1961年のテレビ (日本)
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1961年のテレビ(1961ねんのテレビ)では、1961年(昭和36年)の日本におけるテレビジョン放送全般の動向についてまとめる。
主なできごと
- 更に表記を「東京テレビ」から「TBSテレビ」に改める。
- 10月12日には、TBSの新社屋(赤坂メディアビル)が完成(1994年10月にTBS放送センターへ移転し運用終了、解体)。
- 12月1日には、社名呼称をTBSに統一する(公用文等を除き、原則「東京放送」を使用しない)。
- 前年、ラジオ東京が東京放送(TBS)に社名を変更したのを受け、この年、地方局11社が同様の社名変更を実施。
何れも、「ラジオ〇〇」を「〇〇放送」に変更。但し、秋田県の「ラジオ東北」については、「秋田放送」に社名を変更した。(「#商号変更」の項を参照)
- NHK教育テレビが、広島・富山・高知・青森の各局で開局、放送を開始。
1990年9月に大阪市北区茶屋町の社屋に移転するまで、放送センターの役割を果たした。
- テレビ番組
- NHK総合、4月から「朝の連続テレビ小説」(第1作は『娘と私』)と『みんなのうた』が放送開始(2025年5月現在も継続中)。前者はそのパイロット版として、正月3が日の22時台に『伊豆の踊子』を放送(後述)。
- 上記の他、以下のレギュラー番組が放送を開始。この年は後に長寿番組になったのが数多く開始している。
- 日本テレビ:『シャボン玉ホリデー』、『健康増進時代』
- TBS:『七人の刑事』
- フジテレビ:『キンカン素人民謡名人戦』、『ズバリ!当てましょう』
- NET:『特別機動捜査隊』
- 民放関係
番組関係のできごと
- 1月
- 1~3日 - NHK総合、後に朝の連続テレビ小説のパイロット版と呼ばれる様になる、連続テレビ小説『伊豆の踊子』を、22時15分から25分間に渡り、3日間に渡って放送(原作:川端康成、脚色:篠崎博、出演:山本勝・小林千登勢 ほか)。[1][2][3][4][5]
- 6~8日 - NHK総合、『第1回 NHK杯全国選抜アイスホッケー大会』を、札幌・中島球場特設リンクから中継。[1]
- 8日 - 日本テレビ、この日の大相撲初場所中継の初日から、日本の大相撲中継では初のカラー放送を開始(当初は蔵前国技館からの中継のみカラー)。[1][6]
- 9日 - いずれもフジテレビ
- 14日 - NHK総合、劇場中継「恋染め伝八」(於:浅草常盤座)にて、劇場中継では初のカラー放送(東京のみ[注 1])を行う。[1][7]
- 29日 - NHK総合、『第1回NHK杯ラグビー』を、秩父宮ラグビー場から実況中継。[1][8]
- 2月
- 5日 - TBS系、『さくらサンデースコープ』にて、TBSが招聘し同年元日に初来日した米のジャズ・ドラマー、アート・ブレイキーと彼の率いるジャズメッセンジャーズ[注 2]が、自社のGスタジオにて収録した『アート・ブレイキー・ショー』を放送。[9][10]
- 14日 - フジテレビで視聴者参加型の歌謡番組『キンカン素人民謡名人戦』が放送開始(金冠堂一社提供)。1993年5月29日まで32年4ヶ月続く長寿番組となる。なお当初は、前述の『タワーバラエティ』の火曜日版の放送だった。
- 3月
- 4日 - TBS、映画番組『週末名画劇場』放送開始。毎週土曜の23時15分から1時間25分間の放送で、テレビ深夜放送の初めとなる。[1]
- 21日 - NHK総合、東京という大都市を様々な形でレポート中継する番組『大東京拝見 ―空から,陸から,海から―』放送。ヘリコプター(ヘリ専用カメラ初使用)・海上・陸上(4か所)から多元中継を行う。[1][11]
- 28日 - NHK総合、1月に米大統領に就任したばかりのジョン・F・ケネディ大統領(当時)に、NHKが単独会見をした特別番組『ケネディ米大統領と会見』放送。[1][12]
- 4月
