1954年のテレビ (日本)
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1954年のテレビ(1954ねんのテレビ)では、1954年(昭和29年)の日本におけるテレビジョン放送全般の動向についてまとめる。
主なできごと
- 2月22日、NHKのテレビ受信契約数が1万を突破。
それでもまだテレビ受像機の値段は余りにも高価で、サラリーマンの初任給が1万円にいかない時代に、テレビの大部分がアメリカ製で30万円近くもした。このころの「三種の神器」は電気洗濯機・冷蔵庫・掃除機で、まだテレビは高嶺の花で一般家庭への普及は未だ遥かに程遠い時代だった為、一般庶民はテレビ局が設置した街頭テレビの前でテレビを視るのが普通だった。[1]
両局共1951年半ば(大阪:6月25日、名古屋:7月27日)にテレビ実験局を開設。1953年1月11日には東京-名古屋-大阪間の下りテレビ回線が、同年8月13日には同上り回線が開通している。
6月19日に完成し、8月22日からNHK名古屋テレビジョン(JOCK-TV)の送信所が同所に移転し、運用を開始。後に名古屋のアナログVHF局は同所を送信所にして放送を開始した。
- テレビ番組
- 2月19日、プロレス中継が開始。NHK・日本テレビ共に、この日の蔵前国技館からの『力道山・木村政彦対シャープ兄弟』戦の中継から開始。番組放送時は、街頭テレビに黒山の人だかりができた。
- NHK
- 日本テレビ
- 10月4日、ニュース番組『今日の出来事』放送開始。NNN発足後『NNNきょうの出来事』と改題され、2006年9月29日まで52年間に渡って放送された。
- 12月21日、プロボクシング中継『ダイナミック・グローブ』放送開始。1969年9月29日まで、延べ695回放送された。
- 技術
- 5月10日、電電公社(当時)による東京-名古屋-大阪間のテレビ放送用回線の運用が開始(これにより、NHKが同区間内で自営運用していた同回線施設は同月27日に運用停止)。
- NHK
- 6月、テレビ小電力中継局(ブースター局)の実験放送開始。送信方法として、一般的に使われている「水平偏波」(電界が水平面内で横に移動する方法)でなく、電界が垂直面内で上下に振動する「垂直偏波」を初めて採用。
- 8月、NHKにて初の水中テレビカメラ使用。
- 10月、NHKにてテレビ映像をフィルムで記録する「キネスコープ(キネコ)」の運用が開始。
- 12月、NHKがテレビ音声とラジオ2波による3波のモノラル音声を使った、3元立体放送(=3チャンネルステレオ放送)を実施。
- 初の視聴率調査が実施。
7月27日、NHK放送文化研究所が、京浜地区第1回テレビ番組 (民放含む) 視聴率調査を実施する(翌月8日まで)。
できごと
- 1月
- 2月
- 19 - 21日 - NHKと日本テレビがプロレスリング『力道山・木村政彦対シャープ兄弟』戦を蔵前国技館より中継。番組放送時は、街頭テレビに黒山の人だかりができた。[1][2]
- 22日 - NHKのテレビ受信契約数が1万を突破。[1][2]
- 3月
- 1日 - NHK、大阪(JOBK-TV、出力 映像:10kW)と名古屋(JOCK-TV、出力 映像:500W)にてテレビジョン開局。大阪局は、国産初の10kW送信機を使用。[1][2]
- 5日 - 日本テレビ、連続ミュージカルコメディー『二人でお茶を』放送開始(出演:フランキー堺、中村メイ子)。[2]
- 月内 - 日本テレビ、街頭テレビの成功により、開局から7カ月にして黒字を達成。
- 4月
- 1日 - NHK、テレビ受信料を月額200円から300円に値上げ改定。[2]
- 28日 - 日本テレビ、米のジャズ歌手、女優であるジョセフィン・ベーカーの来日公演を、東京・帝国劇場から中継。[2]
- 29日 - NHK、天皇誕生日参賀風景を、皇居広庭から中継放送。[2][5]
- 5月
- 5日 - NHK、東京と大阪の初の2元テレビドラマ『二人のルメ子』放送(作:飯沢匡、出演:長岡輝子 ほか)。[2][6]
