1968年のテレビ_(日本)とは? わかりやすく解説

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1968年のテレビ (日本)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/20 07:13 UTC 版)

1968年のテレビ(1968ねんのテレビ)では、1968年昭和43年)の日本におけるテレビジョン放送全般の動向についてまとめる。

UHF親局の開局

この年は、親局としてのUHFアナログ)放送(13 - 62ch)が本格的に始まった年であった[注 1]

まず2月20日NHK徳島教育テレビジョンが放送開始し[2]、そして8月12日には最初の独立民放局にして民放初のUHF親局となる岐阜放送がテレビジョン放送を開始[3]。以後、全国に順次UHF局が開局していくようになる。

特に、いままで1局しか民放テレビが視聴できなかった多くの地方においては、初めて2局の民放テレビが視聴できるようになり(この年は、12月16日開局の新潟県新潟総合テレビ、同月24日開局の静岡県テレビ静岡がこれに該当する)、1969年はその地域が一気に増えることとなる

これらのUHFテレビ放送を受信するには、新たにUHFアンテナを備え付けた上で、その受信機能を備えていなければいけない。この年に発売されたカラーテレビを始めとする多くのテレビには、元々UHF受信機能があったものの、それ以前のテレビはほとんどの機種がVHF(1〜12ch)しか受信できなかった為、それに於いては、専用のUHFコンバータを取り付ける必要があった


主なできごと

NHK、年度始めの4月から受信料体系がカラー契約、白黒の普通契約の二本立てに。ラジオ単独受信料は廃止される。


前年に続き、番組のカラー化が更に進む
  • NHKがカラー契約を開始したことに伴い、NHK総合が年度始めである4月の改編期から連続テレビ小説がカラー化(この年度は第8作『あしたこそ』)したのを始め、視聴好適時間の娯楽番組を中心に、カラー放送を重点的に拡充
  • 民放では、NET毎日放送中部日本放送(CBC)東海テレビ放送北海道放送(HBC)札幌テレビ放送(STV)九州朝日放送青森放送等がスタジオカラーカメラを使った番組制作を開始。又、前述の局に加え、朝日放送(ABC)がカラー中継車を使った番組制作を開始。更に、東京12チャンネルがカラー放送を開始。又、当時の北海道テレビ局全3局(NHK・HBC・STV)では、9月2日の札幌市で行われた「北海道百年記念祝典」の模様を3局共にカラーで生中継・全国放送し、HBC・STVはこれを機に、自局ローカルや北海道からの全国放送に於けるカラー化が本格的に進んで行く様になる。
  • ニュースでは、この年からTBS=JNN系列の主要局を中心に、地方局でもローカルニュースのカラー化が始まる。先ずTBS=JNN系列では、東北放送が5月20日に始まったのを皮切りに、9月2日にはHBCが「北海道百年記念祝典」が行われたのに合わせて開始、同月30日にはTBSが夕方のニュースの看板番組『ニュースコープ』がカラー放送を開始[注 2]したのに併せ、TBS及び同系列のABC(当時)とRSK山陽放送も開始。CBC、RKB毎日放送も年内に開始している。その他では、NNN系列の青森放送がローカルニュースの全時間枠で7月1日に開始。9月1日には、NHK総合の全国ニュースが全時間帯カラー放送となった[注 2]
  • この年に行われた『グルノーブル冬季オリンピック』、『メキシコオリンピック』の中継は、ほとんどがカラー化された(オリンピック中継の全面カラー化は、『1972年札幌冬季』から)。
  • 主なレギュラー番組では前述の他に、日本テレビの『キユーピー3分クッキング 日本テレビ制作版』、『11PM』(読売テレビ制作分も含む)、NET『象印スターものまね大合戦』、毎日放送『真珠の小箱』等がカラー化された。又、前年春に一部回がカラー放送となっていたフジテレビスター千一夜』は、この年から一部の例外を除き毎回カラー放送となったり、甲子園球場での春夏の高校野球が民放でもカラー化された(NHKはこの時既にカラー化済)。更に、TBS『東芝日曜劇場』も秋からカラー制作の本数を増加、同『ザ・ガードマン』も不定期でカラー放送を開始、民放の年越し番組『ゆく年くる年』も、この年からカラー放送を開始している。(その他詳しくは、「#既存番組のカラー化」を参照)
  • 年内に、東芝とTBSが共同でスタジオカラーカメラ(型番:PK-31)を開発。自社の『東芝日曜劇場』での撮影に使われたのを始め、TBS・JNN系列局や多くの放送局等へ納入され、十数年に渡って製造された名器となった。


