1965年のテレビ_(日本)とは? わかりやすく解説

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1965年のテレビ (日本)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/06 19:52 UTC 版)

1965年のテレビ(1965ねんのテレビ)では、1965年昭和40年)の日本におけるテレビジョン放送全般の動向についてまとめる。

主なできごと

10月4日NHK放送センター東京都渋谷区神南)が全面的に運用を開始。
運用開始日には、同センター内に見学コース(後のNHKスタジオパーク)がオープンした。


テレビ番組


カラー放送の動き


CM
TBSが10月1日、全時間帯に於いてテレビ10秒スポットCMを全廃。ゴールデンタイムとよばれる19~21時は5秒のそれも廃止となる。


技術
NHKが12月20日から、VTR自動編集装置の使用を開始している。


番組関係のできごと

1月
  • 2日 - フジテレビ系で『第2回新春ポピュラー歌手かくし芸大会』を放送。前回は司会を置かなかったが、今回より高橋圭三が司会を担当、以後高橋は1985年の第22回まで司会を担当し、正月の顔となる。なおこの回は22:00 - 23:30の『夜の十時劇場』(翌年の第3回も)で生放送されたが、同番組の生放送は1996年の第33回まで中断する。
  • 3日 - NHK総合大河ドラマ第3作『太閤記』放送開始( - 12月26日。原作・吉川英治、出演・緒形拳高橋幸治 ほか)[1][2][3]。織田信長役の高橋幸治に「助命嘆願」の投書が殺到した[4]
  • 7日
  • 10日 - いずれもNHK総合
    • NHKの大相撲中継カラー放送が、この日の蔵前国技館で行われた、初場所の初日の中継から開始[1][5]。その後、名古屋場所での開催は同年6月27日、福岡での九州場所の開催は同年11月7日、大阪場所での開催は翌年3月13日の各々初日の中継から、カラー化された[6]
    • クラシック・民謡・ポピュラー音楽等、様々な分野の歌をコーラスに編曲して送る、東京放送合唱団出演のカラー放送の音楽番組『コーラスをどうぞ』放送開始( - 1966年4月3日)。[1][7]
    • 日曜深夜の音楽番組『夢のセレナード』放送開始( - 1969年4月5日)。[1][8]
  • 12日 - 日本テレビ系、ドラマ『アッちゃん』放送開始[1]。後に『続アッちゃん』、『新アッちゃん』と放送時間を変更する毎に番組名を変更、1966年11月30日まで放送された。
  • 25日 - TBS系、大相撲本場所の中継放送を、この日の初場所の千秋楽を最後に打ち切る。[1]
  • 31日 - NHK総合、海外取材番組『世界のこども』放送開始( - 4月4日、全10回)。[1]
2月
  • 7日 - フジテレビ系、前日に新宿厚生年金会館にて開催された『小児マヒ救済の "あゆみの箱" 第1回チャリティーショー』を放送。[1]
  • 14日 - 民放全46社ネットで、小児マヒ救済テレビチャリティーショー『いまぼくは空を見ることができる』を放送。[1]
  • 18日
    • NHK総合、『海外取材番組』で「中華人民共和国」が放送開始( - 3月18日、全5回)。[1]
    • 日本テレビ系、初の大臣レギュラー出演番組『大蔵大臣アワー・ふところ放談』放送開始[1]。「政治と台所を結びつける」ことを狙いに制作された番組で、当時の大蔵大臣田中角栄自民党所属)をメインに、経済関係の諸問題について、レギュラー陣の経済評論家やゲストを交えて談じるトーク番組[9]政府広報番組ではなく、民間企業がスポンサー提供する一般番組の扱いであった。田中の地元である新潟県の当時唯一の民放・新潟放送[注 1]では、毎週2回にわたりスポンサーを付けずに放送された。しかし、民間企業が提供する番組に国務大臣が出演し、実質的に自民党のPRや自身のPRを行っていたことが国会でも問題になり、半年の放送予定が5月20日(全14回)で打ち切りとなった(同番組の項目も参照)。
    • TBS系、北ベトナムからの報道番組『ベトコンとともに - W・バーチェットの記録』を放送。[1]
  • 2223日 - NHK総合、北炭夕張炭鉱第一砿でガス爆発事故発生を受け、ニュース速報や特別番組を放送。[1]
  • 25日 - 東京12チャンネル(後のテレビ東京)、報道特別番組『開高健の“ずばりベトナム”』を放送。[1]
  • 28日 - 日本テレビ系、米CBSのバラエティーショー番組『エド・サリヴァン・ショー』放送開始(同年8月まで)。[1]
3月
4月
  • 2日 - 日本テレビ系で、視聴者参加型番組踊って歌って大合戦』放送開始( - 1966年5月27日。花王石鹸〈後の花王〉一社提供)。初代林家三平の豪快な司会で人気を集めるものの、「低俗番組」と批判される様になる。[1][10]
  • 5日
  • 8日 - いずれもNHK総合
    • 『海外取材番組』で「インドシナの底流」が放送開始( - 5月13日、全6回)。[1]
