1961年のテレビ_(日本)とは? わかりやすく解説

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1961年のテレビ (日本)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/03 04:22 UTC 版)

1961年のテレビ(1961ねんのテレビ)では、1961年昭和36年)の日本におけるテレビジョン放送全般の動向についてまとめる。

主なできごと

8月1日東京放送略称TBS」のロゴマークを筆記体 に改める(1991年9月まで使用)。


前年、ラジオ東京が東京放送(TBS)に社名を変更したのを受け、この年、地方局11社が同様の社名変更を実施。

何れも、「ラジオ〇〇」を「〇〇放送」に変更。但し、秋田県の「ラジオ東北」については、「秋田放送」に社名を変更した。(「#商号変更」の項を参照)


NHK教育テレビが、広島・富山・高知・青森の各局で開局、放送を開始。


毎日放送が千里丘陵に放送機能移転、千里丘放送センターが稼働を開始。

1990年9月に大阪市北区茶屋町の社屋に移転するまで、放送センターの役割を果たした。


テレビ番組


民放関係

テレビCMの急増により、広告収入総額が2000億円を突破。


番組関係のできごと

1月
2月
  • 5日 - TBS系、『さくらサンデースコープ』にて、TBSが招聘し同年元日に初来日した米のジャズ・ドラマー、アート・ブレイキーと彼の率いるジャズメッセンジャーズ[注 2]が、自社のGスタジオにて収録した『アート・ブレイキー・ショー』を放送。[9][10]
  • 14日 - フジテレビで視聴者参加型の歌謡番組キンカン素人民謡名人戦』が放送開始(金冠堂一社提供)。1993年5月29日まで32年4ヶ月続く長寿番組となる。なお当初は、前述の『タワーバラエティ』の火曜日版の放送だった。
3月
  • 4日 - TBS、映画番組『週末名画劇場』放送開始。毎週土曜の23時15分から1時間25分間の放送で、テレビ深夜放送の初めとなる。[1]
  • 21日 - NHK総合、東京という大都市を様々な形でレポート中継する番組『大東京拝見 ―空から,陸から,海から―』放送。ヘリコプター(ヘリ専用カメラ初使用)・海上・陸上(4か所)から多元中継を行う。[1][11]
  • 28日 - NHK総合、1月に米大統領に就任したばかりのジョン・F・ケネディ大統領(当時)に、NHKが単独会見をした特別番組『ケネディ米大統領と会見』放送。[1][12]
4月
5月
  • 1日 - フジテレビ、初の国産テレビアニメによる平日の1分間番組『インスタント・ヒストリー』放送開始( - 1962年2月21日。おとぎプロダクション制作)。[1]
  • 3日 - NHK総合、内閣総理大臣で自由民主党総裁の池田勇人日本社会党委員長の河上丈太郎、民主社会党(民社党の前身)委員長の西尾末広の3党首によるテレビ座談会を、特別番組『三党首座談会』として放送。[1][14]
  • 7日 - TBS系、TBS創立10周年記念として、初来日中の米のジャズ・カルテット、モダン・ジャズ・カルテットを自社のCスタジオに招いた記念番組『モダン・ジャズ・カルテット・コンサート』放送。[15][10]
  • 14日 - TBS系、初来日中の米のジャズ・ヴォーカリスト兼ピアニストであるナット・キング・コールを自社のCスタジオに招いて収録した特別番組『ナット・キング・コール・ショー』放送。番組内では、「モナ・リサ」、「スターダスト」、「トゥー・ヤング」など、彼の歌として広く知られたナンバーや、「枯葉」では日本語を交えて歌うシーンもあったり、ピアノの生演奏も披露した。[16]
  • 16日
6月
7月
  • 11日 - NHK総合、北海道根室ノサップ岬沖で、ソ連監視船にだ捕される日本漁船の模様をニュース放送。[1]
  • 月内 - 九州・北海道の各民放局が、先月のキー局に続き、小児マヒ関連の番組を放送する。[1]
8月
9月
  • 1121日 - NHK総合、この期間に「総合キャンペーン - としよりの幸福のために」を実施。ラジオ第1と共に、関連特別番組を編成。[1]
  • 18日 - NHK総合、NHKが招聘し前日来日した、小児マヒ生ワクチンの開発者アルバート・セービンの東京・産経ホールでの講演会『小児マヒ絶滅へのあゆみ』を、ラジオ第2放送と同時に中継[23]。彼は来日中、全国4か所で講演した。[1]
  • 25日 - この日から、TBS『お好み映画館』、フジテレビ『奥さま映画劇場』( - 1965年4月25日)と、日曜を除く朝の時間帯に2本の邦画放送番組が開始。[1]
  • 28日 - NHK、この日から総合・教育両テレビにて、「NHKイタリア歌劇団 第3次公演」の模様を、東京文化会館から随時放送[1][24]。この日は、ジョルダーノ作曲 歌劇「アンドレア・シェニエ」が放送された[25]
10月
11月
  • 2日
    • NHK総合、『日米貿易経済合同委員会開会式』を、箱根会議場から中継。[1][27]
    • 日本テレビ系、第16回芸術祭参加作品の単発カラードラマ『荒野』放送[28]。収録当時、403㎡もあるカラーテレビスタジオ内に、トラック6杯の土を運び込み、畑と流れを作り風雨と洪水まで出すという手間をかけ、カラーVTR収録にて制作された[29][注 6]
  • 5日 - TBS系・朝日放送制作で、第16回芸術祭参加作品の単発ドラマ「ナショナル日曜観劇会釜ヶ崎』」を放送。前述の『オロロンの島』と共に、第16回芸術祭賞を受賞。[1][26]
  • 12日 - 関西テレビ・フジテレビ系、米第7艦隊の演習を取材した、開局3周年記念のドキュメンタリー特別番組『米第7艦隊』放送(フジテレビは遅れネットの23日放送)。[1][30]
  • 13日 - NHK総合、池田勇人首相(当時)を迎え、対談による特別番組『総理と語る』放送[31]。これを機に、総理対談の番組が定期化、翌年からはNHKと民放が隔月交代で実施。[1]
  • 16日 - 日本テレビ・フジテレビ・NET、3社共同制作番組『憲法論議の焦点』放送。[1]
12月

