1979年のテレビ (日本)
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1979年のテレビ(1979ねんのテレビ)では、1979年(昭和54年)の日本におけるテレビジョン放送全般の動向についてまとめる。
注釈
- ^ 友竹と、現在第11代くいしん坊を務める松岡修造を除き、すべて俳優が起用されている。
- ^ 現在は『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』。
- ^ 朝日放送(現・朝日放送テレビ)では土曜19時30分枠に『部長刑事』が放送されていた関係で『あばれはっちゃく』は18時枠で先行放送、『スーパー戦隊シリーズ』は遅れネットで放送していた。
- ^ その後『ズームイン!!SUPER』(2001年10月1日 - 2011年3月31日)へとリニューアル、そして現在の『ZIP!』(2011年4月1日 - 放送中)へとつながってゆく。
- ^ 徳光の降板後は福留功男(日本テレビ→フリー)→福澤朗(日本テレビ、当時)らが歴任。
- ^ ただしニューヤンキースのキャプテンにしてファーストの橋本美砂子は、ユニフォームや遠征費などの資金援助をしていたジャニーズ事務所のタレントに転身し、同局放送の『全日本女子プロレス中継』のレポーターなどに出演、後に同事務所のスタッフとなり、結婚退職した。
- ^ 大野、宮沢ともに1982年3月31日の最終回まで出演。
- ^ 2021年10月 - 2022年3月にNHK BSプレミアムとBS4Kで4Kレストア版で再放送された。
- ^ これに伴い、それまで月曜19時枠にあった『キックボクシング中継』は金曜23時30分枠へ移動。
- ^ 6年前の1973年に日本テレビでアニメ化された経緯があり、正確にいえば2度目のアニメ化である。
- ^ a b 現在放送中の『おはスタ』(1997年10月 - )との区別のため「初代おはスタ」とも表記される。
- ^ この西城9999点獲得回は2019年5月19日に西城の一周忌追善企画として、CS放送・TBSチャンネル2で再放送された[7](『ベストテン』のCS再放送は2回目)。
- ^ ちなみに2週目の9999点獲得の翌日は、西城の誕生日であった。
- ^ 3月15日放送回は2018年7月24日に西城の追悼企画(西城は同年5月16日に63歳で死去)として、CS放送・TBSチャンネル2で再放送された(『ベストテン』がCSで再放送されたのはこれが初)。
- ^ 当日はゴダイゴのライブが行われていた福岡市民会館から生中継を行った(RKB毎日放送と共同で実施)。
- ^ 以後、放送時間は21:00 - 22:51を経て、2012年9月29日放送『再捜査刑事・片岡悠介4』より21:00 - 23:06となり、2016年4月より『土曜プライム』の一企画へリニューアルし、2017年4月8日まで継続。以後、同局系の2時間ドラマ枠は『日曜ワイド』(2017年4月 - 2018年3月)→『日曜プライム』(2018年4月 - 2020年9月)と続く。
- ^ レギュラー出演していた前番組『ヤンマーファミリーアワー 飛べ!孫悟空』から続投。
- ^ 当初は湯原昌幸との1週交代で担当。
- ^ 徳光は翌1980年(第3回)より31年間にわたり総合司会を担当。
- ^ 番組末期の放送時間は月〜金曜11:00 - で、3月30日までは - 11:30だったが、4月2日から5分短縮され - 11:25までとなった。
- ^ それから5年半後の1985年4月7日に復活、その後『ロッテ 歌のアルバムNOW』と改題しながら1987年9月27日まで続く。
- ^ 2016年4月3日から、『新 窓をあけて九州』のタイトルで4年ぶりに再開。
- ^ 現在テレビ朝日系列で放送中の『新婚さんいらっしゃい!』(朝日放送テレビ制作)も、1975年3月まではこの時間帯で放送された。
- ^ シリーズ終了後の2004年に、約20年ぶりとなるスペシャル版『西部警察 SPECIAL』(主演:渡哲也、舘ひろし)が放送された(本来なら前年に放送予定だったが延期となっていたもの。また新シリーズも放送予定だったが、撮影中の事故により中止となった)。
- ^ 当時:ニッポン放送アナウンサー。
