1967年のテレビ_(日本)とは? わかりやすく解説

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1967年のテレビ (日本)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/16 21:33 UTC 版)

1967年のテレビ(1967ねんのテレビ)では、1967年昭和42年)の日本におけるテレビジョン放送全般の動向についてまとめる。

主なできごと

民放UHF新局に予備免許交付開始

11月1日、民放UHF新局にこの年初めて予備免許が交付された。これにより、地方の多くの県で民放テレビが1局しか視聴できなかったのが、翌1968年から2局に増えるようになる。(「#予備免許」の項も参照)


全面カラー化に向け、カラー番組が増加し始めた年

この年は先ず、NET及びその系列局(毎日放送九州朝日放送)が、漸くカラー放送を開始。又、前年のTBSに続き、フジテレビ関西テレビ(フジ系)、朝日放送(当時TBS系)、静岡放送が、スタジオカラーカメラを使ったカラー番組の制作・放送を開始。更に、今までカラーテレビ中継車を使った番組制作はNHK日本テレビ読売テレビだけだったのがこの年からTBS、フジテレビ、関西テレビ、静岡放送で開始され、特にTBSは、ボクシングの世界タイトルマッチを中心としてカラー中継番組が一気に増加、フジテレビと関西テレビは、この年の終わり頃から競馬中継のカラー制作を開始(NHKでは前年からカラー化)、静岡放送は、大都市ではない地方局で初導入、同社の15周年記念番組を皮切りにそれを使ったカラー番組制作を開始した。

NHKでも、午後9時と正午のニュース、そして天気予報(いずれも全国放送の部分)を秋からカラー化。NHK大阪放送局でも、11月1日からローカルニュースのカラー放送及びカラーフィルムによる報道取材を開始した。更に、カラー番組の増加に伴い、この年、全トランジスター化の最新型スタジオカラーカメラを導入、8月に稼働を開始している。同カメラは、NHKが今まで使用していた真空管式のそれらに比べ、色彩感・解像度・S/N比等画質を改善し、安定度を向上させ、従来のモノクロスタジオカメラ並に小型・軽量化させたことから、このカメラはその後NHKにて数多く導入され、NHKテレビの全面カラー化への大きな礎の1つとなった。

日本に於いてのカラーでの衛星中継も開始された。最初の同中継は、前年の大晦日(1966年12月31日)からこの年始めにかけてのNHK総合の恒例の年末年始番組『ゆく年くる年』で、年始に入り日本時間の午前0時09分から、日米初のカラー衛星中継として、米ニューヨークのロックフェラーセンター前から生放送された。

放送用2インチVTRでも、1964年に発表された、従来(ローバンド)より高画質録画・再生ができる新規格のハイバンドVTRが、前年のNHK、中国放送、TBSに続き、この年数多くのテレビ局で導入を開始、カラー録画・編集に於いて性能と実用性の高さも、カラー放送の増加に貢献した(「2インチVTR」の項を参照)。

尚、この年からは、1971年にほとんど全部の番組がカラー化されるまで、毎年のようにカラー番組の増加が目立っていく様になる。全体的な傾向から見ると、先ずは、ゴールデンタイムやスポーツ中継、海外のフィルム制作番組を中心に、カラー化が進んでいる。又、全面カラー化される以前は、普段はモノクロ放送の番組でも、一部の回のみカラー放送となるケースもあった。更に民放では、カラーテレビを製造・販売している会社がスポンサーになっている番組が、いち早くカラー化されるケースが多かった。この年の一社提供番組でも、TBS『東芝日曜劇場』が一部の回にてカラー制作を開始、フジテレビ『ズバリ!当てましょう』(松下電器提供)が毎回カラー放送となっている。複数社提供番組でも、関西テレビの特撮ドラマ『仮面の忍者 赤影』のスポンサーの一社に同製造・販売会社があり、その会社の存在が番組をカラー制作にする決め手となった経緯がある(「仮面の忍者 赤影#企画経緯」の項を参照)。