- 2日 - 朝日放送・TBS系(当時)、コメディー『スチャラカ社員』放送開始( - 1967年4月30日。脚本:香川登志緒、演出:澤田隆治、出演:中田ダイマル・ラケット、ミヤコ蝶々、藤田まこと ほか。小野薬品一社提供)。[1][13]
- 3日 - NHKが番組改定。[1]
- 5日 - NHK総合、紀行番組『日本縦断』放送開始( - 1962年7月9日、翌週16日から『続日本縦断』に改題、更に1963年10月7日は『新日本紀行』に改題し、1982年3月10日まで続く長寿番組となる)。[1]
- 7日
- 8日 - いずれもNHK総合
- 9日 - NHK総合、生放送によるミュージカル風なテレビドラマ『若い季節』放送開始( -1964年12月27日。作:小野田勇、演出:岡崎栄、出演:淡路恵子・有島一郎・水谷良重・坂本九 ほか)。[1]
- 12~13日 - NHK総合、ソ連初の有人宇宙船「ボストーク1号」打ち上げで特別番組編成。[1]
- 13日 - NHK札幌放送局、総合テレビのローカル番組にて、小児マヒ後遺症患者向けの番組『テレビ整肢学校』放送開始( - 1963年3月28日)。[1]
- 5月
- 1日 - フジテレビ、初の国産テレビアニメによる平日の1分間番組『インスタント・ヒストリー』放送開始( - 1962年2月21日。おとぎプロダクション制作)。[1]
- 3日 - NHK総合、内閣総理大臣で自由民主党総裁の池田勇人、日本社会党委員長の河上丈太郎、民主社会党(民社党の前身)委員長の西尾末広の3党首によるテレビ座談会を、特別番組『三党首座談会』として放送。[1][14]
- 7日 - TBS系、TBS創立10周年記念として、初来日中の米のジャズ・カルテット、モダン・ジャズ・カルテットを自社のCスタジオに招いた記念番組『モダン・ジャズ・カルテット・コンサート』放送。[15][10]
- 14日 - TBS系、初来日中の米のジャズ・ヴォーカリスト兼ピアニストであるナット・キング・コールを自社のCスタジオに招いて収録した特別番組『ナット・キング・コール・ショー』放送。番組内では、「モナ・リサ」、「スターダスト」、「トゥー・ヤング」など、彼の歌として広く知られたナンバーや、「枯葉」では日本語を交えて歌うシーンもあったり、ピアノの生演奏も披露した。[16]
- 16日
- 6月
- 3日 - NHK総合、衆議院本会議の「政治的暴力行為防止法 (政防法) 案」の強行採決の模様を、「東京六大学野球春季リーグ戦実況 早稲田大学 対 慶応義塾大学」の放送[18]を中断し、臨時実況中継。[1]
- 4日 - 日本テレビ系でハナ肇とクレージーキャッツやザ・ピーナッツなどの出演によるカラー放送の音楽バラエティ番組『シャボン玉ホリデー』が放送開始(牛乳石鹸一社提供)。クレージーメンバーのコントが人気を集め、1972年10月1日まで足かけ12年続く[注 4]。[1]
- 20日 - NHKに続き、民放テレビもこの日から小児マヒ(ポリオ)撲滅キャンペーン番組を展開し始める。[1]
- この日は、日本テレビが『小児マヒに勝った!』を放送。[1]
- 24日 - TBS、小児マヒ関連の番組『生ワクチンをよこせ』放送。[1]
- 28日 - NHK総合、小児マヒに関するレギュラーミニ番組『小児マヒ情報』放送開始( - 8月30日)。[1][19]
- 7月
- 11日 - NHK総合、北海道根室ノサップ岬沖で、ソ連監視船にだ捕される日本漁船の模様をニュース放送。[1]
- 月内 - 九州・北海道の各民放局が、先月のキー局に続き、小児マヒ関連の番組を放送する。[1]
- 8月
- 1〜31日 - 日本教育テレビ(後のテレビ朝日。以下「NET」と記す)で夏休み朝の特別編成(関東ローカル)として、『七色仮面』と『アラーの使者』を月 - 土10:45 - 11:45枠で再放送。以後1986年まで四半世紀に渡って夏休み朝に放送され、「夏の風物詩」となるアニメ・ドラマ再放送枠『夏休みまんが大会』(時期によって別名称有り。後述)が始まる。