    • 「日本近代百年」を探るシリーズドラマ『風雪』の第51話で、日本海海戦をパロディー風に描いた「敵艦見ゆ ー日露戦争ー」を放送(作:盛善吉、演出:広江均)[14]。しかし放送後、通常行われている再放送がこの回(同月13日に予定)は中止となった。[1]
  • 9日 - TBS系、ドラマザ・ガードマン』放送開始[1]宇津井健の代表作であり共演した中条静夫藤巻潤倉石功川津祐介神山繁らの出世作となる(〜1971.12.24[注 2]) [4]
  • 11日 - NHK総合、『海外取材番組』で「マダガスカルの自然」が放送開始( - 5月2日、全4回)。[1]
  • 12日 - 東京12チャンネル、『この奇妙な戦い-ベトナム戦線をゆく』を放送。[1]
  • 13日 - TBS系、北ベトナムからの報道番組『北ベトナム1965年春』を放送。[1]
  • 14日 - NHK総合、学校放送開始30周年記念番組『21世紀の教育をめざして』を放送。[1][15]
  • 18日 - NHK総合、ドキュメンタリー番組『ある人生』にて、離島の一校長の生活記録を描いた「臥蛇の入道先生」を放送[16]。放送後、視聴者の援助で島の子供たちの東京修学旅行が実現するという嬉しい出来事が起きた。[1]
  • 19日 - 東京12チャンネル、『ベトナム戦線取材報告』シリーズ放送開始(同月23日まで)。[1]
5月
  • 1日 - フジテレビ系で、NHKを退職したばかりのフリーアナウンサー小川宏を司会に迎えたワイドショー番組『奥さまスタジオ 小川宏ショー』放送開始[1]1982年3月31日まで続き[10]、局の看板となる長寿番組となった。
  • 3日 - 西日本放送、歩行訓練に励む7歳の少年の記録のドキュメンタリー『昨日・今日・明日 - 筋ジストロフィーの悲劇』を放送。[1]
  • 47日 - NHK教育、『教養特集』にて、4日間連続シリーズで「日本の安全保障」を放送。4日は「世界の防衛と日本の安全保障」[17]、5日は「アジアの軍事情勢と日本の防衛」[18]、6日は「自衛隊の任務と限界」[19]、7日は「日本の防衛とわが党の立場」[20]を放送。[1]
  • 6日 - 毎日放送、13時から放送の番組『ママの育児日記』の生放送中に、社内で春闘ストライキ中の毎日放送労働組合員の労働歌や声が混入する事態が発生。通称「ママ育」事件が発生する[21][22]
  • 8日 - フジテレビ系で、竜の子プロダクション(後のタツノコプロ)制作によるテレビアニメ第1号作品『宇宙エース』(原作:吉田竜夫)が放送開始( - 1966年4月28日
  • 9日 - 日本テレビ系『ノンフィクション劇場』にて、「ベトナム海兵大隊戦記」3部作の第1部を放送。しかし、生首シーンが問題化し、第2部以降の放送が中止となり、論議を呼んだ。[1]
  • 19日 - NET系、ドラマ『判決』にて、この日放送予定だった、教科書問題がテーマの「佐紀子の庭」(作:本田英郎)が放送中止となる。[1]
  • 20日 - NHK総合、『海外取材番組』で「南の隣国」が放送開始( - 7月15日、全7回)。台湾フィリピンで取材、台湾では蒋介石総統との初の単独会見の模様を放送。[1]
6月
7月
  • 4日 - NHK総合、「第7回参議院議員通常選挙」の開票速報にて、得票順位の並べ替えや当落判定の資料に電子計算機(コンピューター)を初使用。[1]
  • 5日 - フジテレビ系、平日昼の帯ドラマシリーズ枠「ライオン奥様劇場」にて、メロドラマ愛染かつら』が放送開始( - 8月20日。出演:長内美那子吉田輝雄 ほか)[1]。当時社会現象となる程の人気を博し、関東地区ではビデオリサーチ調べで、平均視聴率28%、同年8月20日放映の最終回視聴率は38.5%を記録。3年後には続編も制作された(同番組の項目も参照)。
  • 12日 - フジテレビ系、報道番組『ベトナムレポート-サイゴンの不安』を放送。[1]
  • 16日 - NHK総合、特別番組『火星を写したマリナー4号』を放送。[1][27]
  • 22日 - NHK総合、『海外取材番組』で「オセアニア」が放送開始( - 8月26日、全6回)。[1]
  • 27日 - フジテレビ系で、日清食品一社提供による子供向け歌合戦番組『日清ちびっこのどじまん』放送開始[1]。当初は前々番組『地上最大のクイズ』の司会者だった桂小金治が司会を担当したが、間もなく大村崑に交代、1969年9月まで継続する[3]
8月
  • 13日 - NHKの「全国高等学校野球選手権大会(於:甲子園球場の中継が、この日の開会式からカラー化される(春の高校野球である「選抜高等学校野球大会」も、翌年3月26日の開会式の中継からカラー化)。[6]
  • 1415日 - 東京12チャンネル、8月15日(終戦)記念集会実行委員会主催の徹夜討論会「戦争と平和を考える集会」をテレビ同時中継。第1部『ベトナム問題と日本の進むべき道』を終わり、第2部『戦中戦後の体験発表』放送中の15日午前4時すぎ、放送局側が「内容が公正を欠く」として中継放送を打ち切る。[1]
