よしだ‐たつお〔‐たつを〕【吉田竜夫】
吉田竜夫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/30 14:11 UTC 版)
吉田 竜夫(よしだ たつお、1932年3月6日 - 1977年9月5日)は、日本の漫画家、アニメ原作者、実業家[1]。本名・吉田龍夫(読みは同じ)。京都府京都市出身[1]。アニメ制作会社タツノコプロの設立者で初代代表取締役。
注釈
- ^ 当時の仲間に同郷の漫画家の辻なおきがおり、彼はその縁で竜の子プロダクション初期に一時期在籍していた。
- ^ 1977年から1987年まで。1995年以降は会長。
- ^ 1987年以降。
- ^ a b 長女すずかが代理で受け取る。
- ^ a b 梶原一騎のペンネーム。
- ^ 1961年から実弟の丸山健二(吉田健二)が原作者としてクレジットされる。
- ^ 主題歌「マッハゴー・ゴー・ゴー」。
- ^ 依光隆、宇垣昭と連名。
- ^ 宮本貞雄、九里一平と連名。
- ^ 九里一平、天野嘉孝と連名。
- ^ 放映中に他界したため、途中から後を引き継いだ吉田健二にクレジットが変わる。
- ^ a b c 天野嘉孝と連名。
- ^ ノンクレジット。
- ^ 第1話から第36話まで。放映中に他界したため、吉田健二が後を引き継いだが、クレジットはそのまま。
- ^ a b 放送開始直前に他界したが、クレジットはそのまま。
出典
- ^ a b c d e “2044年03月06日 (日) - 今日は何の日?”. CDJournal WEB. 株式会社 シーディージャーナル (2009年3月3日). 2024年4月28日閲覧。
- ^ “タツノコプロ元社長・吉田豊治さん死去 83歳 『ガッチャマン』『みなしごハッチ』『マッハGoGoGo』などに参加”. ORICON NEWS. オリコン (2023年7月20日). 2024年4月28日閲覧。
- ^ a b c d e f g 川辺美奈子 (2022年9月21日). “タツノコプロ60周年の軌跡【前編】創立から3年経って完成した第1作『宇宙エース』”. NEWSポストセブン. 小学館. 2024年4月28日閲覧。
- ^ a b “マンガ、特撮はすぐ浮かぶけど? アニメ界で「神様」と呼ばれる偉人とは”. マグミクス. メディア・ヴァーグ (2023年5月30日). 2024年4月20日閲覧。
- ^ a b 菊地武顕 (2017年10月15日). “みなしごハッチ、ガッチャマン…タツノコプロ55周年「アニメ経験者は一人もいなかった」”. AERA dot.. 朝日新聞出版. 2024年4月28日閲覧。
- ^ a b c 数土直志 (2018年12月27日). “タツノコプロに訊く! 「ガッチャマン」から「キンプリ」まで、伝統と新しさでアニメシーンを牽引【インタビュー】”. アニメ!アニメ!. イード. 2024年4月28日閲覧。
- ^ “小学館漫画賞:歴代受賞者”. 小学館コミック. 小学館. 2017年7月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年4月28日閲覧。
- ^ 『南日本新聞』1977年9月8日付朝刊15面より。
- ^ “タツノコプロ3代目社長が逝去「マッハGoGoGo」はアメリカに売るためにカラー制作した”. アサヒ芸能. 徳間書店 (2023年7月21日). 2024年4月28日閲覧。
- ^ “キャラクターデザイナー・吉田すずかが、今だから語るタツノコキャラたちの本当の魅力”. アキバ総研. カカクコム (2018年4月28日). 2024年4月28日閲覧。
- ^ 倉田モトキ (2017年7月30日). “「ハクション大魔王」「タイムボカン」「Infini-T Force」……タツノコプロ創立55年の軌跡をたどる特別展が開催中!”. GetNavi. ワン・パブリッシング. 2024年4月28日閲覧。
- ^ a b 女性自身2012年8月21・28日合併号記事『タツノコワールドへようこそ』吉田すずかインタビューより。
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