- 4日 - NHK総合、『海外取材番組』で「ソビエトを行く」が放送開始( - 10月6日、全10回)。[1]
- 5日
- 8日 - 「松川事件」に於ける仙台高等裁判所での差し戻し審で、この日の判決公判で被告人全員に無罪判決が下される。これを受け、NHK総合・東北放送(TBC)が、判決実況(TBCは、JNN・TBS系で全国ネット)を始め、様々な特別番組を編成。[1][20][21]
- 11日 - 朝日放送、この日から開催された『第43回全国高等学校野球選手権大会』の放送で、番組の前後のみCMを入れる放送を行う。[13][22]
- 17日 - NHK総合、初来日中のソ連のアナスタス・ミコヤン副首相を迎えての特別番組『ソ連のミコヤン副首相を迎えて』を放送。[1]
- 19日 - NHK総合、『夢であいましょう』で、坂本九の「上を向いて歩こう」が初放送[1]。後に同番組の同年10月・11月の「今月のうた」として発表、同年10月15日にレコードが発売されると爆発的なヒットとなり、翌月から3か月にわたり週間ヒットチャートの1位を独走。1963年には米で「SUKIYAKI」という題名で発売され。全米週間ヒットチャート第1位を記録する程の歴史かつ伝説的大ヒットを記録。世界的な日本の歌として幅広く浸透する(同曲の項目も参照)。
- 9月
- 11~21日 - NHK総合、この期間に「総合キャンペーン - としよりの幸福のために」を実施。ラジオ第1と共に、関連特別番組を編成。[1]
- 18日 - NHK総合、NHKが招聘し前日来日した、小児マヒ生ワクチンの開発者アルバート・セービンの東京・産経ホールでの講演会『小児マヒ絶滅へのあゆみ』を、ラジオ第2放送と同時に中継[23]。彼は来日中、全国4か所で講演した。[1]
- 25日 - この日から、TBS『お好み映画館』、フジテレビ『奥さま映画劇場』( - 1965年4月25日)と、日曜を除く朝の時間帯に2本の邦画放送番組が開始。[1]
- 28日 - NHK、この日から総合・教育両テレビにて、「NHKイタリア歌劇団 第3次公演」の模様を、東京文化会館から随時放送[1][24]。この日は、ジョルダーノ作曲 歌劇「アンドレア・シェニエ」が放送された[25]。
- 10月
- 4日 - TBS系、ドラマ『七人の刑事』放送開始( - 1969年4月28日。脚本:早坂暁ほか、出演:堀雄二・芦田伸介・菅原謙次 ほか)。後に民放のドラマとしては初のイタリア賞を受賞。[1]
- 11日 - NET系で東映製作の刑事ドラマ『特別機動捜査隊』が放送開始[1]。1977年3月30日まで足かけ17年続く長寿番組となる。
- 13日 - NHK総合、『海外取材番組』で「民族と文明」が放送開始( - 12月29日、全12回)。[1]
- 17日 - TBS系、ドラマ『新選組始末記』 放送開始( - 1962年12月25日。出演:中村竹弥・森光子 ほか)。[1]
- 27日 - TBS系・北海道放送制作で、第16回芸術祭参加作品の単発ドラマ「近鉄金曜劇場『オロロンの島』」を放送。後述の『釜ヶ崎』と共に、第16回芸術祭賞を受賞。[1][26]
- 11月
- 2日
- 5日 - TBS系・朝日放送制作で、第16回芸術祭参加作品の単発ドラマ「ナショナル日曜観劇会『釜ヶ崎』」を放送。前述の『オロロンの島』と共に、第16回芸術祭賞を受賞。[1][26]
- 12日 - 関西テレビ・フジテレビ系、米第7艦隊の演習を取材した、開局3周年記念のドキュメンタリー特別番組『米第7艦隊』放送(フジテレビは遅れネットの23日放送)。[1][30]
- 13日 - NHK総合、池田勇人首相(当時)を迎え、対談による特別番組『総理と語る』放送[31]。これを機に、総理対談の番組が定期化、翌年からはNHKと民放が隔月交代で実施。[1]
- 16日 - 日本テレビ・フジテレビ・NET、3社共同制作番組『憲法論議の焦点』放送。[1]
- 12月