テレビ番組


番組関係のできごと

1月
  • 1日
    • NHK総合
      • 昨年大晦日からの恒例の年越し放送『ゆく年くる年』内で、年明けの午前0時09分から、米からの衛星(宇宙)中継の部分のみ、日米衛星中継初のカラー放送を実施。その未だ現地時間で大晦日という米からは、ニューヨーク・マンハッタン・ロックフェラーセンター前からの生中継がカラーで放送された。番組はこの部分のみカラー、他の国内中継は全てモノクロだったため、この回は番組異例の「パートカラー放送」となった。[1][2]
      • 年始特集『世界を結ぶ宇宙時代』をカラーで1時間半に渡り放送。本格的な宇宙通信時代を迎えたことから、宇宙通信開発技術の歴史的な歩みと、世界を結ぶ放送の意義を認識する為、ニューヨークからのカラー衛星中継を録画した映像を交えて放送。番組には、作家のアンドレ・モロア、ロンドン大学教授のアーノルド・J・トインビー、東大宇宙航空研究所長・宇宙開発推進本部長の高木昇、そして当時TBS社長の今道潤三がゲスト出演した。[3][4][5]
      • 大河ドラマ三姉妹』放送開始( - 12月24日)[3][6][7][8]
    • TBS系、『いま世界は明ける』を放送。ニューヨーク・ロンドン・パリを結んで、衛星2段4元中継を実施。[3]
    • 日本テレビ及びTBS、この年から共に、会社会長の年頭の挨拶(日本テレビ:正力松太郎、TBS:足立正)がカラー放送となる[9]。更にTBSでは、放送開始の6時35分からの『迎春』から『カリフォルニアの日系農家』『会長挨拶』『日本舞踏「女車引」』までの連続55分間が全てカラー放送となる[9]。同局がこれだけ複数の番組を連続してカラー放送となるのは、東京オリンピック等を除いてはこれまで例がなかった。
  • 2日 - TBS系で正月演芸番組『初笑いうるとら寄席』を放送開始。当初は『初笑いウルトラ寄席』というタイトルで1月2日に放送、1972年から1月1日放送に変更しタイトルも改題、1978年より元の1月2日放送に戻り、1984年まで継続した。
  • 3日
  • 4日 - NHK総合、『時の動き』で、フィルム構成による「公害病の周辺」を放送[12]名古屋ではこの時間、ローカルで『新春経済放談』を放送)。[3]
  • 5日 - NHK総合、『海外取材番組』で「北極圏」が放送開始( - 2月9日、全5回。カラー放送)。[3]
  • 8日 - NET(後のテレビ朝日)系で象印スターものまね大合戦』放送開始象印マホービン一社提供)[3]玉置宏の司会で、1977年7月17日まで続く人気番組となる[13]
  • 10日 - NHK教育、『教養特集』で、教育テレビ放送開始8周年記念として、「社会教育における放送の役割」を放送。[3][14]
  • 15日 - TBS系、『東芝日曜劇場』が10周年記念カラー放送として、『女と味噌汁 その6』(1965年から始まった連続シリーズ)を、局初のスタジオカラーカメラを使用したテレビドラマ(カラーVTR使用)として制作・放送。[15][16]
  • 27日 - NHK総合、この日「インテルサットII 号系 F2(2号B)」による日米間の通信用静止衛星が開通したのを記念するカラー番組として、日米交換衛星中継による『通信用静止衛星きょう開通』を放送。番組では、東京の経団連会館とワシントンのヒルトンホテルを結び、開通式の模様を始め、米から送られた同月11日のインテルサット2号B打ち上げの模様の映像や、日米代表によるメッセージ・今日のニュースや番組等の交換を中継したりした。[3][17][18]
  • 29日 - TBS系、この日行われた「第31回衆議院議員総選挙」の開票速報にて、自社で独実開発した、国産大型電子計算機による漢字式表示装置(マジック・ディスプレー)を使用[3][16]
2月
3月
  • 1日 - この日、フジテレビの開局8周年記念の1つとして、この日の同系列の朝のワイド番組『小川宏ショー』が特別にカラーで生放送。これが、同局制作に於いて初のカラー生放送となった。この日は、1967年のパリのニューモードのファッションショーや、絵による子供の性格や知能テストの紹介等が放送された。[28]
  • 3日
  • 7日 - TBS系、昨年自社の番組『おはようニッポン』で一躍人気者となったイタリアの人形ネズミ「トッポ・ジージョ」による人形劇『トッポ・ジージョ』が放送開始( - 9月26日)。[3]
  • 19日 - NHK総合、NHK学園高等学校第1回卒業式の実況中継番組『この日のために』を、東京・千葉・帯広・松山・長崎を結んで放送。[3][34][35]
  • 20日 - NHK総合、『新日本紀行』がこの日の放送「南房総」にて、初のカラー放送を行う[36]。2週後の4月3日「五島列島」からは、毎回カラー放送となる[37]
  • 21日 - NHK総合にて様々な放送記念祭特集番組が放送。
    • 『日本の稲作』を放送。日本の稲作への関わりと本質等を、1965年6月から1967年2月までの長期取材を行ってまとめた60分のフィルム番組。同番組は後にベルリン農事番組コンクールに参加、黄金の穂賞を受賞した。[3][38][39]