- ^ 東京12チャンネルは当時全国ネットワークを持っておらず、全国的に同時ネットで多くの視聴者に見てもらうことを考慮し、祝日でかつ放送時間を主要系列局が全国ネット番組を持っていない時間帯を設定し、フジテレビ系列(関西テレビ(近畿広域圏 ステレオ)、東海テレビ(中京広域圏 ステレオ)、北海道文化放送(北海道)、テレビ西日本(福岡))、日本テレビ系列(広島テレビ)や、当時のクロスネット局(NST新潟総合テレビ、テレビ山口)等を通じて同時に生放送された。
- ^ 現在は年1回、毎年2月に放送され、2021年の放送までで98回を数える。
- ^ 全日帯においてはNHKが首位であった。また、翌1980年春の調査で、1979年の年度視聴率においても、TBSは3冠王を達成したが、あくまでも在京民放局の中での首位であった(全日首位はNHKで、TBSはゴールデンタイムとプライムタイムの2冠であった)。
- ^ 2005年2月27日に同じ中央区清川に再移転した。
- ^ これにより、同ループ内で音声多重放送をこの日に実施している東京キー局、大阪準キー局、東海4局(NHK名古屋総合、CBCテレビ、東海テレビ放送、中京テレビ放送)、北日本放送、静岡第一テレビに於いて、同回線経由によるステレオ放送が開始された(2か国語放送では、既に実施済)。
- ^ これを受けこの日、広島テレビ放送、山口放送、福岡放送が同放送を開始。
- ^ これを受け、既に同放送を開始していた札幌テレビ放送が、この日からネット受けのステレオ放送が可能となった(2か国語放送では、既に実施済)。
- ^ 同放送の初の番組は、同日23時50分からの映画「冬のライオン」の二か国語放送だった。
- ^ 1973年10月に関西ローカルでスタートして以来の通算。
- ^ a b ビデオリサーチによる視聴率調査が現行方式となった1977年9月26日以降では、それから32年後の2011年に放送された『家政婦のミタ』の最終回(2011年12月21日)が40.0%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)を記録し、日本テレビ系で放送された連続ドラマ3作品が同じ数字で並ぶ結果となった。
- ^ 第1話は未出演。
- ^ 土曜ワイド劇場。第1作は山村美紗原作『花の棺』で、第2作以降は和久峻三原作のシリーズとなる。
- ^ 潮建志の不祥事による降板によりレギュラー起用。
- ^ この年から1987年春まで開催。1982年までは春秋開催(1981年秋のみ別企画『激突!オールスター秋の番組祭り!!どこまで笑アップするの大作戦』を放送)だったが、1983年からは春のみ開催。秋は料理コンテスト『輝け!オールスター秋の番組対抗ウルトラ料理大賞』や、『象印クイズ ヒントでピント』『ビートたけしのスポーツ大将』で構成された。
- ^ 日曜昼の『家族対抗クイズ合戦』を改題移動。
- ^ 『びっくり日本新記録』が一時中断したため、つなぎ番組として放送。
- ^ a b 「フジテレビ開局20周年記念番組」として放送。
- ^ この日、朝日放送テレビが音声多重放送を開始。その最初の番組だった。この番組はテレビ朝日系の「水曜スペシャル」枠で全国ネットされたものの、この放送時は未だ、電電公社のテレビネット回線の音声多重化工事が完了していない為、ステレオは朝日放送テレビのみだった。
- ^ NHKのこの年の大会の放送では、大阪のみでなく、電電公社のステレオに対応したテレビネットの上り回線を特別に使い、東京でもステレオで放送された。
- ^ ちなみに同番組のフジテレビ制作版は、この番組名での放送は、1985年6月9日の終了まで、モノラル放送のままだった。
- ^ 洋画でも、日本語吹き替えや字幕スーパーによるステレオ放送になる場合もあれば、モノラル放送の時もある。
- ^ 洋画でも、日本語吹き替えや字幕スーパーによるステレオ放送になる場合もあれば、邦画が放送される場合はモノラル放送が一般的になる。
出典
- ^ “松岡修造 No.1くいしん坊に!歴代トップの出演回数達成!『くいしん坊!万才』”. とれたてフジテレビ (フジテレビ). (2016年2月8日)[リンク切れ]
- ^ "順大が13年ぶり優勝/写真で見る第55回箱根駅伝". nikkansports.com. 日刊スポーツ新聞社. 26 November 2020. 2020年12月9日閲覧。
- ^ "日本テレビが中継開始/写真で見る第63回箱根駅伝". nikkansports.com. 日刊スポーツ新聞社. 11 December 2020. 2020年12月11日閲覧。