- 28日 - TBS系で『第3回日本レコード大賞』生中継。大賞はフランク永井の「君恋し」。
- 31日 - NHK総合、『第12回NHK紅白歌合戦』放送。
その他テレビに関する話題
- 1月8日 - NHK広島教育テレビジョン放送開始。[1]
- 2月26日 - ラジオ新潟が前日(25日)の定時株主総会で、商号を新潟放送(BSN)に変更することが承認され[32][33]、この日から変更された商号及び略称の使用を開始[注 7][35]。これを皮切りに、地方のラジオ・テレビ兼営局の同様な商号変更が相次ぐ。
- 4月1日
- 5月29日 - ラジオ東北が秋田放送(ABS)に商号を変更。[1][36]
- 6月1日 - この日、3社が商号を変更。
- 7月1日 - ラジオ宮崎が宮崎放送(MRT)に商号を変更[1]。同時に社章改定、字体を制定。
- 8月1日

- 10月12日 - TBSが赤坂のテレビスタジオ隣に、本館の本社社屋が完成。ラジオスタジオおよび本社機構が移転する。更に第3次テレビ増設工事も同時に完成。これに伴い、テレビのGスタも完成する。[38]
- 10月28日 - ラジオ青森が青森放送に商号を変更(略称はRABのまま)。[注 8][43]
- 12月1日 - TBSが社名呼称をTBSに統一(公用文等を除き、原則「東京放送」を使用しない)。[38]
商号変更
- 2月26日 - ラジオ新潟→新潟放送[注 7][35]
- 4月1日 - ラジオ大分→大分放送[1]
- 5月29日 - ラジオ東北→秋田放送[1][36]
- 6月1日
- 7月1日 - ラジオ宮崎→宮崎放送[1]
- 9月1日 - ラジオ山梨→山梨放送[1][40]
- 10月1日 - ラジオ南日本→南日本放送[1][41][42]
- 10月28日 - ラジオ青森→青森放送[注 8][43]
開局・放送開始
- 1月8日 - NHK広島教育テレビジョン[1] - 中国地方初の教育テレビ局
- 4月1日 - NHK富山教育テレビジョン - 北陸地方初の教育テレビ局
- 8月1日 - NHK高知教育テレビジョン - 四国地方初の教育テレビ局
- 10月7日 - NHK青森教育テレビジョン
テレビ番組
テレビドラマ
- NHK
- TBS系
- 七人の刑事
- ナショナル劇場 青年の樹
- 月曜日の男
- 咲子さんちょっと
- 新選組始末記
- モウモウ湯繁盛記(朝日放送。主演:横山エンタツ)
- 釜ヶ崎(朝日放送「ナショナル日曜観劇会」枠 11月5日放送)- 第16回芸術祭賞受賞[注 9]
- オロロンの島(朝日放送「近鉄金曜劇場」枠 北海道放送制作 10月27日放送)- 第16回芸術祭賞受賞[注 9]
子供向けドラマ
- NHK
- 忍者シリーズ - 日本テレビ初の牛乳石鹸共進社一社提供番組にして、唯一のドラマ。
- うちの奥さん 隣のママさん(読売テレビ。主演:リンダ・ビーチ)
- TBS系
- スチャラカ社員(朝日放送。主演:中田ダイマル・ラケット)
- アチャコのどっこい御用だ(朝日放送。主演:花菱アチャコ)
- ロボッタン
- 負けるな!ビンちゃん(関西テレビ。主演:楠トシエ)
- 三太物語
特撮番組
バラエティ番組
- 夢であいましょう(NHK総合)
- できるでショウか(日本テレビ)
- シャボン玉ホリデー(カラー)(日本テレビ) - 第1期
- 笑えば天国(フジテレビ)
- タワーバラエティ(フジテレビ)
- 日曜演芸会(NETテレビ)
- 夏休み映画大会→東映まんが→夏休み映画劇場→夏休みちびっこ劇場→【枠名無し】→夏休みまんが大会(NETテレビ) - 関東ローカル。夏休み朝のアニメ・ドラマ再放送枠
クイズ番組
- ナショナルプライスクイズ ズバリ!当てましょう(フジテレビ)
- 当てましょう買いまショウ(中部日本放送)
音楽番組
- みんなのうた(NHK)
- うたのえほん(NHK総合)
- おんがく特急列車(NHK総合)
- 花椿ショウ あなたとよしえ(カラー)(日本テレビ)[44]
