1972年のテレビ_(日本)とは? わかりやすく解説

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1972年のテレビ (日本)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/12 23:44 UTC 版)

1972年のテレビ(1972ねんのテレビ)では、1972年(昭和47年)の日本におけるテレビジョン放送全般の動向についてまとめる。

主なできごと

沖縄が日本に返還。沖縄と奄美群島で本土との同時ネットでのカラー放送が開始。

5月15日沖縄が日本本土に返還され、新生沖縄県が発足したのに伴い、NHK沖縄放送局が開局(沖縄放送協会が解散)[1]、民放の沖縄テレビ(OTV)、琉球放送(RBC)両局がコールサイン・チャンネル番号を変更。更に、電電公社によるカラー同時ネットの下り高規格回線が、鹿児島→名瀬→沖縄本島間に新たなルートを開拓して初めて開設。本土から奄美群島名瀬中継局発)と沖縄本島へのカラー同時ネット放送が漸く可能となった[2][3][4]


開局(返還された沖縄県を除く)

4月1日に、フジテレビ系列の北海道文化放送(UHB)、系列を持たない独立U局テレビ神奈川びわ湖放送が開局。北海道はUHBの開局により、北海道地区の4系列4民放によるフルネット化が完了


鳥取県島根県に本社を置く民放テレビ局が両県への相互乗り入れを開始(山陰準広域圏

9月22日、鳥取県を放送対象地域としていた日本海テレビ(NKT)が島根県での放送を開始。また島根県を放送対象地域としていた山陰放送(BSS、本社は鳥取県米子市)、山陰中央テレビも鳥取県での放送を開始。これにより、同地域は民放が3局体制となる。


日本テレビネットワーク協議会(NNS)発足。

発足時は、日本テレビほか18局(計:19局)が参加した[注 1]


全面カラー化への動き
  • 前年の読売新聞に続き、NHK教育テレビを除く全テレビ局の放送番組のほとんど全部がカラー放送になった状況から、朝日新聞が同年元旦のテレビ欄の番組表から、そして毎日新聞も4月1日からそれぞれカラー放送の表記がなくなる[5][6]
  • 7月1日、映像・音声周波数の単位がメガサイクル(Mc)からメガヘルツ(MHz)に変更されたのを受け、在京を含む多くの民放局が番組開始・終了の動画映像を変更・カラー化。
  • 年末までNHK地方局のカラー化整備が完了したことで、ローカル番組を含めたNHK総合テレビの全面カラー化が完了。 [注 2][9]
  • 1月現在の在京民放キー局の1日平均のカラー放送時間及び全放送時間に対する比率(NHK年鑑'72 2ページに記載)


テレビ番組

番組関係のできごと

1月
2月
  • 313日 - 札幌冬季オリンピック開催、NHKカラーで生中継[注 5]。尚、オリンピック放送は、この札幌冬季大会から全面カラー制作・放送となる。
  • 12日 - フジテレビ土曜21:00枠のクイズ番組『ズバリ!当てましょう』(第1期)が、この日の放送をもって10年半・550回の幕を降ろし、翌19日から設定を一部流用した『クイズの王様』を放送開始(司会:石坂浩二[11]。なお『ズバリ』は、3年8ヶ月後の1975年10月4日から同局の土曜19:00で再開した。
  • 28日 - この日の午前10時過ぎから、連合赤軍あさま山荘事件の人質救出、事件解決の模様を、NHK・民放各局が通常番組を休止して報道特別番組を編成し生中継[12]。犯人が逮捕・連行された後の19時頃まで放送され、民放ではCMなしで放送する前代未聞の騒ぎとなった。ここで、フジテレビ・長野放送によるFNN取材団が夜18時過ぎに犯人逮捕・連行の瞬間をモノクロながら鮮明な映像でスクープ撮影、FNNを通じて全国に生放送。これが後に、フジテレビが報道に力を入れるきっかけを作った(「長野放送#『あさま山荘事件』犯人逮捕のスクープ裏話」を参照)。
3月
4月
5月
6月
  • 17日 - 佐藤栄作首相(当時)がこの日退陣を表明、NHKなどで退陣に関する記者会見を中継。異例のテレビ主導による会見となった[16]
7月
  • 8日 - NET系で、土曜20時枠に特撮番組『人造人間キカイダー』とテレビアニメ『デビルマン』の2本立てを編成、1974年3月までこの体制となる[注 8]
  • 21日 - 日本テレビ系で、刑事ドラマ太陽にほえろ!』が放送開始東宝制作)。1986年11月14日まで全718回続く長寿番組となった。
  • 28日 - NET系で、5月12日をもって打ち切られた日本テレビ系『日本プロレス中継』の後継番組として、月曜20時台に放送されていた『NETワールドプロレスリング』の他にも、金曜20時台にも『NET日本プロレス中継』を開始。9月25日まで月曜・金曜の並行放送を続け、9月29日から『NET日本プロレス中継』に一本化(1973年3月30日終了)[注 9]
8月
9月
10月
12月