テレビ番組


視聴率


番組関係のできごと

1月
2月
  • 3日 - TBS系土曜19時30分枠で、ロート製薬一社提供大橋巨泉司会のクイズ番組お笑い頭の体操』放送開始( - 1975年12月27日)[7][8]
  • 6日18日(日本時間)
    • グルノーブル冬季オリンピックフランスグルノーブルで開催され、NHK総合と毎日放送[注 4]で連日放送。開会式・閉会式を始め、競技のほとんどがカラー放送となり(同年のメキシコ・オリンピックも同様)、開会式は、カラーではオリンピック初の宇宙(衛星)生中継となった[10][11]。又開催中は連日、両局で競技の模様を(時差等の都合上)録画中継して放送したり、オリンピックハイライトをカラーで放送したりした[9][4]
    • 毎日放送がこのオリンピックの開会式の放送枠(2月6日)内の、グルノーブルからの生中継放送部分の前後に於いて、自社(千里丘スタジオ)のAスタジオから、大会の展望や日本選手の活躍ぶりの予想を放送[11]。これが、自社初のスタジオカラーカメラによる番組となった[9]。尚、同局の開会式の生中継放送は、NETにもネットされたものの、大会についての展望等は放送されなかった[10][注 5]
  • 14日 - フジテレビ系、この日放送のプロボクシング中継番組『ダイヤモンドグローブ』から、プロボクシング中継のカラー放送を開始[12]
  • 15日 - NHK総合、全国各地を巡る公開番組『ふるさとの歌まつり』が、この日放送のNHKホール(内幸町)からの公開放送から、不定期のカラー放送を開始[13]。翌月(3月)21日の横浜文化体育館での公開放送では、番組に於いて局外中継初のカラー放送を実施[14]。その後は、公開スタジオや中継場所の担当地域局に於いて、カラー中継設備が整備された地域からカラー化していった(毎回カラー化は1970年4月から[15])。
  • 16日 - 日本テレビ系『三菱ダイヤモンド・アワー』が、この日をもって1958年8月29日から続けてきた『ディズニーランド』と日本プロレス中継番組である『日本プロレス中継』との隔週放送が終了。23日からは『日本プロレス中継』が毎週金曜20時からの放送となり『三菱ダイヤモンド・アワー 日本プロレス中継』となった他、『ディズニーランド』は4月7日から日曜19時へ移動(『ディズニーランド』は1972年4月30日終了、『三菱ダイヤモンド・アワー』自体も1972年7月14日終了)[注 6]
  • 20日 - 金嬉老事件が発生。NHK総合『スタジオ102』等が、生放送を通じて犯人と対話を試みた。[4][16]
  • 27日 - フジテレビ系、プロボクシング・世界バンタム級タイトルマッチ「ファイティング原田×ライオネル・ローズ」を、日本武道館からカラーで中継[17]。関東地区にて53.4%の視聴率を記録(ビデオリサーチ調べ)。
3月
4月
5月
  • 18日 - 日本テレビ系で木島則夫司会のワイドショー『木島則夫ハプニングショー』放送開始( - 10月12日)。[4]
  • 20日 - 東北放送(TBC)が、この日の夕方の『TBCニュース』から、ローカルニュースでのカラー放送を開始。これに伴い、カラーフィルムでの報道取材も開始(共にJNN加盟局では初)[30]
  • 25日 - 読売テレビ・日本テレビ系、この日の阪神甲子園球場からのプロ野球ナイター中継『阪神巨人』にて、同球場及び西日本ではカラー初のナイター中継を実施。[注 7][31]
  • 26日 - 朝日放送で、カラー中継車が稼働開始。前日の読売テレビに続き、阪神甲子園球場からの『阪神 対 巨人』のカラーのナイター中継にて初使用(TBS系全国ネットで放送)。[注 8][32][33][34]
6月
7月
  • 1日 - 青森放送がローカルニュースの全時間枠をカラー化(同全時間枠は初)。これに伴い、カラーフィルムによる報道取材も開始。[38]
  • 2日 - フジテレビ系、プロボクシング・世界バンタム級タイトルマッチ「ライオネル・ローズ×桜井孝雄」を、日本武道館からカラーで中継[39]。関東地区にて45.8%の視聴率を記録(ビデオリサーチ調べ)。
  • 11日 - 北海道放送が、当時開催中の「北海道大博覧会」の特別番組『道博への招待』を、北海道の民放で初のカラーによる自主制作番組として放送。[40][41]