- 10日 - 電電公社(当時)による東京-名古屋-大阪間のテレビ放送用回線の運用が開始。これにより、NHKが同区間内で自営運用していた同回線施設は同月27日に運用停止。[2]
- 22~25日 - NHK、東京体育館から『1954年レスリング・フリースタイル世界選手権大会』を、ラジオ第2と同時に中継放送。[2]
- 6月
- 1日 - 電波の日制定。[2]
- 4日 - NHK、番組『話のカレンダー-テレビジョンの歩み』[7]にて、NHK放送技術研究所製のイメージオルシコン撮像管をスタジオカメラに初めて試用。[2]
- 13日 - NHKがテレビ番組改定。定時放送が1日4時間25分となる。[2]

- 19日 - 名古屋市に日本初の集約電波塔、名古屋テレビ塔完成(8月22日より運用開始。2011年7月24日アナログテレビジョン放送終了に伴い退役)。
- 25日 - NHK、愛知県瀬戸市でテレビ小電力中継局(ブースター局)の実験放送開始(出力 0.74W)。ここで、送信方法として、一般的に使われている「水平偏波」(電界が水平面内で横に移動する方法)でなく、電界が垂直面内で上下に振動する「垂直偏波」を初めて採用。[2]
- 月内 - NHK、週1本の割合で短編映画の制作を開始、毎週定時に放送。[2]
- 7月
- 19日 - NHK交響楽団の常任指揮者(当時)クルト・ウェスの同退任に伴う送別音楽会『ウィーン音楽の夕』を、後楽園球場から中継。[2]
- 21日 - 日本テレビ、京成電鉄と協力して車中テレビの受信実験に成功。[2]
- 27日 - NHK放送文化研究所が、京浜地区第1回テレビ番組 (民放含む) 視聴率調査を実施(翌月8日まで)。[2]
- 8月
- 8日 - NHK、『太平洋選手権争奪プロレスリング試合』を、東京体育館から中継放送。[2][8]
- 22日 - NHK名古屋テレビジョン(JOCK-TV)、名古屋テレビ塔運用開始に伴い、送信所を同所へ移動、同時に出力を増力(映像:10kW)。[2]
- 31日 - NHK、東京水産大学科学研究所から、初めて水中テレビカメラ使用した番組『水中テレビ』を中継放送。[2]
- 9月
- 月内 - 日本テレビ、テロップの使用を開始。[2]
- 10月
- 4日 - 日本テレビで夜のニュース番組『今日の出来事』放送開始(NNN発足後『NNNきょうの出来事』と改題、2006年9月29日まで52年間にわたって放送)。
- 15日 - NHK、東京・国立博物館から『フランス美術展』を中継放送(翌月13日には、日本テレビも同美術展を国立博物館とスタジオを結ぶ2元中継を実施)。[2][9]
- 20日 - NHK、4日前(同月16日)に東京・歌舞伎座にて初のキネスコープ(キネコ)録画を行った、『舞台中継「倭假名在原系図」 蘭平物狂』放送。[2][10]
- 23日 - 北海道放送、札幌本社にてテレビ実用化実験局開設の免許を郵政省に申請。[2]
- 25日 - NHKがテレビ番組改定。定時放送が1日5時間5分となる。キネスコープ録画装置の活用により、ラジオの人気番組・舞台中継・スポーツ番組等のテレビでの放送を拡充する。[2]
- 11月
- 12月
- 15日 - NHKでトーク番組の先駆け『こんにゃく問答』を放送開始( - 1957年)。[2][14]
- 21日 - 日本テレビ、プロボクシング中継『ダイナミック・グローブ』放送開始。1969年9月29日まで、延べ695回放送された。[2]
- 25日
テレビ番組
NHK
日本テレビ
- プロレスアワー
- エノケンの水戸黄門漫遊記(主演:榎本健一)
- フランキーとメイコの青春ノート→二人でお茶を(主演:フランキー堺、中村メイコ)
- 味の素ミュージック・レストラン ジャズのど競べ
- シルエットクイズ[注 2]
- 今日の出来事
参考文献
- 日本放送協会 編『NHK年鑑1955』ラジオサービスセンター、1954年12月1日 。