その他テレビに関する話題

テレビ神奈川(4月1日開局。写真は初代本社で、既に解体済み)
びわ湖放送(4月1日開局)
NHK沖縄放送局(5月15日沖縄返還により開局)
  • 4月1日
  • 5月15日 - 沖縄が日本本土に返還され、新生沖縄県が発足。
    • NHK沖縄放送局が開局(沖縄放送協会が解散)[1]
    • 沖縄テレビ(OTV)、琉球放送(RBC)両局がコールサイン・チャンネル番号を変更。これと同時に沖縄テレビはFNNFNSに、琉球放送はJNNにそれぞれ正式加盟(詳しくは各局の項を参照)。
    • 電電公社の鹿児島→名瀬→沖縄本土のカラー放送対応の下り高規格同時ネット回線が開通。これに伴い、沖縄県のテレビ局に於いて本土からの同時ネット受けのカラー放送が可能となり、更に鹿児島県の離島である奄美群島名瀬中継局発)で初めてカラー放送が開始される(NHK総合のみ)[2]。但し当時は1回線のみの開通で、それを、NHK総合・琉球放送・沖縄テレビと時間帯を分けて使用していた(12月9日まで)[20]
  • 6月14日 - 日本テレビネットワーク協議会(NNS)発足。日本テレビほか18局(計:19局)が参加[注 1][16]
  • 7月1日 - 映像・音声周波数の単位がメガサイクル(Mc)からメガヘルツ(MHz)に変更[21]。これを受け、多くの民放局が番組開始・終了の動画映像を変更・カラー化する。
    • 日本テレビでは、放送開始・終了時に流れる映像鳩の休日」が開局以来19年間使われたモノクロ版から、カラー版へと一新した[注 13]
    • TBSでは、音楽は同じだが、映像をカラーで新規に制作した「ガラス棒」のバージョンに変更。局名・コールサイン・周波数のアナウンスも藤田恒美(当時TBSアナウンサー)に変更された(1991年9月29日まで使用)。
    • フジテレビ、NETでは、オープニング・エンディングそれぞれに新たなカラーフィルム・音楽を制作、放映を開始。
  • 9月22日 - 鳥取県島根県に本社を置く民放テレビ局が両県への相互乗り入れを開始(山陰準広域圏。鳥取県を放送対象地域としていた日本海テレビ(NKT)が島根県での放送を開始。また島根県を放送対象地域としていた山陰放送(BSS、本社は鳥取県米子市)、山陰中央テレビも鳥取県での放送を開始。
  • 12月10日 - 電電公社の鹿児島→名瀬→沖縄本土のカラー放送対応の下り高規格同時ネット回線が従来の1回線から増強され、NHK総合・教育、琉球放送、沖縄テレビ各チャンネル専用回線が開通。これに伴い、沖縄本島と奄美群島が共にNHK総合テレビが全面カラー化され、更に、NHK教育テレビのカラー放送が開始[注 14][20]。RBC、OTVは同時ネット回線受けでの放送が全面カラー化された。
  • 年末まで - NHKの地方局のカラー化整備が完了。これにより、ローカル番組を含めたNHK総合テレビの全面カラー化が完了[注 2][9]

開局

周年

番組

開局・放送開始

視聴率

(関東地区、ビデオリサーチ調べ)