    • カラーによるフィルムリレー『移りゆく国土』を放送。北は深い雪に覆われている北海道の宗谷岬から、鹿児島県奄美群島の沖永良部島まで、各地の春の模様やそこに生きていく人々の姿を描いた、全国20の放送局で全編カラー取材を行った番組。[40][41]
  • 27日
    • NHK総合で、1956年4月14日から放送されていたクイズ番組『私の秘密』(当時はクイズコンプレックス枠クイズアワー』内で放送)が、この日の放送をもって10年の幕を下ろす(終了時カラー放送)。なお『クイズアワー』もこの日の放送をもって廃枠になったため、残った『ジェスチャー』(終了時カラー放送)は翌4月の改編からは同月3日放送開始のバラエティコンプレックス枠『ファミリーショー』(カラー放送)に内包される( - 1968年3月25日)。
    • NETが、1週間後に正式なカラー放送を開始する前に、翌週にカラー化する番組予告のみに於いて同放送を行う。[注 1]
      • この日は、アニメ『魔法使いサリー』で、翌週放送される第18話「パパはにせもの」の予告が、同番組初のカラーで放送された。
  • 29日4月7日 - 東京12チャンネル毎日放送からの同時ネットで、第39回選抜高等学校野球大会の全試合を中継。[43]
4月
  • 1日 - 毎日放送九州朝日放送両局がカラー本放送を開始。[44][45][46][47]
  • 2日 - フジテレビ系でタツノコプロ制作のカラーテレビアニメマッハGoGoGo』放送開始( - 1968年3月31日)。
  • 3日
    • NHK、新年度の番組編成を開始。
    • NETがカラー本放送を開始[42][52]。これにより同局は4月の改編期に於いて、1週間当たり9時間15分、ゴールデンアワーの全番組の33%がカラー放送となる(いずれも毎日放送のネット分も含む)[42]
      • これを受け、同系列のテレビアニメ『魔法使いサリー』が、NETカラー放送番組第1号として、この日の第18話「パパはにせもの」からカラー放送となる。[53]
      • 他にも、『特別機動捜査隊』が5日からカラー放送となる。[48]
    • 九州朝日放送で月~金曜帯枠のローカルニュースショー『ティータイムショー』開始(1975年3月28日に一旦終了[54]し1980年10月6日に再発足。1983年8月5日まで続く) [55]
  • 4日 - TBS系、歌謡番組『TBS歌のグランプリ』放送開始。TBS系列の5社連合に加盟している全局(TBS、北海道放送中部日本放送朝日放送(当時TBS系準キー局)、RKB毎日放送)による共同制作。東京のTBS Gスタジオだけでなく、共同制作をしている各局から最新情報を含めての中継も織り交ぜていた。当初はモノクロ放送だったが、TBS Gスタジオが既にカラー放送に対応していたこともあり、6月6日[56]から月1回カラー放送を実施、9月5日からは毎回カラー放送となる[57]
  • 5日 - 関西テレビ・フジテレビ系で、東映制作によるカラー特撮ドラマ『仮面の忍者 赤影』(横山光輝原作)が放送開始。日本初のカラー製作によるテレビ時代劇となった( - 1968年3月28日)。
  • 8日 - NHKの園芸番組『趣味の園芸』放送開始(2025年5月現在も継続中)。[3][49][58]
  • 9日
    • TBS系「タケダアワー」のカラー特撮ドラマ『ウルトラマン』(円谷プロダクション制作)がこの日最終回(第39話)。ウルトラ兄弟の長兄・ゾフィー(CV:浦野光)が初登場。
    • NET→テレビ朝日系、淀川長治の映画解説による、今までの『土曜洋画劇場』が日曜日に移動し、この日から日曜洋画劇場』となってカラー放送化(但し、モノクロ映画の場合はモノクロ放送)。淀川の解説共に、テレビ朝日時代に渡って局の看板番組となる。淀川の死後も番組は続き、その後不定期期間も含め2017年2月12日まで放送され、映画番組としては放送期間が日本の歴史上最長を記録した。
  • 10日 - 東京12チャンネル(後のテレビ東京)、この日から平日18:45に海外アニメ再放送枠『マンガのくに』を開始、当初は15分枠だったが、1977年4月から30分枠に拡大、1980年3月限りで一旦休止、同年10月から国産アニメ再放送枠に変更し再スタート、1989年9月28日まで22年続く人気番組となった。
  • 16日 - NETで放送していた医療情報番組『話題の医学』(NET:1960年6月 - 1967年3月31日)が放送局を東京12チャンネルへ移籍しこの日放送開始、50年近く続く長寿番組となる( - 2016年12月25日)。
  • 20日 - TBS系、当時のソ連から初の衛星中継による番組『ソビエトから初の5元宇宙中継 -いま結ぶモスクワ・東京』(日ソ共同運航一番機現地着) 放送[3][59][60]
  • 26日 - TBSが初代6号中継車(カラー仕様)を導入(カメラには、前年Gスタで導入されたのと同じフィリップス社製(型番:PC-60)のカラーカメラを4台使用。)。導入日当日にこの中継車を使い、自系列で、川崎球場からのプロ野球ナイター中継「大洋 対 巨人」をカラーで放送。これを機に、自社でのカラー中継車を使った番組制作を、本格的に始める。[15][61][62]
