1969年のテレビ_(日本)とは? わかりやすく解説

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1969年のテレビ (日本)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/29 20:08 UTC 版)

1969年のテレビ(1969ねんのテレビ)では、1969年昭和44年)の日本におけるテレビジョン放送全般の動向についてまとめる。

主なできごと

地方の民放UHFテレビ局がこの年19局も開局。(「#開局・放送開始」の項を参照)
  • 特に、今まで民放テレビが1局しか視聴できなかった地方地域が、開局により2局の民放テレビが視聴できるようになったのが、13地域も増加した。
  • 新たに開局した19局の内、フジテレビ系列(他局とのクロスネットを含む)が一挙に11局も開局する。
  • 4月1日には、地方民放UHF局12局が一斉に開局。
    • その内8局がフジテレビ系のネット局であることもあり[注 2]、フジテレビはこの日から、平日の帯番組の改革を行う。(後述)
フジテレビ系列の番組供給ネットワーク「フジネットワーク(FNS)」発足。

フジテレビはUHFの解放及びそれに伴う地方UHF局の新規開局に伴い、これに乗じたフジテレビ系列の全国ネットワーク構築を強力に推進。この年の4月、フジテレビ社内にFNS事務局を設置し、10月1日に同ネットワークを発足した。発足当初は、この日開局した2局を含め国内19局(当時米領だった沖縄テレビを含めると20局)が加盟した[注 3]。(「フジネットワーク」の項も参照)


テレビ番組


全面カラー化に向かい、ゴールデンタイムを中心に番組のカラー化が更に進む。


音声多重放送の実験放送が開始。

12月21日、東京・大阪のNHK総合テレビにて、カラー劇映画『ぼくはついてる』(2か国語放送)にて、日本初の音声多重の実験放送が開始(同ステレオ放送は翌1970年に東京で開始)。


NHK受信契約数
  • NHKのテレビ受信契約数が21,880,000件に達し、普及率が90%を突破[2]


視聴率
  • TBSがこの年の年間視聴率で、ゴールデンタイム(19〜22時)において首位となる(1963年から7年連続)。
  • NET(日本教育テレビ、後のテレビ朝日)が同じくこの年の年間視聴率で、全日帯(6~24時)において在京民放局で首位となる(以後、1971年まで3年連続)[注 5]


技術
  • 8月6日、インテルサット3号系 F3 インド洋衛星による日本⇔イギリス間のテレビ伝送(カラー対応)が開始。テレビ方式が日本(NTSC)とイギリス(PAL)では違う為、各々の受信側でその国のテレビ方式に変換する変換機を使って放送を実現。日本ではこの中継に備え、NHK放送技術研究所が同装置の実用第1号機を完成、放送2カ月前の6月5日に発表している。[3]
  • NHK放送技術研究所で、当時世界一の小型カラーカメラが開発。8月31日にNHK総合「第47回全日本選手権レガッタ」の中継にて初使用。同カメラは、イメージオルシコン撮像管使用で、幅:26cm,長さ:55cm,高さ:21cm,本体重量:28kg。[4]