  • 13日 - フジテレビ系でコント55号によるカラー放送のバラエティ番組『コント55号の世界は笑う』放送開始[4]。平均視聴率30%を優に越えるという同局のドル箱番組となったものの、後に裏番組であるTBS『8時だョ!全員集合』(翌年10月4日、カラーで放送開始)が視聴率を上回ったことが影響し、1970年3月28日に終了。その後、TBSとフジテレビは長年にわたる「土曜8時戦争」を繰り広げることとなる。
8月
  • 9日 - 朝日放送が、この日から開催される『第50回全国高等学校野球選手権大会』の開会式の放送から、同大会のカラー放送を開始する[42][43]
  • 22日 - NHK総合、単発ドラマ枠『NHK劇場』にて、第20回イタリア賞参加作品のカラー時代劇『写楽はどこへ行った』を放送[44]。後に、第8回日本テレフィルム技術賞を受賞。
  • 25日 - NET系『象印スターものまね大合戦』がこの日からカラー化。この回は江東公会堂からの公開収録放送で(同月6日収録)、NETがカラー中継車を使用した初めての番組となった。[注 9][35]
9月
  • 1日 - NHK総合、東京発(全国放送含む)のニュースが全時間帯に於いてカラー放送となる[注 2][28]
  • 2日
    • 北海道のテレビ局全3局(NHK札幌放送局、北海道放送、札幌テレビ放送)がこの日、札幌市円山陸上競技場で、天皇・皇后を招聘して約2万人の列席者を集めて挙行された「北海道百年記念祝典」の模様を、3局共にカラーで生中継し、全国に向けて放送した(NHKは総合テレビで、HBCはTBS系列で、STVは日本テレビ系列で放送[注 10][注 11][4][45][46][47]
    • 北海道放送、この日の18時50分からの夕方のローカル・ニュースにて、同時間帯のみローカル・ニュースのカラー放送を開始[46]。これに伴い、道内のカラーフィルムによる報道取材も開始。
  • 8日 - TBS系で1967年10月から放送していたカラー特撮ヒーロードラマ『ウルトラセブン』がこの日放送の第49話「史上最大の侵略(後編)」をもって最終回。これで、円谷プロダクション制作のウルトラシリーズは一応の区切りを迎え、1971年4月の『帰ってきたウルトラマン』開始まで2年半の中断となる。翌週より同じ円谷プロ制作による怪獣もヒーローも一切登場しない特撮ドラマ『怪奇大作戦』を放送開始( - 1969年3月)。
  • 30日
    • TBS、この日から、自社のテレビニュース番組(『JNNニュースコープ』、『TBSニュース』)のカラー放送を開始[注 2][48]。これに伴い、カラーフィルムによるニュース取材を開始。これを受け、一部のJNN系列局でもカラーの報道取材やローカルニュースのカラー放送を開始した。
      • 当時JNNの準キー局の朝日放送は、同月20日にカラーフィルム現像室を運用開始[33]、30日のTBSのニュースカラー化に間に合わせて、カラーフィルムによる報道取材を開始[49]
      • 系列局のRSK山陽放送も、同日にカラー報道取材及びローカルニュースのカラー放送を開始した[50]
    • TBS系の秋の改編では、昼の番組の大改革などが行われた。
    • 日本テレビ系で平日昼の生番組『お昼のワイドショー』放送開始。初代司会は青島幸男(月・水・金)と横山ノック(火・木)が務めた[4][53][注 13]。以後、司会交代を繰り返しながら1987年10月2日まで19年にわたって続いた。
10月
11月
  • 2日3日 - NHK総合が2日間に渡り、前月NHKがメキシコオリンピックの模様を韓国へマイクロ波を通じて伝送したモノクロ回線を利用して[注 14]、日韓中継『今日の韓国』を放送。韓国の現在の模様を中継にて日本に伝えたり、日韓親善交換高校生のテレビ中継上での対面も行われた。[注 15][4][64]
  • 4日 - フジテレビ系で生放送の歌謡番組夜のヒットスタジオ』放送開始。初代司会は前田武彦と芳村真理[4]。以後、司会交代や枠移動などを繰り返しながら、1990年10月まで22年にわたって続く長寿番組となった。
  • 23日 - 毎日放送・NET系、第23回文化庁芸術祭テレビジョン部門参加のカラードキュメンタリー番組『日本音楽の生と死』(構成・脚本・解説:黛敏郎)を放送[67]。同部門の奨励賞を受賞[68][注 16]
  • 30日 - 関西テレビ・フジテレビ系で、関西テレビ開局10周年記念ドラマ『青やからわたったんや』が、パートカラー番組として放送。カラーとモノクロの部分を混在させて、ドキュメンタリータッチで描く演出をした、オールロケーションによる制作[70]。第23回芸術祭奨励賞を受賞[68]
12月