  • 29日 - TBS系「不二家の時間」枠で、日本最初のギャグテレビアニメ『オバケのQ太郎』(藤子不二雄原作、声:曽我町子 ほか)放送開始( - 1967年6月28日、全96回)[3]。なお前週の8月22日には前夜祭番組『オバQ誕生』を放送した。[1]
9月
  • 2日 - NHK総合、『海外取材番組』で「北ヨーロッパ」が放送開始( - 10月14日、全6回)。[1]
  • 4日 - NHK、放送開始40周年を記念し、この日から日本で行われるスラブ歌劇団公演を総合・教育の双方にて放送[1]。この日は同歌劇団の初日の公演である、ムソルグスキー作曲の歌劇「ボリス・ゴドノフ」全曲を、東京文化会館から録画と生中継と併用して総合テレビのゴールデンタイムにて放送[28][29]。尚NHKではその後、同月28日迄東京文化会館で行われた歌劇全演目と特別演奏会の模様がモノクロとカラーの両方にて収録され、特にスメタナ作曲の歌劇「売られた花嫁」は全放送がカラー放送となった(演目等の詳細は「#音楽番組」の項を参照)。[30]
  • 15日 - NHK総合、朝のニュースショー番組『スタジオ102』で、盲人用の仮名タイプライター(カナタイプ)の贈呈運動を紹介。それに対し、視聴者等から寄付金100万円が集った。[1]
  • 25日 - NHK総合、日本国内の政党5党の代表が参加し、1時間半の特別番組『日韓条約とわが党の態度』を放送[31]。この番組に関連してNHKでは、「日韓問題に関する世論調査」を同月30日から2日間に渡り、全国で実施した。[1]
  • 30日 - NHK総合、「日本近代百年」を探るシリーズドラマ『風雪』が、この日の第76回「放送第一声」(日本のラジオ放送開始)にて最終回となり、放送終了[32]。もとは太平洋戦争敗戦までを全100話で描く予定だったが、映像描写をめぐり脚本の改変や抗議による再放送中止が続々発表されたため、この回で打ち切りとなった(同番組の項目も参照)。
10月
  • 5日 - TBS系、夜8時台のワイド歌謡番組『TBS歌謡曲ベストテン』放送開始( - 1967年3月28日)。歌謡曲ベストテン番組の初めとなった。[1][33]
  • 6日
    • NHK総合、カラー放送の音楽番組『音楽は世界をめぐる』放送開始( 1967年3月29日)。[1][34]
    • フジテレビ系で、日本最初のカラー連続テレビアニメ『ジャングル大帝』放送開始[1]手塚治虫原作、三洋電機一社提供。1966年10月より『ジャングル大帝 進めレオ!』と改題、1967年3月まで放送)[注 3]。日本PTA全国協議会が少年・家庭向け優良番組として推薦。[36]
  • 9日 - NET系、当初予定していた特別番組『公開討論会 -“ 日韓新時代 ”を考える』の放送を中止した替わりに、『座談会 - 若い目で見た韓国』を放送。[1]
  • 11日 - NHK総合、2時間の特別番組『「テレビ討論 - 日韓条約」「批准の賛否をめぐって」』を放送。番組には、自由民主党から田中角栄大平正芳が、日本社会党から成田知巳岡田宗司が出演した。[1][37]
  • 16日
    • NHK総合、当時の最新音楽事情を、歌手たちの演奏にダンサーの踊りなどを交えて、1つのストーリーとして放送するというカラー放送の音楽番組『若さとリズム』放送開始( - 1967年4月2日)。[1][38]
    • フジテレビ系、『ビジョン討論会』か不定期番組として放送開始。この日は「日韓批准是か非か」を放送。尚、同番組は翌月6日からレギュラー番組として放送開始、1978年3月26日まで続く長寿番組となった。[1]
  • 18日 - TBS、関東ローカルの『天気予報』の放送を、気象協会内に新設した自社のサテライトスタジオから開始。[1]
  • 19日 - NET系、時代劇『素浪人月影兵庫』放送開始(出演:近衛十四郎品川隆二 ほか)[1]。第1シリーズが翌年4月12日まで(全26回)、第2シリーズが1967年1月7日から1968年12月28日まで(全104回)放送された。
  • 21日 - NHK総合、『海外取材番組』で「華僑」が放送開始( - 11月18日、全5回)。[1]
  • 24日
11月
  • 8日 - 日本テレビ系で以下の2つの番組が開始。
  • 12日 - NHK総合、特別番組 『議会政治と政局 ー日韓条約の審議をめぐってー』を放送。番組には、自民・社会・民社・共産 各党代表他が出演した。[1][40]
  • 18日 - 毎日放送・NET系、テレビ時代劇『源氏物語』放送開始。同番組は翌年、エミー賞国際賞のフィクション部門に入賞する。[41]
  • 21日 - TBS系、『東芝日曜劇場』にて、RKB毎日放送制作・第20回(昭和40年度)芸術祭参加作品のドラマ『海より深き ―かさぶた式部考―』を放送(作:秋元松代、出演:北林谷栄南田洋子 ほか)。同芸術祭のテレビドラマ部門の芸術祭賞を受賞。[1][42][43]
  • 25日 - NHK総合、『海外取材番組』で「国連」が放送開始( - 1966年2月3日、全10回)。[1]
12月