番組関係のできごと

1月
  • 1日 - NHK総合、東京・大阪・札幌・鳥取・名古屋を始め、様々な地域から年始の模様をカラー(一部モノクロ)中継する2時間のワイド特集番組『未来は始まっている』放送。[3][5][6]
  • 13日 - NHK教育、3日間に渡り正月特番『テレビ討論会』を放送。1日は「現代政治とデモクラシーの可能性」[7]、2日は「スチューデントパワ ーと現代」[8]、3日は「アジアと日本 -ベトナム以後にどう対処するか」[9]をそれぞれ放送。[3][10]
  • 3日 - NHK総合、法隆寺金堂壁画復元の模様を長期取材したカラードキュメンタリー番組『壁画復元』放送。[3][11][12]
  • 4日 - NHK総合、米メトロポリタン歌劇場で前年(1968年)の11月にカラー収録した公演、「ロッシーニ作曲 歌劇『セビリアの理髪師』」を放送[11][13]。同歌劇場の要請によりNHKと協力で、歌劇場生公演で欧米では初のカラー収録を行った[注 6][15]
  • 5日
    • NHK総合、大河ドラマ初のカラー作品『天と地と』がこの日放送開始、1年間にわたり放送。[3][16]
    • TBS系「東芝日曜劇場」の人気シリーズ『女と味噌汁』が、この日の第12話から、毎回カラー放送となる。同番組の人気シリーズに於いての毎回カラー化はこれが初。
  • 9日
  • 13日 - TBS系、昼のワイドショー『お昼にあいましょう』放送開始( - 6月27日。司会:川崎敬三 ほか)。[3]
  • 16日 - TBS系、連続ドラマでは初の本格的なスタジオカラーカメラ使用によるカラー連続ドラマ『守ルモ攻メルモ』放送開始( - 4月10日)。[18][19][20]
  • 17日 - 日本テレビ系、1957年4月1日から一時期中断を挟んで続いていた婦人ニュース』が、この日を以て終了。通算3142回。[3]
  • 1819日 - 東大紛争にて東大安田講堂事件が発生。NHK総合と在京民放(東京12チャンネルを除く)が東大安田講堂への機動隊導入を中継。これを受け各局で特集・特別番組を編成。[3]
2月
  • 2日 - NHK総合、特別番組『政治討論会 - 沖縄・安保をめぐるわが党の主張』放送。[3][21]
  • 9日 - 日本テレビ系、サンデースペシャル「世界フェザー級タイトルマッチ 西城正三×ペドロ・ゴメス」をカラー放送。この年ボクシング番組で最高の40.8%の視聴率を獲得した。[注 8]
  • 11日 - NHK、建国記念の日特集として、総合でカラー特別番組『よみがえる古都』[22]を、教育で『教養特集 「出雲神話の世界」』[23]をそれぞれ放送。[3][24]
  • 20日 - NHK総合、カラー海外取材番組『婦人と社会』放送開始( - 4月10日、全8回)。[3][25]
3月
4月
5月
  • 3日 - NHK総合、憲法記念日のこの日、2時間49分の長時間に渡る特集討論番組『安全保障への選択』を放送。[3][62][63]
  • 4日 - NHK総合、特別番組『こんにちは東海道』を放送。昔から現代までの「道と人間とのかかわり」を基本テーマとして、東海道の様々な変貌とその表情を、東京日本橋、神奈川県箱根、静岡県牧ノ原、名古屋駅、鈴鹿峠、千里丘陵 等から21台の中継カメラによる多元中継で同時にとらえ、東京のスタジオでのゲストによる東海道の今昔そして未来への展望等を織り込んだワイドショー。[3][64][65]
  • 6日 - 同月1日に開局したばかりの兵庫県の独立局サンテレビが、この日から、全試合・試合開始から終了まで、完全生中継によるプロ野球中継を開始(初戦は、阪神甲子園球場からの「阪神広島」戦)。サンテレビボックス席』の名称で同局の看板番組の1つとして定着する[66][67]
  • 1217日 - NHK東北6県(仙台中央放送局及び同管内局)、総合テレビで、東北6県の農業後継者をテーマにし、同各県の放送局が制作した管内ローカルのシリーズ特別番組『あとつぎ』を放送。[3][68]
6月
7月
8月
  • 2日 - NHK総合で、夏恒例の音楽特番『第1回思い出のメロディー』放送(カラー。以後、毎年8月に実施[注 19])。[注 20][3]
  • 4日 - TBS系、ナショナル劇場松下電器(後のパナソニック)一社提供)枠でカラー時代劇水戸黄門』が放送開始[3][36]。2011年12月まで全43部にわたって放送され、TBSの看板番組の1つとなった。ちなみに、初代水戸光圀役は東野英治郎が演じた。
  • 6日
    • 中国放送、『幻のフィルムは語る』(米軍押収原爆フィルム)を放送。これを通じて、文部省(当時)がカットした部分をスライドにてテレビ公開する。[3][72]
    • インテルサット3号系 F3 インド洋衛星による日本⇔イギリス間のテレビ伝送(カラー対応)がこの日開始。記念番組として先ずNHKが、20時から30分間総合テレビで『日英交換衛星中継』をカラーで生放送。挨拶を交え、東京銀座、英ロンドン市内から生中継。[3][73][74]
  • 7日(6日深夜) - 前述の衛星による日英テレビ伝送の開始を受け、日本テレビでこの日の午前0時25分から『日本の夏(日英交歓衛星中継)』がカラーで放送。[74]
  • 31日 - NHK総合、カラーでは日本初の移動中継番組「第47回全日本選手権レガッタ」を、埼玉県の戸田ボートコースから中継。この中継には、NHK放送技術研究所で開発された、当時世界一の小型カラーカメラ[注 21]が初使用された。[3][4]
9月
  • 17日 - 公職選挙法が改正されたのに伴い、この日、日本で初めての政見放送が行われる。初放送は、この月の28日投票の徳島県知事選挙にて、NHK徳島放送局にて行われた(同月25日にも放送)。同月18、23日には、四国放送(JRT)にて民放初のそれが放送された(NHK、JRT共にモノクロ放送)。[3][75]
  • 21日 - TBS系「東芝日曜劇場」が、この日放送の『ゴンズイとキス』から、毎回カラー放送となる。
  • 28日 - TBS系カラードキュメンタリー番組『われら一族』の最終回にて、北海道放送(HBC)制作による、社会の歪みと矛盾に傷ついた少年達の養護施設「北海道家庭学校」を全国放送[76][77]。放送後HBCには再放送の要望が多く寄せられ、同局では北海道ローカルにて同年11月3日に再放送を行った[78]
  • 29日 - NETがFM東海と共同で、ステレオ音声でのテレビ番組の制作・放送を、この日放送の「東京のこだま」で初実施。映像をNET(モノクロ映像、モノラル音声)、ステレオ音声をFM東海で同時放送。民放初の試みとなる。[注 22][79][80]
10月
11月
  • 9日 - 日本テレビ系のカラー演芸番組『笑点』、初代の立川談志に代わる2代目司会者として前田武彦が登場( - 1970年11月)。同時にテーマ曲も1967年1月から使用していた『笑点音頭』から中村八大作曲によるテーマ曲に変更[注 27]
  • 15日25日(日本時間) - NHK総合、アポロ12号に伴う、カラー放送での特別編成を実施。打ち上げから月面着陸、船外活動や地球への帰還・着水までを随時特別番組を設けたりしながら中継。同月19日には、特別番組『嵐の海の飛行士』やニュース内で、第1回の船外活動の模様を月からカラーで中継したものの、月面に降り立ってから船員が直ぐにカラーカメラのレンズを誤って太陽に向けた為撮像管が破損して壊れた為、それ以後月からの映像は送れない事態となった(「アポロ12号#主要な任務」の項も参照)。[3][87]
12月