その他テレビに関する話題


開局・放送開始

岐阜放送以外は、カラー放送も同時開始。
*はこの開局により、いままで民放テレビが1局しか視聴できなかったのが2局になった地域。


視聴率

(※関東地区、ビデオリサーチ調べ)

  1. 第19回NHK紅白歌合戦(NHK総合、12月31日)76.9%
  2. 連続テレビ小説 旅路(NHK総合、3月9日)56.9%
  3. 連続テレビ小説 あしたこそ(NHK総合、10月24日)54.7%
  4. 世界バンタム級タイトルマッチ「ファイティング原田×ライオネル・ローズ」(フジテレビ、2月27日)53.4%
  5. メキシコオリンピック・第13日(NHK総合、10月25日 7:20-8:20)51.8%
  6. ゆく年くる年(NHK総合、12月31日)51.3%
  7. 世界J・ウェルター級タイトルマッチ「藤猛×ニコリノ・ローチェ」(TBS、12月12日)47.3%
  8. 世界バンタム級タイトルマッチ「ライオネル・ローズ×桜井孝雄」(フジテレビ、7月2日)45.8%
  9. メキシコオリンピック・閉会式(NHK総合、10月27日)44.9%
  10. ニュース(NHK総合、9月25日 7:00-7:20)43.4%
  11. 冬季オリンピック1968(グルノーブル大会)(NHK総合、2月16日 8:00-8:12)42.2%
  12. スタジオ102(NHK総合、2月16日)41.4%
  13. ニュース(NHK総合、2月16日 8:30-8:45)40.7%
  14. ニュース(NHK総合、2月16日 7:20-7:35)40.0%
  15. カメラリポート(NHK総合、10月28日)39.8%
  16. ザ・ガードマン(TBS、2月9日)39.7%
  17. 参議院選挙と今後の政局(NHK総合、7月9日 7:30-8:12)38.5%
  18. 世界J・ライト級タイトルマッチ「小林弘×レネ・バリエントス」(日本テレビ、3月30日)37.9%


テレビ番組

テレビドラマ

NHK
日本テレビ
TBS
フジテレビ
NET
東京12チャンネル
  • いつでも君は(毎日放送、主演:高橋紀子

子供向けドラマ

NHK総合
日本テレビ
TBS
フジテレビ

特撮番組

テレビアニメ

バラエティ番組

演芸番組

クイズ番組

音楽番組

芸能番組

  • メキシコの民族舞踏(カラー)(NHK総合、10月12日)[58]