- ^ 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修室『NHK年鑑'79』日本放送出版協会、1979年、8,34,87-88頁。
- ^ a b 「パネルクイズ アタック25 公式ファンブック」(講談社、2014年)158頁
- ^ 「初挑戦!!TVゲームクイズ全員四苦八苦」朝日新聞(1979年3月4日付のテレビ欄)より。
- ^ ザ・ベストテン(1979年4月5日放送)|音楽|TBS CS[TBSチャンネル]
- ^ 別冊ザテレビジョン「ザ・ベストテン」(角川インタラクティブ・メディア、2004年)58頁、191頁
- ^ 別冊ザテレビジョン「ザ・ベストテン」(角川インタラクティブ・メディア、2004年)、「ザ・ベストテン」(山田修爾著、ソニー・マガジンズ、2009年)
- ^ 「新メンバーで登場!新型爆弾クイズ登場」 読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、産経新聞、日本経済新聞、報知新聞(1979年7月1日付のテレビ欄)より
- ^ 「新メンバーは女上位、マッハ!!男惨敗」 読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、産経新聞、日本経済新聞、報知新聞(1979年7月8日付のテレビ欄)より。
- ^ 読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、産経新聞、日本経済新聞、報知新聞(1979年9月18日付の朝刊ラ・テ欄)より。
- ^ タツミムック『日本懐かしテレビ大全』p.38、辰巳出版、2022年1月、ISBN 978-4-7778-2842-5。
- ^ 「やったぜ大逆転! おりも政夫、佐藤陽子」 読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、産経新聞、日本経済新聞、報知新聞(1979年11月18日付のテレビ欄)より。
- ^ a b 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'80』日本放送出版協会、1980年、37頁。
- ^ a b 朝日新聞 1979年11月23日 東京版 朝刊 P.24 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチで閲覧)
- ^ 朝日新聞 1979年11月23日 大阪版 朝刊 P.24 テレビ欄、同日名古屋版 朝刊 P.24 テレビ欄、同日北海道版 朝刊 P.24 テレビ欄、及び同日西部版 朝刊 P.20 テレビ欄(いずれも、朝日新聞クロスサーチで閲覧)
- ^ 新潟日報 1979年11月23日 朝刊 テレビ欄
- ^ 「徹子の部屋 40th Anniversary Book」(ぴあ、2015年)
- ^ 長岡民男ほか『高校駅伝50年史 - 半世紀、タスキつないで』出版芸術社、2000年、8,134頁。ISBN 4882931818。
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- ^ a b c d e 1979年5月15日(火) - プレイバック!TVガイド 〜あのころのテレビはこうだった!〜 - テレコ!(2012年11月16日時点のアーカイブ)
- ^ a b 日本民間放送連盟(編)「民放界この1年・1979 行政/報道/ラジオ番組/テレビ番組」『月刊民放』第9巻第12号、日本民間放送連盟、1979年12月1日、21 - 23頁、NDLJP:3470928/11。
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- ^ 朝日新聞大阪版 1979年4月8日 朝刊P.24 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
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- ^ 朝日新聞 1979年8月10日 朝刊 P.24 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
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