報道

  1. ニュース(NHK総合、9月8日)55.5%
  2. ニュース(連合赤軍あさま山荘事件)(NHK総合、2月28日)50.8%
  3. 田中総理中国へ(NHK総合、9月25日)50.6%
  4. スタジオ102(NHK総合、2月29日)47.0%
  5. カメラリポート(NHK総合、2月29日)46.6%
  6. 即日当選開票当確者紹介(NHK総合、12月11日)46.1%
  7. ニュース(NHK総合、2月29日)44.9%
  8. 当確者に聞く(NHK総合、12月11日)44.3%
  9. ニュース(NHK総合、4月27日)44.0%

スポーツ

  1. 第20回オリンピックミュンヘン大会(NHK総合、9月8日)58.7%
  2. 第20回オリンピックミュンヘン大会(NHK総合、9月2日)55.5%
  3. 第11回冬季オリンピック札幌大会(NHK総合、2月11日)53.1%
  4. 第20回オリンピックミュンヘン大会(NHK総合、9月10日)51.3%
  5. 第20回オリンピックミュンヘン大会 閉会式ハイライト(NHK総合、9月12日)46.9%

バラエティー

  1. 第23回NHK紅白歌合戦(NHK総合、12月31日)80.6%
  2. 1972年度輝く!日本レコード大賞・第2部(TBS、12月31日)46.5%
  3. 8時だョ!全員集合(TBS、7月15日)45.7%

ドラマ

  1. ありがとう(TBS、12月21日)56.3%
  2. 連続テレビ小説 繭子ひとり(NHK総合、2月10日)55.2%
  3. 連続テレビ小説 藍より青く(NHK総合、9月8日)53.3%
  4. 時間ですよ・最終回(TBS、3月15日)36.2%
  5. 肝っ玉かあさん(TBS、1月13日)33.0%

テレビ番組

テレビドラマ

NHK

日本テレビ系

TBS系

フジテレビ系

NETテレビ系

東京12チャンネル系

子供向けドラマ

NHK

日本テレビ系

TBS系

フジテレビ系

NETテレビ系

テレビアニメ

特撮番組

報道・情報番組

バラエティ番組

クイズ番組

音楽番組

トーク番組

教養・ドキュメンタリー番組

映画番組

スポーツ番組

単発特別番組枠

その他

既存番組のカラー化

ローカルニュースのカラー化(兼:カラーフィルムによる報道取材開始)