報道番組

ワイドショー番組

教養・ドキュメンタリー番組

  • 明るい漁村(NHK総合)
  • 日本の自然(カラー)(NHK総合)[101]
  • 世界探検旅行(カラー)(NHK総合)- ジョージ・パクナル・プロ制作[96]
  • 高校生の英語(NHK教育)

スポーツ番組

映画番組

その他

特別番組

  • 『小笠原諸島~自然と住民たち』(カラー)(NHK総合)- 6月26日。小笠原諸島日本返還記念番組。[37]
  • 北海道大博覧会特別番組「道博への招待」(カラー)(北海道放送)- 7月11日。北海道民放初のカラーによる自主制作番組。[40]
  • 北海道百年記念祝典(NHK札幌総合テレビ、北海道放送(TBS系)、札幌テレビ放送(日本テレビ系[注 10])。3局共にカラーで全国に向けて生中継)- 9月2日 [注 11][45][46][47]
  • 『わがふるさとの風物詩』(カラー)(福島テレビ)- 10月2日。福島テレビ初のカラー制作及びカラー送出記念番組。[注 26][103]
  • 明治百年記念式典(カラー・地方中継部分はモノクロ)(NHK総合)- 10月23日。式典会場の日本武道館を中心に、福島県会津若松市、山口県萩市からも中継。[64]
  • 日韓中継『今日の韓国』(NHK総合)- 11月2、3日[注 15][64]

既存番組のカラー化

年内開始番組を除く

カラーフィルムによる報道取材開始

  • 5月20日:東北放送(JNN系列局では初)[30]
  • 7月1日:青森放送[38]
  • 9月2日:北海道放送[46]
  • 9月30日:TBS[48]、朝日放送[49]、山陽放送[50]
  • 秋(詳細な時期は不明 遅くとも11月1日か2日):中部日本放送
  • 時期不明(遅くとも12月6日):RKB毎日放送