その他テレビに関する話題

フジテレビ本社全館完成(3月。左側の黒いビルが当時新たに完成したタワービル。写真は1991年撮影)
1 - 3月
4 - 6月
7 - 9月
  • 9月25日 - 民放労連、10月からのテレビ番組改編で番組内容悪化と反対を表明。[3]
10 - 12月

開局・放送開始

*はこの開局により、いままで民放テレビが1局しか視聴できなかったのが2局になった地域。

視聴率

(※関東地区、ビデオリサーチ調べ)

  1. 第20回NHK紅白歌合戦(NHK総合、12月31日)69.7%
  2. 連続テレビ小説 あしたこそ(NHK総合、1月31日)55.5%
  3. ゆく年くる年(NHK総合、12月31日)46.9%
  4. 連続テレビ小説 信子とおばあちゃん(NHK総合、4月17日)45.7%
  5. ニュース(NHK総合、7月21日 7:00-8:12)45.4%
  6. ニュース(NHK総合、1月18日 8:30-8:45)44.6%
  7. 特番・アポロ11号発射(NHK総合、7月16日)43.8%
  8. ニュース(NHK総合、8月23日 7:00-7:20)43.0%
  9. 夜のヒットスタジオ(フジテレビ、3月17日)42.2%
  10. スタジオ102(NHK総合、1月18日)41.6%
  11. カメラリポート(NHK総合、6月27日)41.5%
  12. サンデースペシャル「世界フェザー級タイトルマッチ 西城正三×ペドロ・ゴメス」(日本テレビ、2月9日)40.8%
  13. ザ・ガードマン(TBS、1月17日)37.4%
  14. 特番・アポロ情報(NHK総合、5月24日 8:05-8:26)36.8%
  15. 三菱ダイヤモンドアワー日本プロレス中継(日本テレビ、1月10日)36.6%
    • 防災映画・地震にそなえる(NHK総合、11月26日)36.5%
    • ニュース(NHK総合、12月31日 20:55-21:00)36.5%
  16. 肝っ玉かあさん(TBS、9月25日)36.4%