  • 30日 - TBS、前述の初代6号中継車の導入を受け、プロボクシング中継のカラー放送を本格的に開始。この日は自系列にて、世界ジュニアウェルター級タイトルマッチ「サンドロ・ロポポロ藤猛」の試合を、蔵前国技館からカラーで中継[3][16][63][64]。関東地区にて39.9%の視聴率を記録(ビデオリサーチ調べ)[11]
5月
  • 3日 - NHK総合、憲法記念日特集として、『「土地の私権はどこまで制限できるか」 ―憲法第29条と社会の要請―』を1時間半に渡って放送。番組には田中角栄江戸英雄幾代通が出演した。[3][65]
  • 45日 - NHK総合、ゴールデンウィーク特番の1つとして、フィルム構成による『ドキュメンタリー特集』を2夜に渡って放送。4日は、角膜移植で開眼した女性の記録「開眼」を放送(後にこの番組はテレビABU賞を受賞する)[3][66]。5日は、「鳥はなぜ戻らない」を放送[67]
  • 13日 - NET、『バレーボール・日本リーグ』を中継。[3]
6月
7月
9月
10月
  • 1日
    • TBS系「タケダアワー」で円谷プロ制作の特撮ドラマ『ウルトラシリーズ』の第3弾ウルトラセブン』放送開始(カラー放送。全48話[注 3] - 1968年9月8日)。
    • RKB毎日放送をはじめJNN九州6局[注 4]でローカルドキュメンタリー『九州再発見』開始[3]九州電力が利益の地域社会還元を企図[77]。後年のJNN九州ブロックネット番組[注 5]の礎となる。
  • 7日 - TBS系土曜19時30分枠で、ロート製薬一社提供・大橋巨泉主演のコメディドラマ『こりゃまた結構』放送開始( - 12月30日)[注 6]。以後、巨泉は同枠でロート製薬提供の『お笑い頭の体操』→『クイズダービー』の司会を務め、1990年3月に卒業するまで22年間にわたってTBSの土曜夜の顔として親しまれてきた。
  • 12日 - 日本テレビ系で、スイスの「シュミットプロ」が開発した特殊テレビカメラを使う生放送公開射的ゲーム番組『みんなで当てよう ゴールデン・ショット』放送開始。だが海外の人気にもかかわらず日本では人気が出ず、1ヶ月後の11月23日より音楽番組を取り入れた『大爆発!ダイナマイトサウンズ』へ変更したが、それでも盛り返せず、通算2ヶ月で打ち切られた。
  • 21日 - 関西テレビがカラー中継車の稼働を開始。自社制作・フジテレビ系の全国ネット番組「プロ野球日本シリーズ「阪急×巨人」の第1戦を西宮球場から全国30局ネットでカラー独占生中継(同月22日の第2戦(全国10局ネット)、28日の第6戦(全国22局ネット)も同球場から同系列にてカラー生中継)。[78]
  • 30日 - TBS系で報道特番『ハノイ -田英夫の証言-』をカラー放送。ベトナム戦争が激しくなる中、TBSは7月、日本のテレビとして北ベトナムに初めて取材班を送った。1ヶ月にわたり北ベトナムを見てきた田が自分の取材した結果をスタジオから伝える内容だったが、北ベトナムの表情を「微笑みを浮かべて戦っていた」と田が報告したことに論議を呼ぶ。11月7日、自民党がTBSの今道潤三社長(当時)に抗議した。[注 7][3]
  • 31日 - 吉田茂首相10月20日没)の国葬が東京・日本武道館千代田区北の丸)で催され、NHK・民放各局で特別番組を編成[3]。NHK総合はカラーで、民放はモノクロで中継放送した[注 8][80][81]他、フジテレビではこの日の全番組をCMなしで放送した[3][82]
  • 財団法人民間放送教育協会の初の制作番組として、文部省委託の消費者教育番組『かしこい消費者』を放送。
11月
  • 1日 - 静岡放送、導入したばかりのカラー中継車を初めて使用して、開局15周年記念番組を、静岡市の静岡駿府会館(後の静岡市民文化会館)からカラー中継[注 9][83]。大都市ではない地方局のローカル番組に於けるカラー中継車を使った番組は恐らくこれが初めて。
  • 4日 - フジテレビ系で、日本初の単発特別番組枠『テレビグランドスペシャル』放送開始( - 1968年3月、1970年4月 - 1972年9月)。記念すべき第1回は『オールスター紅白大運動会』。
  • 12日 - 関西テレビ・フジテレビ系列、先月から稼働開始したカラー中継車を使い、『競馬中継』でのカラー放送を重賞レースを中心に開始(この日は京都競馬場からの『第28回菊花賞』の中継)。[84][85][86]
  • 16日 - TBS系、プロボクシング・世界ジュニアウェルター級タイトルマッチ「藤猛×ウイリー・クワルトーア」を、蔵前国技館からカラーで中継[87]。関東地区にて47.9%の視聴率を記録(ビデオリサーチ調べ)[11]
  • 26日 - TBS系「東芝日曜劇場」のカラー第3作『鳥が…』が放送[88]。芸術祭奨励賞を受賞する[89]
  • 28日 - 関西テレビ・フジテレビ系、自社のスタジオ収録では初のスタジオカラーカメラによる制作番組の単発カラードラマ『そしてあしたは』(昭和42年度芸術祭参加番組)を放送[90]
12月