その他テレビに関する話題

既存局のカラー放送開始

視聴率

(関東地区、ビデオリサーチ調べ)[55]

  1. 第16回NHK紅白歌合戦(NHK総合、12月31日)78.1%
  2. 世界バンタム級タイトルマッチ「ファイティング原田×アラン・ラドキン」(フジテレビ、11月30日)60.4%
  3. ついに帰らなかった吉展ちゃん(NHK総合、7月5日)59.0%
  4. ニュース(NHK総合、12月31日 21:00-21:05)58.8%
  5. 世界バンタム級タイトルマッチ「ファイティング原田×エデル・ジョフレ」(フジテレビ、5月18日)54.9%
  6. ニュース(NHK総合、7月5日 8:00-8:15)53.6%
  7. プロレスリングWWA世界選手権豊登×ザ・デストロイヤー」(日本テレビ、2月26日)51.2%
  8. 連続テレビ小説 うず潮(NHK総合、2月12日)47.8%
  9. スタジオ102(NHK総合、9月17日)47.4%
  10. ニュース(NHK総合、9月17日 7:00-7:21)46.7%
  11. 連続テレビ小説 たまゆら(NHK総合、7月5日)44.7%
  12. そっくりショー(日本テレビ、3月30日)43.0%
  13. ゆく年くる年(NHK総合、12月31日)42.1%
  14. てなもんや三度笠(TBS、11月21日)41.6%
  15. 大河ドラマ 太閤記(NHK総合、10月17日)39.7%
  16. アベック歌合戦(日本テレビ、1月25日)38.6%
  17. 奥様劇場愛染かつら(フジテレビ、8月20日)38.5%
    • ただいま11人(TBS、6月10日)38.4%
    • 7時のニュース(NHK総合、9月17日)38.4%
  18. プロ野球日本シリーズ・第2戦南海×巨人」(日本テレビ、10月31日)38.3%