テレビ番組

この年は、カラーとモノクロの混在が多いことから、判明している番組のみそれを示す。

テレビドラマ

NHK
日本テレビ
TBS
フジテレビ
NETテレビ
東京12チャンネル

子供向けドラマ

日本テレビ
TBS
NETテレビ

テレビアニメ

特別番組

特撮番組

スポーツ番組

特別番組

バラエティ番組

演芸番組

クイズ番組

音楽番組

トーク番組

報道・情報・ワイドショー番組

教養・ドキュメンタリー番組

映画番組

宗教番組

単発特別番組枠

既存番組のカラー化

年内開始番組を除く

ローカルニュースのカラー化(兼:カラーフィルムによる報道取材開始)

*は開局日から開始。

参考文献

脚注

注釈

  1. ^ a b 開局時は「テレビ岡山」の愛称を使用していた。
  2. ^ a b この日開局したフジテレビ系列局(他局とのクロスネットも含む)は以下の通り。長野放送富山テレビ放送石川テレビ放送岡山放送[注 1]サガテレビテレビ長崎テレビ熊本鹿児島テレビ放送
  3. ^ a b 発足時の加盟局は以下の通り。フジテレビ、関西テレビ放送東海テレビ放送テレビ西日本札幌テレビ放送秋田テレビ仙台放送NST新潟総合テレビ長野放送テレビ静岡富山テレビ放送石川テレビ放送福井テレビジョン放送岡山放送広島テレビサガテレビテレビ長崎テレビ熊本鹿児島テレビ放送の全19局。沖縄の沖縄テレビは当時米領であった為、日本に復帰した1972年5月15日に正式加盟となっている。ただ、正式ではないものとみなされば、主に発足時の1969年10月1日としているケースがあり、それを加えれば、計20局となる。尚年内には、12月10日に開局した愛媛放送(後のテレビ愛媛)も加盟している。
  4. ^ この年の初回からカラー放送で、番組冒頭でカラー放送のマークも表示されている。しかし、初回は生放送で、NHKでは放送用のカラービデオテープ(当時は2インチVTRのみ)では保存せず、当時司会の宮田輝の夫人が自宅で録画していた、家庭用モノクロVTRで収録した映像が残され、後にNHKに寄贈された(「宮田輝#エピソード」の項を参照)。[1]
  5. ^ NHKを含めた場合は、NHKが全日帯で首位であった。なお、NHKの全日帯首位は1963年から1986年まで24年間続いた。
  6. ^ 1968年11月7日の初日公演及び3日前の最終ドレスリハーサルを収録。主要機材は全てニューヨーク現地で借用。米アンペックス社のハイバンドVTR VR-2000で録画。撮影には米RCA社の3本のイメージオルシコン撮像管(3IO)によるカラー放送初期のカメラ TK-41Cを4台使ったが(NHKは同型カメラをカラー実験放送を開始した1957年に導入したことがあり、NHK放送博物館にも所蔵資料として保管されている[14])、3IOの部分をNHKが日本から持参した高感度仕様(型番:LD-750)に全台取り替えたことで大幅に映像画質性能が改善され、米国内でこの撮影時既に過去のカラーカメラと言われた3IOカメラを感度・画質の面で再評価させた。
  7. ^ 2021年現在は『ザ・タイムショック』のタイトルで改編期特番として放送。
  8. ^ a b c CSの日テレジータスにて再放送された。
  9. ^ a b 但し、NNN協定適用外の番組(『読売・朝日・毎日3社ニュース』等)は、引き続きモノクロ放送だった。
  10. ^ この日の東京の降雪量は33センチを記録し、当時統計史上1位の記録になった。[28]
  11. ^ 「3時のあなた」は、岡山放送のみは開局当初ネットせず、それから1年後の1970年4月1日にネットを開始した。
  12. ^ 『スタ千』は厳密には土曜放送再開。
  13. ^ 当時JNN非加盟局だった福島テレビがネットに参加。
  14. ^ NHKクロニクルでは、同年「4月9日」の総合テレビの番組表には、午後8時から『連想ゲーム<新番組> ~NHKホールで録画~』とある[51]。NHK年鑑'70の214ページにこの番組のことを記した項目があるが、そこでは番組開始日が「4月11日」と記されている[52]が、NHKクロニクルではこの日の総合テレビの番組表には当番組の記載はなく[53]、明らかに誤り。
  15. ^ 1960年の同日に、当時米領の沖縄県本土復帰をめざす中心的団体として「沖縄県祖国復帰協議会」が設立。その記念日を「沖縄デー」と称し、それから毎年同日に、本土復帰の為のデモ行進を行っていた(「沖縄県祖国復帰協議会」の項目を参照)。
  16. ^ a b c カラー中継車未導入の地方局からの中継の場合は、モノクロ放送。