その他テレビに関する話題

  • 2月20日 - NHK徳島放送局UHF大電力放送の技術上の諸問題について実験、調査を行うため徳島教育テレビジョン実験局開局。日本初のUHF大電力局(第38チャンネル、映像出力最大30kW、空中線は双ループ16面3段、全方向、水平偏線)[3][99]。7月26日、電波技術審議会は実験結果のデータを総合して大電力のUHFの送受信とも技術的には可能、と答申。UHF親局免許を可能とした。翌年2月20日に本放送開始[100]
  • 3月23日 - NET、カラー放送化の為の郵政省関東電波管理局)の落成検査に合格(本免許取得)。3日後の26日にマスターのカラー化工事を完成・火入れ式を施行[42]。翌日には番組予告のみのカラー放送を開始。
  • 4月1日
  • 4月3日 - NET、カラー本放送を開始(在京民放局では4局目)。[3][42][52]
  • 4月10日 - 経営悪化のため前年から放送時間を5時間半に短縮していた東京12チャンネル(後のテレビ東京)が営業活動を再開、放送時間を9時間に拡大。番組は在京キー局やNHKから調達。翌日からはプロ野球ナイター中継を開始。6月5日には11時間40分、10月2日には15時間となる。[3][102]
  • 6月10日 - 任意団体・民間放送教育協議会(当時、NETの学校放送をネットする13社が加盟。1961年6月21日設立)が、文部省(後の文部科学省)の認可により、財団法人民間放送教育協会(民教協。後に公益財団法人)として再発足(事務局はNET内に置く。加盟32社に)。[注 12][3]
  • 6月20日 - 山陰放送がカラー放送を開始。[105]
  • 8月1日 - NHK、カラー番組の増加に伴い、全トランジスター化の最新型スタジオカラーカメラの初運用を、先ず放送センターのT-605スタジオにてこの日から開始。最新型のそれは、今までの真空管式のそれらに比べ、色彩感・解像度・S/N比等画質を改善し、安定度を向上させた。[106]
  • 9月13日 - 琉球立法院沖縄放送協会設立法案を与党単独で可決。23日、初代会長に琉球放送常務川平朝清の任命を決定。10月2日、沖縄の公共放送として正式発足。12月22日に宮古、12月23日に八重山で放送開始。[3][107][108] [注 13]
  • 10月1日 - 山口放送がカラー放送を開始。東京12チャンネルと沖縄2社(沖縄テレビ放送琉球放送)を除く民放全社でカラー放送実施。[3][77]
  • 11月1日 - 郵政省、テレビ1640局に再免許、UHF新局15社16局に予備免許。[3]
    • この日をもって札幌テレビ、読売テレビ、毎日放送が準教育局から総合局となる。[3][82]
    • 総合番組局には教育・教養番組を30%以上[3]、又、主要な会見・イベント等は、NHKが民放と共に代表取材として編成するよう、電波法により条件付ける。
  • 11月14日 - 郵政省、東京12チャンネルに従来認めなかった娯楽番組を認める(全体の20%)。[3][82]

商号変更

  • 4月1日 - ラジオ中国→中国放送(ラテ兼営局で正式社名に“ラジオ”を付けていた最後の局。)[3][101][102]

既成局のカラー放送開始

UHF親局初の予備免許

当時の郵政省による「テレビジョン放送用周波数の割り当て計画」の大幅修正により、UHFのうち、従来中継局のみ使用している第45チャンネルから第62チャンネルに加え、親局用として第33チャンネルから第44チャンネルの使用が新たに開放、同一地区内のUV混在と広域放送圏内の民放県域局開設を認めた(10月13日[3]。これによりUHF第1次チャンネルプランで新規UHF局の予備免許が下りる。なおこの時のテレビ単営民放については、“JO*H”のパターンで揃えられた。

予備免許が下りた日及び主な局は、以下の通り[109][110]。同一市区町村内で移転した場合は現所在地(2025年時点)の記述を略す。

11月1日付で予備免許を受けた局(全て民放)
放送対象地域 呼出符号 交付時社名 本社所在地 備考
北海道 JOHH-TV 北海道テレビ放送株式会社 札幌市豊平区 現所在地:同市中央区
長野県 JOLH-TV 株式会社長野放送 長野市
新潟県 JONH-TV 株式会社新潟総合テレビ 新潟市中央区[注 14] 後の社名:株式会社NST新潟総合テレビ
富山県 JOTH-TV 富山テレビ放送株式会社 富山市
石川県 JOIH-TV 石川テレビ放送株式会社 金沢市
静岡県 JOQH-TV 株式会社静岡ユー・エッチ・エフテレビ 静岡市駿河区 後の社名:株式会社テレビ静岡
JORH-TV 同上、浜松局に対する交付
中京広域圏 JOCH-TV 中京ユー・エッチ・エフ・テレビ放送株式会社 愛知県名古屋市昭和区 後の社名:中京テレビ放送株式会社。

現所在地:同市中村区

岐阜県 JOZF-TV 株式会社ラジオ岐阜 岐阜市 後の社名:株式会社岐阜放送
三重県 JOMH-TV 三重電波放送株式会社 津市 後の社名:三重テレビ放送株式会社
京都府 JOBR-TV 株式会社近畿放送 京都市中京区 後の社名:株式会社京都放送。