テレビ番組

テレビドラマ

NHK
日本テレビ系
TBS系
フジテレビ系
NETテレビ系

子供向けドラマ

日本テレビ系
TBS系
NETテレビ系
東京12チャンネル

特撮番組

テレビアニメ

ワイドショー番組

バラエティ番組

クイズ番組

音楽番組

トーク番組

教養・ドキュメンタリー番組

スポーツ番組

  • がんばれ巨人軍(日本テレビ)

既存番組のカラー化

参考文献

など

脚注

注釈

  1. ^ 新潟放送はTBS系のニュースネットワーク・JNNに1959年8月の設立当初から加盟しているものの、番組の放送に於いては当時、TBSが中心ではあるものの、日本テレビを始め他系列の番組も放送していた。
  2. ^ 12月31日も放送したが「哀愁のカサブランカ」の再放送
  3. ^ a b ちなみに、日本初のカラーテレビアニメ作品は、単発も含めると、1958年7月14日に日本テレビでカラーテレビ実験放送期に放送された『もぐらのアバンチュール』である(同項目を参照)。[35]
  4. ^ 当時沖縄はアメリカの施政権下。1945年3月26日にNHK沖縄放送局が米軍機のロケット弾により爆撃され閉鎖されて以来、1967年に沖縄放送協会ができるまでは受信料運営の公共放送が存在しなかった。[46]
  5. ^ 翌年開始される長寿番組『笑点』の前身番組。
  6. ^ a b この日の当番組の表記には再放送のマークがあるが、初回のモノクロ放送を含めての再放送であり、カラーでは初放送である。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh bi bj bk bl bm bn bo bp bq br bs bt bu bv bw bx by bz ca cb cc cd ce cf cg ch ci cj ck cl cm cn co cp 「放送史年表 -詳細版- 1965年」(NHK放送文化研究所)(2025年5月14日閲覧)
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  3. ^ a b c d 放送五十年史資料編 788頁 日本放送協会編
  4. ^ a b c 増補新版現代世相風俗史年表 世相風俗観察会編 132頁 河出書房新社
  5. ^ a b 日本放送協会放送文化調査研究所放送情報調査部『NHK年鑑'65』日本放送出版協会、1965年、187, 216頁。NDLJP:2474362/126,NDLJP:2474362/149 
  6. ^ a b c d 日本放送協会放送文化調査研究所放送情報調査部『NHK年鑑'66』日本放送出版協会、1966年、177頁。NDLJP:2474363/116 
  7. ^ a b 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'66』日本放送出版協会、1966年、136頁。NDLJP:2474363/90 
  8. ^ a b 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'66』日本放送出版協会、1966年、136~7頁。NDLJP:2474363/90 
  9. ^ “小汀氏らが聞く 「ふところ放談」 大蔵大臣アワー”. 朝日新聞・朝刊: p. 9. (1965年2月18日). "... 直接、間接に家庭のお台所に影響する問題をとりあげて、蔵相の話を聞く。聴き手は経済評論家小汀利得、小林七郎、電電公社調査役影山裕子の三氏、ゲストは福島慶子さん。"  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
  10. ^ a b 増補新版現代世相風俗史年表 世相風俗観察会編 131頁 河出書房新社
  11. ^ 『放送の五十年 資料編』, p. 634.
  12. ^ 『放送の五十年 資料編』, p. 789.
  13. ^ 増補新版現代世相風俗史年表 世相風俗観察会編 131、293頁 河出書房新社
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  16. ^ NHKクロニクル『ある人生 「臥蛇の入道先生」』アナログ総合 1965年04月18日(日) 午後09:30 〜 午後09:59
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  85. ^ NHK nenkan - Google Books
  86. ^ NHK nenkan - Google Books

「1965年のテレビ (日本)」の例文・使い方・用例・文例

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