- ハロー!ミスターミュージック(カラー)(日本テレビ)[44]
- サンテンラッキーセブンショー(TBS)
- 歌まねXさん(TBS)
- 平凡 歌のバースデーショー(フジテレビ)- 第1期
- キンカン素人民謡名人戦(フジテレビ)
- ザ・ビッグショウ(フジテレビ)
報道・情報番組
教養・ドキュメンタリー番組
- 魔法のじゅうたん(NHK総合)
- ものしり博士(NHK総合)
- おとうさんの手品(NHK総合)
- 科学時代(NHK総合)
- 世界さまざま(カラー)(NHK総合)[45]
- はたらくおじさん(NHK教育)
- 良太の村(NHK教育)
- さんすう1ねん(NHK教育)
- さんすう2ねん(NHK教育)
- 技術・家庭(NHK教育)
- テレビ実験室(カラー)(NHK教育)
体操(エクササイズ)番組
- テレビとともにやせましょう(読売テレビ)[注 10][46]
既存番組のカラー化
- 宮中参賀(日本テレビ) - この年から(この年は1月2日)[6]
- 大相撲本場所中継(日本テレビ) - 1月8日から、蔵前国技館からの中継のみ。[1][6]
- ジェスチャー(NHK総合)- 4月3日放送分より[47]
- それは私です(NHK総合)- 4月5日放送分より[48]
脚注
注釈
- ^ 大阪は、未だテレビのカラー放送の同時ネット回線の整備がされていなかったので、モノクロ放送だった。同整備化されたのは、東京→大阪の下りでは翌年の6月10日のことで、それもNHK総合と日本テレビ発のみだった。
- ^ この時のブレイキー以外のメンバーは、ウェイン・ショーター、リー・モーガン、ボビー・ティモンズ、ジミー・メリットだった。
- ^ 翌年度の第2作『あしたの風』より週6回(月~土曜)放送、8時15分開始となり、再放送も12時45分からに変更(2021年現在も継続中)、15分間の放送となる。2010年の第80作『ゲゲゲの女房』より8時開始に(2021年現在も継続中)、そして2020年の第102作『エール』より週5回放送となり、2025年現在も継続。
- ^ なお4年後の1976年10月8日には、同局の土曜深夜でピンク・レディー・三ツ矢歌子・藤村俊二・車だん吉をレギュラーにした「第2期」が半年放送された。
- ^ 以降、『Oh!診』→『からだ元気科』とタイトルを変えながら2006年3月31日まで続く長寿シリーズとなる。
- ^ 同局のカラー最初期に於いてカラービデオテープで保存されている数少ない番組アーカイブの1つで、1978年10月5日放送『力道山からピンク・レディーまで テレビ25年総集編』の中でも僅かだが一部分が放送。その際に、番組の司会をしている福留功男(当時日本テレビアナウンサー)が、その当時のドラマを収録したスタジオにて、その際の説明をしている。
- ^ a b NHKのホームページ「放送史年表 -詳細版- 1961年[1]」では、定時株主総会での変更の承認日の日付(2月25日)となっており、新潟放送の社史本「新潟放送40年のあゆみ」(1992年 新潟放送刊行)の本文75ページ及び年表の535ページの記述では3月1日となっている[34]が、ここでは新潟日報1961年2月26日朝刊に変更に関しての記事及び広告が明確に出ている(出典を参照)ことから、2月26日としている。この日の新潟日報の朝刊8ページのラジオ・テレビ欄の放送局名も、前日のラジオ新潟から新潟放送に変更されている(新潟日報マイクロフィルム版で閲覧)。
- ^ a b NHKのホームページ「放送史年表 -詳細版- 1961年[1]」では変更の日付が10月29日となっているが、ここでは「青森放送二十五年史」(1980年 青森放送刊行)の記述(10月28日)によっている(出典を参照)。
- ^ a b この回の同賞のテレビドラマ部門は、「釜ヶ崎」と「オロロンの島」の2作品が同時受賞した。
- ^ キー局である日本テレビでは、1962年にネット開始。
出典