現所在地:同市上京区

兵庫県 JOUH-TV 兵庫テレビ放送株式会社 神戸市長田区 後の社名:株式会社サンテレビジョン。

現所在地:同市中央区

岡山県[注 15] JOOH-TV 岡山放送株式会社 岡山市北区
香川県[注 15] JOVH-TV 株式会社新日本放送[注 16] 高松市 後の社名:株式会社瀬戸内海放送
佐賀県 JOSH-TV 佐賀放送株式会社 佐賀市 後の社名:株式会社サガテレビ
鹿児島県 JOKH-TV 鹿児島テレビ放送株式会社 鹿児島市
11月14日付で予備免許を受けた局
放送対象地域 呼出符号 業態 交付時社名 本社等所在地 備考
徳島県 JOXB-TV NHK 徳島教育テレビジョン 徳島市 実験局を減力して実用化
香川県 JOHP-TV NHK 高松(総合)テレビジョン 高松市
JOHD-TV 高松教育テレビジョン
佐賀県 JOSP-TV NHK 佐賀(総合)テレビジョン 佐賀市
JOSD-TV 佐賀教育テレビジョン
長崎県 JOWH-TV 民放 株式会社テレビ長崎 長崎市
熊本県 JOZH-TV 民放 熊本中央テレビ株式会社 仮事務所:熊本市中央区[注 17] 後の社名:株式会社テレビ熊本

視聴率

(関東地区、ビデオリサーチ調べ)[11]

  1. 第18回NHK紅白歌合戦(NHK総合、12月31日)76.7%
  2. プロボクシング・世界バンタム級タイトルマッチ「ファイティング原田×ベルナルド・カラバロ」(フジテレビ、7月4日)57.0%
  3. 連続テレビ小説 おはなはん(NHK総合、1月19日)55.7%
  4. プロボクシング・世界バンタム級タイトルマッチ「ファイティング原田×ジョー・メデル」(フジテレビ、1月3日)53.9%
  5. 連続テレビ小説 旅路(NHK総合、10月7日)52.9%
  6. ゆく年くる年(NHK総合、12月31日)49.0%
  7. プロボクシング・世界ジュニアライト級タイトルマッチ「フラッシュ・エロルデ×沼田義明」(TBS、6月15日)48.5%
  8. プロボクシング・世界ジュニアウェルター級タイトルマッチ「藤猛×ウイリー・クワルトーア」(TBS、11月16日)47.9%
  9. ニュース(台風22号関連)(NHK総合、9月13日 7:00-7:20)44.4%
  10. スタジオ102(NHK総合、9月13日)43.2%
  11. ウルトラマン(TBS、3月26日)42.8%
  12. プロボクシング・世界ジュニアライト級タイトルマッチ「沼田義明×小林弘」(TBS、12月14日)41.9%
  13. ザ・ガードマン(TBS、9月22日)40.5%
  14. てなもんや三度笠(TBS、1月1日)40.4%
  15. プロボクシング・世界ジュニアウェルター級タイトルマッチ「藤猛×サンドロ・ロボポロ」(TBS、4月30日)39.9%
  16. 即日開票当選者当確者写真紹介(第31回衆議院議員総選挙)(NHK総合、1月30日 7:20-8:00)39.0%
  17. メキシコ国際スポーツ大会フラッシュ(NHK総合、10月28日 8:05-8:13)38.1%

テレビ番組

テレビドラマ

NHK
日本テレビ系
TBS系
フジテレビ系
NETテレビ系

子供向けドラマ

NHK
日本テレビ系
TBS系
フジテレビ系
NETテレビ系

テレビアニメ

特撮番組

バラエティ番組

演芸番組

  • お笑いモダン亭(カラー)(日本テレビ)[112]

クイズ番組

音楽番組

芸能番組

  • 古典芸能鑑賞(カラー)(NHK教育)[131]

トーク番組

ドキュメンタリー番組

紀行番組

  • 瀬戸内海・観光編シリーズ(カラー)(中国放送)- 中国放送初のカラーフィルムによる自社制作番組[132]