  • 4月1日:山形テレビ

脚注

注釈

  1. ^ a b 発足時の加盟19局は以下の通り。日本テレビ放送網讀賣テレビ放送札幌テレビ放送名古屋放送(後の名古屋テレビ放送(メーテレ))福岡放送青森放送秋田放送山形放送新潟総合テレビ(NST)山梨放送北日本放送福井放送日本海テレビジョン放送広島テレビ放送山口放送四国放送西日本放送南海放送高知放送
  2. ^ a b 「NHK年鑑'73」の223ページの「放送施設の整備」内の「(カラー放送設備の充実)」の項目では、「47年度地方局カラー放送設備の充実をはかった結果、47年度後期からローカル番組を含めた全時間帯の番組がカラー放送でサービスできるようになった。」と記されている。一方、1982年にNHK新潟放送局が刊行した「みなさんとともに五十年JOQK」では、同年11月6日に新潟放送局にテレビのカラー放送用中継車が(初めて)導入されている記述があったり[7]、この時期NHKは新潟放送局を含め、釧路、青森、福島、長野、静岡、金沢、松江、高松、熊本(九州本部)、鹿児島、沖縄の各局にカラー中継車を導入している記述が「NHK年鑑'73」の231ページ(本文)と232ページ「表-16 カラー中継設備」に記載されていることを考慮し、ここでは、期日を年末までと記している。尚、NHK長野放送局の歩みを記した書籍「あなたとともに70年 -長野五輪・城山から稲葉へ-」(NHK長野放送局:編、2001年発行)の61ページでは、同年10月2日にカラー中継車が導入されたという記述がある[8]。これは「NHK年鑑'73」の223ページの前述の文と合致している。
  3. ^ これにより、19:00の特撮番組『ミラーマン』、20:00の時代劇『一心太助』(杉良太郎主演版)、21:00のトーク番組『ラブラブショー』の計3本が休止。また19:30のアニメシリーズ『カルピスまんが劇場(→世界名作劇場)』は、1969年10月5日開始以来初めて放送されなかったが、前作『アンデルセン物語』は前週の1971年12月25日で放送を終え、翌9日に次作『ムーミン』(第2作)が開始するため、「継続中の休止」には至らなかった。
  4. ^ a b 当時『クイズグランプリ』と『スター千一夜』は土曜日も放送されていた(1974年9月まで)。
  5. ^ ただし、国際映像はNHKと北海道放送(HBC)が共同制作し、世界各国に配信した。
  6. ^ この番組を当時同時ネットし、かつこの模様の中継協力をしたNST新潟総合テレビは、この月に自社初のカラー中継車を導入したばかりだった。
  7. ^ ただし1987年10月から1989年9月までは、平日22時枠に報道番組『JNNニュース22プライムタイム』→『JNNニュースデスク'88・'89』が編成されたために中断、この間は代替として水曜21時枠で『水曜ドラマ』が編成された。
  8. ^ 20時枠前半は1973年5月12日より続編の『キカイダー01』となり、また後続のアニメ枠は『ミクロイドS』→『キューティーハニー』と続く。
  9. ^ 1973年4月6日からは新日本プロレス中継に変更され、『ワールドプロレスリング』に再改題。
  10. ^ 1972年当時、朝日放送は東京放送(TBS、後のTBSテレビ)とネットワーク(JNN系列)を結んでおり、1975年4月からNETテレビ(後のテレビ朝日)とネットワーク(ANN系列交換(いわゆる「腸捻転」解消)を実施した。
  11. ^ 第5作のみ星正人主演。
  12. ^ TBSの人気番組『8時だョ!全員集合』も休止となったが、ザ・ドリフターズいかりや長介曰く「あとで局の人間が「視聴率、ヒトケタだったよ」とボヤいていたが」とのことである[17]
  13. ^ 当時使用されていたバージョンは2011年7月24日のアナログ放送終了の際にも、アナログ放送での最終映像として放送され、最終画面(「JOAX-TV(NTV)日本テレビ」)の左下に「58年間 ありがとうございました」の文字が添えられた。
  14. ^ ちなみにNHK教育テレビは、1977年10月に全面カラー化されている。
  15. ^ 日本テレビ版は遅れて1963年1月21日に開始したため、1973年で10周年だった。
  16. ^ 『シャボン玉ビッグワンショー』開始までのつなぎ番組