  17. ^ a b 『NETワールドプロレスリング』は1972年9月まで日本プロレス中継として放送され、同年10月に同年7月開始の『NET日本プロレスリング中継』へ一本化されたが、1973年3月30日終了。同年4月6日から新日本プロレス中継へ変更の上『ワールドプロレスリング』に再改題され、2025年現在も継続。
  18. ^ 黛敏郎の没後も司会者交代を繰り返しつつ、放送枠も移動しながら継続。2025年現在は石丸幹二(俳優)が司会を務めている。
  19. ^ 2020年 - 2021年は開催せず『ライブ・エール』を放送。
  20. ^ a b この回、NHKでは放送用のカラービデオテープ(当時は2インチVTRのみ)では保存せず、当時司会の宮田輝の夫人が自宅で録画していた、家庭用モノクロVTRで収録した映像が残され、後にNHKに寄贈された(「宮田輝#エピソード」の項を参照)。
  21. ^ 同カメラは、イメージオルシコン撮像管使用で、幅:26cm,長さ:55cm,高さ:21cm,本体重量:28kg。
  22. ^ この回の内容は「おかあさんのためのコンサート」で、同年8月26日東京文化会館で行われた、森正指揮による東京都交響楽団の演奏で、リヒャルト・シュトラウス作曲による、交響詩「ドン・ファン」の演奏の模様が、指揮をした森正と八木治郎による対談も含めて放送された。ちなみに番組ソースの送出はNETが行い、ステレオ音声はそこから回線を通じて、FM東海に送られて放送された。
  23. ^ 1971年3月27日 - 同年9月25日の間は、ドリフメンバーが日本テレビ系『日曜日だョ!ドリフターズ!!』に出演のため休止し、ハナ肇とクレージーキャッツ出演の『8時だョ!出発進行』をつなぎ番組として放送した。
  24. ^ 後年『木曜スペシャル』の一シリーズとして放送された。
  25. ^ 1998年11月からは東芝を筆頭とする復数社提供。2018年3月をもって降板
  26. ^ その後、1981年4月からの『ザ・トップテン』→『歌のトップテン』と続く『トップテンシリーズ』へとつながる。
  27. ^ ただし、当初は前田自ら作詞して歌詞をつけたバージョンも存在していた。
  28. ^ 1971年12月 - 1972年11月放送の『ミラーマン』のみ特撮番組だが、この作品も旭通信社が代理店を務めた。
  29. ^ 当時の朝日放送(後の朝日放送グループホールディングス)のテレビ放送部門。2018年4月より放送持株会社制ならびに分社化により「朝日放送テレビ」となる。
  30. ^ 1月4日、モノクロ放送で開始。同年4月5日放送回の第14話よりカラー化。
  31. ^ 各日の放送演目は、1日「子宝三番叟」、2日「峠の万才」、3日「梅の寿」。
  32. ^ この日の朝日新聞で、東京版朝刊11ページのテレビ欄番組表のみ、(カラー)『日本歌めぐり』という番組名で表記されている。大阪版、名古屋版、西部版、北海道版では全て、『ロッテ歌のアルバム』という番組名とカラー表記がされている。
  33. ^ 開局のこの日では、一部の時間帯のニュースでカラー放送を行っている。同局は2ヶ月前の2月1日からサービス放送を開始しているが、開局日前日までは不明。

出典

  1. ^ NHK放送史『第1回 思い出のメロディー』(NHKアーカイブスのサイト)(2024年12月29日閲覧)
  2. ^ NHKアーカイブスカタログ、1965-1969年
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh bi bj bk 「放送史年表 -詳細版- 1969年」(NHK放送文化研究所)(2025年5月20日閲覧)
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  6. ^ 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'69』日本放送出版協会、1969年、112, 135頁。NDLJP:2525969/73,NDLJP:2525969/84 
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  12. ^ NHKクロニクル『ドキュメンタリー 「壁画復活」』アナログ総合 1969年01月03日(金) 午後10:15 〜 午後11:14
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