趣味・教養番組

報道・情報・ワイドショー番組

子供向け番組

映画番組

単発特別番組枠

特別番組

既存番組のカラー化

年内開始番組を除く

  • ゆく年くる年(NHK総合) - 去年12月31日からの放送で、この年始め(1月1日)の午前0時09分から、米ニューヨーク・マンハッタン・ロックフェラーセンター前からの衛星生中継部分のみカラー(カラーによる日米初の衛星中継)。[1][2]
  • 会社会長年頭の挨拶(日本テレビ及びTBS) - この年から[9]
  • 兼高かおる世界の旅(TBS)- 1月3日放送の新春カラープレゼント「太陽とドラム」[10]、そして4月2日放送分(#0344「山あいの王都」)から一部[注 21]を除き毎回カラー放送。
  • 自然のアルバム(NHK総合)- 1966年度の放送(~1967年4月2日)までは随時[140]、1967年度の放送(4月9日から)以降は全面カラー化[51]
  • NHK特派員だより(NHK総合) - 6月までは随時、7月2日からは毎回カラー放送。[141][142]
  • 東芝日曜劇場(TBS)- 1月15日の「女と味噌汁」を皮切りに、一部の放送回をカラー化。(この年は、他に9月24日(「おたふく物語」 同年大晦日再放送)、11月26日(「鳥が…」)がカラー放送。)
  • ズバリ!当てましょう(フジテレビ) - 2月11日[24]、及び2週後の2月25日の放送分からは毎回カラー放送[26]
  • 小川宏ショー(フジテレビ) - 3月1日、フジテレビ開局8周年記念として、特別にカラーで生放送。[28]
  • NHK杯ジャンプ大会(NHK総合) - この年の第8回大会(3月3日放送)から[30][31]
  • 新日本紀行(NHK総合) - 3月20日「南房総」[36]、及び2週後の4月3日「五島列島」からは毎回カラー放送[37]
  • テレビ体操(NHK総合) - 4月3日より毎回。[143][144]
  • こんにちは奥さん(NHK総合) - 4月3日より毎回。[123][145]
  • 魔法使いサリー(NET) - 4月3日より毎回[48]。1週間前3月27日では、次週予告のみカラー化されている。
  • 皇室アルバム(毎日放送) - 4月3日より毎回。[48]
  • スター千一夜(フジテレビ) - 4月3日から5月8日までの毎週月曜日のみカラー化。
  • ザ・ヒットパレード(フジテレビ) - 4月4日より毎回。[146]
  • 生活の知恵(NHK総合) - 4月5日より毎回。[145]
  • 特別機動捜査隊(NET) - 4月5日より毎回。[48]
  • 野生の王国(毎日放送) - 4月6日より毎回。[48]
  • かわいい魔女ジニー(毎日放送) - 4月8日(第31話)より毎回。[注 22][48][116]
  • TBS自社制作のスポーツ中継 - 4月26日のプロ野球ナイター中継を皮切りに、同月30日のプロボクシング中継等随時。[注 23][15][61][147]
  • ミュージックフェア(フジテレビ) - 5月1日より毎回。[148]
  • ある人生(NHK総合) - 7月1日より毎回。[149]
  • 現代の映像(NHK総合) - 7月7日より毎回。[150]
  • おはよう・にっぽん(TBS)- 8月15日(この日は「終戦特集」)のみ
  • NHKイタリア歌劇団公演(NHK)- この年の第5次公演(同初日公演及び放送は9月2日[74])から全面カラー化。[75]
  • 午後9時のニュース(NHK総合) - 10月より[151]
  • 天気予報(NHK総合) - 10月より[151]
  • アベック歌合戦(読売テレビ)- 10月9日に初カラー放送。以後この年は11月20日、12月11日がカラー放送。
  • 関西テレビのスポーツ中継(関西テレビ(フジテレビ系全国ネット含む))- 10月21日(プロ野球日本シリーズ「阪急 対 巨人」の第1戦)から随時。[84]
  • 正午のニュース(NHK総合) - 11月より[151]
  • ニュースの焦点(NHK総合) - 11月1日より毎回。[145]
  • 競馬中継(フジテレビ系列)- 11月12日の「菊花賞」の中継から、主要重賞を中心に随時(中山・東京の各競馬場開催では、同年12月24日の有馬記念から毎週カラー化。関西では1969年4月に毎回カラー化)[84][85][86]
  • てなもんや三度笠(朝日放送)- 12月17日(第294話:「熱田の絵師」)より毎回。[94]
  • ニュースハイライト(NHK総合)- この年の『1967年ニュースハイライト』から(この年は12月30日放送)[97]
  • オールスター大行進(この年は1967年ヒットソングスター大行進)(TBS) - この年の放送(12月31日)から[139]
ローカルニュースのカラー化(兼:カラーフィルムによる報道取材開始)
  • 11月1日:NHK大阪放送局(当初は、午後7時と9時のニュースでの大阪ローカル部分のカラー化から開始。)[152]