出典

  1. ^ a b 「NHKジャーナル/沖縄局が業務再開/「くらしに生かす…」全国集会」『放送教育』第27巻第4号、日本放送教育協会、1972年7月1日、88頁、NDLJP:2341335/45 
  2. ^ a b 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'73』日本放送出版協会、1973年、321,326頁。 
  3. ^ 関東電友会東京無線支部「本土-沖縄間マイクロ回線工事の思い出 関東電友会東京無線支部会報誌むせん37号抜粋」山根 信義(PDF)(2024年11月18日閲覧)
  4. ^ アメブロ「ウオッチング ウェ~イブ」2022年9月19日付「沖縄へテレビ番組と電話を届けてい"た"マイクロ波回線電波塔の現役時代と沖永良部島の航空自衛隊基地」(2024年11月18日閲覧)
  5. ^ 朝日新聞 1972年1月1日 朝刊 P.11 テレビ欄 (朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  6. ^ 毎日新聞 1972年4月1日 朝刊 P.20 テレビ・ラジオ欄 (毎日新聞「毎索」にて閲覧)
  7. ^ NHK新潟放送局『みなさんとともに五十年JOQK』NHK新潟放送局、1982年3月22日、218頁。 
  8. ^ NHK長野放送局編『あなたとともに70年 -長野五輪・城山から稲葉へ-』柳田雅之、2001年3月8日、61頁。 
  9. ^ a b 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'73』日本放送出版協会、1973年、223, 229~232頁。 
  10. ^ a b c d e 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'72』日本放送出版協会、1972年、2頁。 
  11. ^ a b c 米中200年の歩みが番組で特集される中、日本では連合赤軍による事件が勃発 Muscat(フジテレビ)2018年2月19日
  12. ^ 日本民間放送連盟(編)「放送日誌 昭和47年(1972)2月」『月刊民放』第2巻第4号、日本民間放送連盟、1972年4月15日、53頁、NDLJP:3470873/28 
  13. ^ a b c 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'73』日本放送出版協会、1973年、148頁。 
  14. ^ セサミストリート<新番組>「アーニーの背くらべ」ビッグ・バードの歌「だれでも失敗する」 - NHKクロニクル
  15. ^ ジョン・カビラさんと読んだ「放送法 第1条」」『NHK PR』、NHKオンライン、2022年5月23日https://web.archive.org/web/20220523134319/https://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=343472022年5月23日閲覧 に掲載されている「NHK沖縄放送局開局記念ポスター」の写真を参照。
  16. ^ a b 日本民間放送連盟(編)「放送日誌 昭和47年(1972)6月」『月刊民放』第2巻第8号、日本民間放送連盟、1972年8月15日、52頁、NDLJP:3470877/28 
  17. ^ いかりや長介『だめだこりゃ』(新潮社)182頁
  18. ^ EPシングル盤『「アドロ」フランク・プゥルセル・グランド・オーケストラ』(レコード番号:EOR-10216 発売元:東芝音楽工業(当時))の表面ジャケット及び裏面のライナーノーツに記載されている。
  19. ^ a b 日本民間放送連盟(編)「放送日誌 昭和47年(1972)4月」『月刊民放』第2巻第6号、日本民間放送連盟、1972年6月15日、53頁、NDLJP:3470875/28 
  20. ^ a b 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'73』日本放送出版協会、1973年、321頁。 
  21. ^ 日本民間放送連盟(編)「放送日誌 昭和47年(1972)7月」『月刊民放』第2巻第9号、日本民間放送連盟、1972年9月15日、53頁、NDLJP:3470878/28 
  22. ^ a b c d e f g 日本民間放送連盟(編)「(3)番組―イベント報道、ナマワイド生活情報番組、ブロック制作、報道と表現の自由」『月刊民放』第2巻第12号、日本民間放送連盟、1972年12月15日、19 - 21頁、NDLJP:3470881/11 
  23. ^ 読売新聞』(縮刷・関東版) 1972年(昭和47年)10月1日付朝刊、テレビ欄。
  24. ^ a b c テレビ東京の歩み
  25. ^ a b 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'73』日本放送出版協会、1973年、154頁。 
  26. ^ a b c 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'73』日本放送出版協会、1973年、147頁。 
  27. ^ a b c d e f g h 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'73』日本放送出版協会、1973年、143頁。 
  28. ^ a b c d 読売新聞 1972年1月1日朝刊 P.54 1月2日のテレビ欄 番組表(読売新聞「ヨミダス歴史館」にて閲覧)
  29. ^ 読売新聞 1972年4月2日朝刊 P.20 ラジオ・テレビ欄 番組表(読売新聞「ヨミダス歴史館」にて閲覧)
  30. ^ 読売新聞 1972年1月3日朝刊 P.11 ラジオ・テレビ欄 番組表(読売新聞「ヨミダス歴史館」にて閲覧)
  31. ^ 読売新聞 1972年1月7日 朝刊 P.20 及び 同月10日 P.16 共にテレビ欄
  32. ^ 読売新聞 1972年3月4日朝刊 P.22 テレビ欄 番組表(読売新聞「ヨミダス歴史館」にて閲覧)
  33. ^ 読売新聞 1972年4月7日朝刊 P.22 テレビ欄(読売新聞「ヨミダス歴史館」にて閲覧)
  34. ^ 読売新聞 1972年4月8日朝刊 P.22 テレビ欄 番組表(読売新聞「ヨミダス歴史館」にて閲覧)
  35. ^ a b c d e f g h i j 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'73』日本放送出版協会、1973年、83~4頁。 
  36. ^ 読売新聞 1972年4月29日朝刊 P.22 テレビ欄 番組表(読売新聞「ヨミダス歴史館」にて閲覧)

参考文献

など


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