参考文献

など


脚注

注釈

  1. ^ ちなみに中継局としては、1964年6月16日に、在京民放テレビ5社共同で、日本初のUHF帯の中継局である、日立UHFテレビ中継局を開局したのが最初である。[1]
  2. ^ a b c d e f 但し、地方局等でのモノクロフィルム取材については、モノクロのまま放送。
  3. ^ この間は水前寺清子コント55号萩本欽一坂上二郎)出演の公開バラエティ番組『チータ55号』で埋めた。
  4. ^ 民放では毎日放送の独占放送だった[9]
  5. ^ 朝日新聞クロスサーチで放送当日の各版の番組表では、系列局の九州朝日放送(西部版閲覧)、名古屋テレビ放送(名古屋版閲覧 当時は日本テレビとのクロスネット)では放送されていない反面、TBS系列の北海道放送では同時ネット放送されている(北海道版)。
  6. ^ 『ディズニーランド』放送日は、『日本プロレス中継』は金曜22時台に放送していた。
  7. ^ 使用したカラーカメラは、日本テレビと共同開発した東芝製の4管式カラーカメラ IK-37を使用(センシコン撮像管を使用)。しかし問題点が多い為翌年初めにはフィリップス社製のプランビコン式の最新型PC-80に入れ替えている。
  8. ^ 通常のスタジオ撮影で使っているフィリップス社製のカラーカメラPC-60を球場に持ち運んで放送を行った。
  9. ^ NETはこの年の5月31日に、自社初のカラーテレビ中継車を完成している。
  10. ^ a b STVは放送当時、日本テレビとフジテレビのクロスネット局であったが、この模様は日本テレビ系列で放送した。
  11. ^ a b HBCではこの生中継番組を保存しており、その映像は放送番組センターの放送ライブラリーにて閲覧できる[45]
  12. ^ ただしキー局の朝日放送側では双方とも放送枠は不変。
  13. ^ 青島・ノックの2人は共にこの年行われた第8回参議院議員通常選挙で初当選している。
  14. ^ a b NHK自営のマイクロ波回線で、NHK福岡放送局 - 福岡市郊外脊振山 - 長崎県対馬市高麗山々頂 - 韓国釜山市金蓮山々頂 - 釜山市電話局( - 韓国KBS)という伝送ルート。[62]
  15. ^ a b 放送内容は、休戦ラインを抱え、緊張した情勢にありながら、新しい国作りに努力する韓国の姿を、ソウル、板門店、釜山、蔚山、慶州から紹介すると共に、日韓親善交換高校生のテレビ上での対面を日韓中継にて行ったり、政治・経済・文化・生活に絡む今日の韓国の表情を伝える番組。
  16. ^ 後に英語版も制作され、翌年(1969年)の3月20日に、エミー賞国際賞のドキュメンタリー部門で入賞する。[69]
  17. ^ 1967年2月20日から前日まではUHF帯による大電力実験局として運用。
  18. ^ 2019年10月1日付で社名変更。
  19. ^ 3月30日、郵政省がNHKの放送受信契約および放送受信料免除基準の変更を認可していた。
  20. ^ このとき、NHK教育用の回線を借りた。
  21. ^ 後のMBSメディアホールディングス
  22. ^ テレビ局としての本放送免許は、11月29日のサービス放送開始の直前に取得している。
  23. ^ 日本テレビ最後のいすゞ自動車一社提供番組。
  24. ^ a b c 1969年開局。
  25. ^ 全国各地での公開番組の為、カラー中継車が導入されていない地方局での収録の場合はモノクロ放送。
  26. ^ それまでカラー放送は開始以降、ネット受けの放送のみだった。
  27. ^ ちなみにNHKでは、1966年から同大会のカラー放送を開始している。
  28. ^ この回は、ゲストがザ・ビーバーズ沢知美、司会が江美早苗だった。
  29. ^ ちなみにNHKでは、1965年から同大会のカラー放送を開始している。
  30. ^ この頃の朝日新聞大阪版テレビ欄のABCテレビの番組表では、9月30日と10月1日のJNNニュースコープとその直後のフラッシュニュースが共にカラー表記がなかったのに対し、10月2日は共にカラー表記がされている。しかし、朝日放送が2000年3月31日に発行した『朝日放送の50年 Ⅰ 本史』(朝日放送社史編修室 編)の155ページでは、JNNニュースコープの9月30日のカラー放送開始に間に合わせてカラーフィルムの取材に対応したとの記載がある。これを考慮し、ここでは同番組のカラー開始日を9月30日~10月2日の間として記す。
  31. ^ 当時の朝日新聞名古屋版朝刊では、10月31日はモノクロ、11月1日はJNNニュースコープ(カラー)の後のニュースの記載がなし、2日はニュースの記載と共にカラー表記がされている。

出典

  1. ^ 株式会社東京放送『TBS50年史 資料編』株式会社東京放送、2002年1月、335頁。 
  2. ^ a b c 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'68』日本放送出版協会、1968年、50, 377頁。 
  3. ^ a b c 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'69』日本放送出版協会、1969年、33頁。 
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai 「放送史年表 -詳細版- 1968年」(NHK放送文化研究所)(2025年5月19日閲覧)
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  8. ^ a b 株式会社東京放送『TBS50年史 資料編』株式会社東京放送、2002年1月、339頁。 
  9. ^ a b c d 毎日放送50年史編纂委員会事務局『毎日放送50年史』株式会社 毎日放送、2001年9月1日、483頁。 
  10. ^ a b 朝日新聞 1968年2月6日 東京版朝刊 P.9 テレビ欄 番組表 及び オリンピック開会式中継の番組記事(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  11. ^ a b 朝日新聞 1968年2月6日 大阪版朝刊 P.8 テレビ欄 番組表 及び きょうのテレビ「冬季五輪の開会式」(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  12. ^ a b 朝日新聞 1968年2月14日 朝刊 P.9 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチで閲覧)
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  14. ^ 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'68』日本放送出版協会、1968年、158, 204~5頁。 
  15. ^ a b 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'71』日本放送出版協会、1971年、74, 157頁。 
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  26. ^ a b c d e f 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'69』日本放送出版協会、1969年、103頁。 
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  33. ^ a b 朝日放送社史編修室『朝日放送の50年 Ⅲ 資料集』朝日放送株式会社、2000年3月31日、302頁。 
  34. ^ 朝日新聞 1968年5月26日 東京版及び大阪版 共に朝刊 P.9 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
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