参考文献

など

脚注

注釈

  1. ^ a b ちなみに1984年に全国朝日放送(当時のテレビ朝日の正式社名)が発行した「テレビ朝日社史 : ファミリー視聴の25年」の402ページでは、同局は同月23日に(関東電波管理局の)カラー放送化の落成検査に合格し、3日後の26日にマスターのカラー化工事を完成し、同日に火入れ式を行い、翌月(4月)の3日にカラー放送を開始したと記載されている。即ち、この予告編が放送された時点では既に、カラー本放送の落成検査に合格して、同免許を取得した状況で放送していることとなる。[42]
  2. ^ 当初はモノクロ放送で番組開始。翌1968年1月31日にカラー化[72]
  3. ^ 実際は全49話だが、第12話が欠番のため1話削減。
  4. ^ RKB毎日放送、長崎放送熊本放送大分放送宮崎放送南日本放送
  5. ^ 窓をあけて九州』『電撃黒潮隊』など。
  6. ^ 巨泉は前作『窓からコンチワ』(ハウス食品一社提供、4月1日 - 9月30日)に続き主演を務めた。
  7. ^ 芸術祭参加番組。放送五十年史資料編 805頁 日本放送協会編
  8. ^ この国葬の模様は、武道館内部ではNHKが代表取材として3台のカラーカメラを使用して中継、民放にもその映像・音声を分岐して放送が行われた。又、NHKでは武道館の外では4台のカラーカメラを使用、更に、青山通りと大磯の吉田邸からは共にモノクロで中継し、カラー中継車、モノクロ中継車を各々2台、計4台の中継車を使用して放送した[79]。尚、当日の朝日新聞朝刊9ページのテレビ番組表では、NHK総合はカラーなのに対し、日本テレビ、TBS、フジテレビ、NET、東京12チャンネルの中継はモノクロ放送だった。
  9. ^ a b 導入したカラー中継車には、米GE社製のプランビコン式輝度分離型のスタジオカラーカメラ(型番:PE-250)3台にアンペックス社製のハイバンドVTR VR-1200Mが備え付けられ、その後、1970年5月にSBSが社屋を移転するまで、自社制作に於いて、局外の中継・録画だけでなく、局内のスタジオカラー番組制作の副調整室(サブ)としても使われた。
  10. ^ 当初は1966年5月15日に第20話として放送する予定だったが「怪獣が出ないうえにストーリーが難解」という理由で本放送が見送られていた(この時は放送日程を1週ずつ繰り上げとし、7月10日には次作『ウルトラマン』(1966年7月17日 - 1967年4月9日、全39回)の事前特番として『ウルトラマン前夜祭 ウルトラマン誕生』(杉並公会堂で収録)を急遽放送した)。
  11. ^ 朝日放送が2000年に刊行した「朝日放送の50年 Ⅰ 本史」内の「Ⅴ.大淀時代はじまる 4.カラー化とテレビ番組」内の「トップは『てなもんや三度笠』」(162~3ページ)及び「朝日放送の50年 Ⅱ 番組おもしろ史」の「藤田まこと、売り出す! 『てなもんや三度笠』」(51~61ページ)内に於いての「カラー番組の第1号に」に、その際の模様が記されている。但し、後者の文書内にカラー初放送の日付が12月7日と記されているが、この日は木曜日で、番組を放送する日ではないので誤り。正確には、「朝日放送の50年 Ⅰ 本史」内の該当部分及び「朝日放送の50年 Ⅲ 資料集」の年表項目の1967年の「朝日放送の動き」(300ページ)に記されている「12月17日」(この日は番組を放送する日曜日)が正しい。更に「朝日放送の50年 Ⅰ 本史」内の該当部分には、初カラーの第294話が同年11月10日にABCホールにて収録されたとあり、カラー・カメラは1969年6月までNEC製のそれが入るまでは、当時キー局のTBSも使用していたフィリップス社製のプランビコン式を使用していたと記されている。
  12. ^ 設立発起人会は前年の12月7日。民放の公共的使命をいっそう認識し、特に教育放送を重視しようという要望が高まり団体を強化することになり再発足を決めた。主務官庁である文部省は民教協の活動を育成する方針をたて、1967年度下半期の教育テレビ放送実施委託費約5,300万円(内訳は社会教育番組制作費にネット料、電波料含めて約5,000万円、番組調査研究費約300万円)を計上、国会審議を経て決定された。[104]
  13. ^ 略称はOHK。同じ略称を使用する岡山放送(1968年設立、1969年開局)とは無関係。
  14. ^ 演奏所(スタジオ)となる放送センターは当時長岡市に置かれた。
  15. ^ a b 岡山県と香川県を民放テレビに限り同一エリアとしたのは1979年から。
  16. ^ 後のMBS毎日放送グループが、1951年9月のラジオ開局時から1958年5月末まで、同じ「新日本放送」の名称で放送を行っていたが、それとは別の会社である。但し東阪のテレビ腸捻転ネットが解消されるまでは、同じANN系列であった。
  17. ^ 開局時から運用されている本社演奏所は飽託郡北部町に置かれたが、同町は1991年に熊本市に編入され、北区に属する。
  18. ^ 当初『夢みるアン』として放送開始される予定だった。
  19. ^ 第2期(第13話から)は、1969年末に放送を開始している。
  20. ^ 後年『初笑いうるとら寄席』に改題。
  21. ^ 「ナッソーの魅力」(#357 1967年7月16日放送)、「スコットランドの想い出」(#362 1967年8月20日放送)、「第18次取材ハイライト U.S.A.」(1967年9月10日放送)はモノクロ放送
  22. ^ この番組を制作している米NBCでは、第1話からカラーで制作・放映されている。
  23. ^ フィリップス社製(型番:PC-60)のカラーカメラを備えた中継車(同局初代6号、カラー仕様)を導入したことにより、本格的なカラー中継が実現した。

出典

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「1967年のテレビ (日本)」の例文・使い方・用例・文例

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