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- ^ NHKクロニクル『連続テレビ小説 「伊豆の踊子」(2)』アナログ総合 1961年01月02日(日) 午後10:15 〜 午後10:40
- ^ NHKクロニクル『連続テレビ小説 「伊豆の踊子」(3)』アナログ総合 1961年01月03日(日) 午後10:15 〜 午後10:40
- ^ a b c 日本テレビ放送網(株)『大衆とともに25年. 沿革史』(1978.08) 33ページ (渋沢社史データベース)(2024年4月7日閲覧)
- ^ NHKクロニクル『劇場中継(東京 カラー)~浅草常盤座から~ 「恋染め伝八」(二幕三場)』アナログ総合 1961年01月14日(土) 午後01:00 〜 午後02:08
- ^ NHKクロニクル『第1回NHK杯ラグビー試合実況 「八幡製鉄」対「日本大学」 ~秩父宮ラグビー場から~』アナログ総合 1961年01月29日(日) 午後02:30 〜 午後04:10
- ^ TBSチャンネル『音楽の巨人たち〜TBSのライブラリーから、50年ぶりによみがえる〜 #13 アート・ブレイキー(1961年)“TBS Gスタ”』(2025年6月30日閲覧)
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- ^ a b c 株式会社東京放送『TBS50年史 資料編』株式会社東京放送、2002年1月、333頁。
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- ^ a b 南日本放送 会社概要「MBCのあゆみ」(南日本放送公式サイト)(2025年5月1日閲覧)
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- ^ a b 日本テレビ放送網株式会社社史編纂室 編『大衆とともに25年 沿革史』日本テレビ放送網、1978年8月28日、447頁。NDLJP:11954641/239。
- ^ 日本放送協会 編『NHK年鑑'64』日本放送出版協会、1964年10月15日、127,171頁 。
- ^ 讀賣テレビ社史編集委員会 編『近畿の太陽 : 読売テレビ10年史』讀賣テレビ放送株式会社、1969年3月21日、423頁。NDLJP:12274683/476。
- ^ NHKアーカイブス NHKクロニクル
- ^ 朝日新聞 1961年4月5日 朝刊 P.5 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
参考文献
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出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。
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- 日本放送協会 編『NHK年鑑1962』日本放送出版協会、1961年12月1日 。
- 日本放送協会 編『NHK年鑑1962 No.2』日本放送出版協会、1962年9月1日 。
- 日本放送協会 編『放送五十年史』日本放送出版協会、1977年3月10日 。
- 日本放送協会 編『放送五十年史 資料編』日本放送出版協会、1977年3月10日 。
- NHK 編『放送の五十年 昭和とともに』日本放送出版協会、1977年3月30日 。
- 「NHK大河ドラマ大全」(NHK出版、2011年)
- 「全怪獣怪人大百科」(ケイブンシャ、〜1985年)
- NHKは何を伝えてきたか-NHKテレビ番組の50年
- NHKアーカイブスカタログ―テレビ番組放送記録+番組小史 1953〜2008
- テレビドラマデータベース
など
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