- 日本放送協会 編『NHK年鑑1956』日本放送出版協会、1955年11月1日 。
- 日本放送協会 編『放送五十年史』日本放送出版協会、1977年3月10日 。
- 日本放送協会 編『放送五十年史 資料編』日本放送出版協会、1977年3月10日 。
- NHK 編『放送の五十年 昭和とともに』日本放送出版協会、1977年3月30日 。
- NHKは何を伝えてきたか-NHKテレビ番組の50年「テレビ本放送開始」
- NHKアーカイブスカタログ―テレビ番組放送記録+番組小史 1953〜2008
- 日本テレビ50周年の物語[リンク切れ]
など
脚注
注釈
- ^ ラジオ第1を左、同第2を右、テレビを中央の定位にして放送。
- ^ 当初はノンスポンサーで、後に三菱電機一社提供。1956年1月より花王石鹸(後の花王)一社提供に変更し、『花王ワンダフルクイズ』と改題。
出典
- ^ a b c d e NHKアーカイブス 放送100年史 放送100大年表 1954年(昭和29年)(2025年5月24日閲覧)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj 「放送史年表 -詳細版- 1954年」(NHK放送文化研究所)(2025年5月24日閲覧)
- ^ NHKクロニクル『舞台劇 「婦系図」湯島境内の場』アナログ総合 1954年02月01日(月) 午後01:30 〜 午後02:30
- ^ NHKクロニクル『赤ちゃんコンクール』アナログ総合 1954年02月02日(火) 午後01:15 〜 午後02:00
- ^ NHKクロニクル『天皇誕生日参賀風景実况 ―室居内宮殿跡広場―』アナログ総合 1954年04月29日(木) 午前11:30 〜 午前11:55
- ^ NHKクロニクル「ドラマ『二人のルメ子』」アナログ総合 1954年05月05日(水) 午後07:30 〜 午後08:30 東京・大阪初のドラマ・二元放送
- ^ NHKクロニクル『テレビジョンの歩み』アナログ総合 1954年06月04日(金) 午後09:00 〜 午後09:20
- ^ NHKクロニクル『プロ・レスリング実况―東京体育舘― 太平洋選手権爭奪プロ・レスリング試合』アナログ総合 1954年08月08日(日) 午後07:30 〜 午後09:00
- ^ NHKクロニクル『フランス美術展実况 ―東京国立博物館―』アナログ総合 1954年10月15日(金) 午後08:40 〜 午後09:20
- ^ NHKクロニクル『舞台中継 ―歌舞伎座― 「倭假名在原系図」 蘭平物狂 一幕二場』アナログ総合 1954年10月20日(水) 午後07:30 〜 午後08:30
- ^ NHKクロニクル「昭和29年度芸術祭参加番組 ドラマ 『居留地ランプ』」アナログ総合 1954年11月03日(水) 午後07:30 〜 午後08:15
- ^ NHKクロニクル『フルニェ特別演奏会』アナログ総合 1954年11月03日(水) 午後09:15 〜 午後10:00
- ^ NHKクロニクル「昭和29年度芸術祭参加番組 ドラマ 『風光る』」アナログ総合 1954年11月24日(水) 午後08:30 〜 午後09:15
- ^ NHKクロニクル『こんにゃく問答』アナログ総合 1954年12月15日(水) 午後07:15 〜 午後07:30
- ^ 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'56』日本放送出版協会、1956年、131,132,274,275頁。
- ^ NHKクロニクル『オペラ中継―俳優座劇場― 歌劇「アマールと夜の訪問者」メノツチイ作曲』アナログ総合 1954年12月25日(土) 午後02:00 〜 午後03:00
- ^ 株式会社東京放送『TBS50年史 資料編』株式会社東京放送、2002年1月、326頁。
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