50年戦争―そのとき一億人が感動した』講談社、2004年、3頁、52頁、220頁。ISBN 4062122227
  11. ^ NHKクロニクル『黒四完成』アナログ総合 1963年06月05日(水) 午前10:03 〜 午前11:00
  12. ^ 中川右介『社長たちの映画史』日本実業出版社、348頁
  13. ^ 1963年12月までは日本麦酒株式会社を社名としていた。
  14. ^ 『この歌この歌手〈上〉運命のドラマ120』108頁。
  15. ^ 『この歌この歌手〈上〉運命のドラマ120』109頁。
  16. ^ 産経新聞』1998年5月30日付東京夕刊。
  17. ^ NHKクロニクル『黒い太陽が昇る ~北海道網走観測基地及び上空から中継~』アナログ総合 1963年07月21日(日) 午前03:45 〜 午前04:25
  18. ^ NHKクロニクル『皆既日食をとらえた ~北海道網走観測基地及び上空で収録~(一部中継)』アナログ総合 1963年07月21日(日) 午前08:30 〜 午前09:00
  19. ^ 日本テレビ放送網(株)『大衆とともに25年. 沿革史』(1978.08) 39ページ (渋沢社史データベース)(2024年6月4日閲覧)
  20. ^ 朝日新聞 1963年8月9日朝刊 P.7 テレビ欄 及び 同年8月11日朝刊 P.7 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  21. ^ NHKクロニクル『第11回世界連邦世界大会開会式 ~東京文化会館から中継~』アナログ総合 1963年08月24日(土) 午前10:05 〜 午前11:00
  22. ^ a b 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'64』日本放送出版協会、1964年、27~32頁。NDLJP:2474361/23,NDLJP:2474361/24,NDLJP:2474361/25,NDLJP:2474361/26 
  23. ^ 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'64』日本放送出版協会、1964年、48頁。NDLJP:2474361/34 
  24. ^ 毎日放送50年史編纂委員会事務局『毎日放送50年史』株式会社 毎日放送、2001年9月1日、479頁。 
  25. ^ 放送研究と調査2009年1月号 長井 暁「テレビは中国をどう伝えてきたか ~NHKの特集番組を中心に~」(PDF)(2025年5月6日閲覧)
  26. ^ “石原プロモーション、16日に解散 58年前に起業した日に看板下ろす”. サンケイスポーツ. 産経デジタル. (2021年1月16日). https://www.sanspo.com/article/20210116-LBFUJZ77R5IH3LOGHCLHHQDLSA/ 2021年1月16日閲覧。 
  27. ^ “破壊した車4600台 オーディションには5万人…石原軍団解散 裕次郎さん設立から58年”. 中日スポーツ. 中日新聞社. (2021年1月16日). https://www.chunichi.co.jp/article/186201 2021年1月16日閲覧。 {{cite news}}: CS1メンテナンス: 先頭の0を省略したymd形式の日付 (カテゴリ)
  28. ^ 日本放送協会放送文化調査研究所放送情報調査部『NHK年鑑'75』日本放送出版協会、1975年、312頁。 
  29. ^ a b 東京放送 社史編集室『東京放送のあゆみ』東京放送、1965年5月10日、607頁。 
  30. ^ a b c d 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'64』日本放送出版協会、1964年、50頁。NDLJP:2474361/35 
  31. ^ 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'65』日本放送出版協会、1965年、5,26頁。NDLJP:2474362/11,NDLJP:2474362/22 
  32. ^ 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'64』日本放送出版協会、1964年、38頁。NDLJP:2474361/29 
  33. ^ あの時の視聴率 1963年 ビデオリサーチ50周年記念サイト、2012年
  34. ^ a b c d e f g h i 日本テレビ放送網株式会社 社史編纂室『大衆とともに25年 沿革史』日本テレビ放送網、1978年8月、455頁。NDLJP:11954641/243 
  35. ^ a b c d e 日本テレビ放送網株式会社 社史編纂室『大衆とともに25年 沿革史』日本テレビ放送網、1978年8月、457頁。NDLJP:11954641/244 
  36. ^ 日本放送協会 編『NHK年鑑'64日本放送出版協会、1964年10月15日、146,171頁https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2474361 
  37. ^ 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'67』日本放送出版協会、1967年、129頁。 
  38. ^ a b 朝日新聞 1963年8月11日 朝刊 P.7 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  39. ^ 朝日新聞 1963年8月9日 朝刊 P.7 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  40. ^ 朝日新聞 1963年10月10日 朝刊 P.7 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  41. ^ a b c 日本放送協会 編『NHK年鑑'64日本放送出版協会、1964年10月15日、118頁https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2474361 
  42. ^ NHKクロニクル『第6回NHK全国図画コンクール』(アナログ総合 1963年08月25日(日) 午後02:00 〜 午後02:45)
  43. ^ NHKクロニクル『第6回NHK全国図画コンクール入選発表』(アナログ総合 1963年10月13日(日) 午前09:00 〜 午前09:40)
  44. ^ 第6回NHK全国図画コンクール受賞者のつどいと入選作品展 ~上野文化会館で収録~(一部スタジオから)(アナログ総合 1963年11月03日(日) 午後04:00 〜 午後05:00)
  45. ^ 日本放送協会 編『NHK年鑑'64日本放送出版協会、1964年10月15日、114~5,171頁https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2474361 
  46. ^ 日本放送協会 編『NHK年鑑'64日本放送出版協会、1964年10月15日、115,171頁https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2474361 
  47. ^ 朝日新聞 1963年4月6日 朝刊 P.7 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  48. ^ 日本放送協会 編『NHK年鑑'64日本放送出版協会、1964年10月15日、139,171頁https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2474361 
  49. ^ NHK nenkan - Google Books
  50. ^ NHK nenkan - Google Books

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