その他テレビに関する話題

毎日放送、千里丘陵に放送機能移転(9月1日。写真は当時の千里丘放送センター
当時のTBS社屋(赤坂メディアビル
  • 10月12日 - TBSが赤坂のテレビスタジオ隣に、本館の本社社屋が完成。ラジオスタジオおよび本社機構が移転する。更に第3次テレビ増設工事も同時に完成。これに伴い、テレビのGスタも完成する。[38]
  • 10月28日 - ラジオ青森が青森放送に商号を変更(略称はRABのまま)。[注 8][43]
  • 12月1日 - TBSが社名呼称をTBSに統一(公用文等を除き、原則「東京放送」を使用しない)[38]

商号変更

開局・放送開始

テレビ番組

テレビドラマ

NHK
日本テレビ
TBS
フジテレビ
NETテレビ

子供向けドラマ

NHK
日本テレビ
TBS
フジテレビ
NETテレビ

特撮番組

バラエティ番組

クイズ番組

音楽番組

報道・情報番組

教養・ドキュメンタリー番組

体操(エクササイズ)番組

既存番組のカラー化

脚注

注釈

  1. ^ 大阪は、未だテレビのカラー放送の同時ネット回線の整備がされていなかったので、モノクロ放送だった。同整備化されたのは、東京→大阪の下りでは翌年の6月10日のことで、それもNHK総合と日本テレビ発のみだった。
  2. ^ この時のブレイキー以外のメンバーは、ウェイン・ショーターリー・モーガンボビー・ティモンズ、ジミー・メリットだった。
  3. ^ 翌年度の第2作『あしたの風』より週6回(月~土曜)放送、8時15分開始となり、再放送も12時45分からに変更(2021年現在も継続中)、15分間の放送となる。2010年の第80作『ゲゲゲの女房』より8時開始に(2021年現在も継続中)、そして2020年の第102作『エール』より週5回放送となり、2025年現在も継続。
  4. ^ なお4年後の1976年10月8日には、同局の土曜深夜でピンク・レディー三ツ矢歌子藤村俊二車だん吉をレギュラーにした「第2期」が半年放送された。
  5. ^ 以降、『Oh!診』→『からだ元気科』とタイトルを変えながら2006年3月31日まで続く長寿シリーズとなる。
  6. ^ 同局のカラー最初期に於いてカラービデオテープで保存されている数少ない番組アーカイブの1つで、1978年10月5日放送『力道山からピンク・レディーまで テレビ25年総集編』の中でも僅かだが一部分が放送。その際に、番組の司会をしている福留功男(当時日本テレビアナウンサー)が、その当時のドラマを収録したスタジオにて、その際の説明をしている。
  7. ^ a b NHKのホームページ「放送史年表 -詳細版- 1961年[1]」では、定時株主総会での変更の承認日の日付(2月25日)となっており、新潟放送の社史本「新潟放送40年のあゆみ」(1992年 新潟放送刊行)の本文75ページ及び年表の535ページの記述では3月1日となっている[34]が、ここでは新潟日報1961年2月26日朝刊に変更に関しての記事及び広告が明確に出ている(出典を参照)ことから、2月26日としている。この日の新潟日報の朝刊8ページのラジオ・テレビ欄の放送局名も、前日のラジオ新潟から新潟放送に変更されている(新潟日報マイクロフィルム版で閲覧)。
  8. ^ a b NHKのホームページ「放送史年表 -詳細版- 1961年[1]」では変更の日付が10月29日となっているが、ここでは「青森放送二十五年史」(1980年 青森放送刊行)の記述(10月28日)によっている(出典を参照)。
  9. ^ a b この回の同賞のテレビドラマ部門は、「釜ヶ崎」と「オロロンの島」の2作品が同時受賞した。
  10. ^ キー局である日本テレビでは、1962年にネット開始。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh bi bj bk bl bm bn bo bp bq br bs bt bu bv 「放送史年表 -詳細版- 1961年」(NHK放送文化研究所)(2025年5月1日閲覧)
  2. ^ NHK放送文化研究所 メディア研究部 東山一郎『放送研究と調査 2019年3月 『放送史料探訪「テレビ小説『伊豆の踊子』関連史料 ~朝ドラのパイロット版から見えてくるもの~」』NHK出版、2019年3月、82~3頁https://www.nhk.or.jp/bunken/d/_data/research/history/BUNA0000010690030008/files/20190301_1.pdf 
  3. ^ NHKクロニクル『連続テレビ小説 「伊豆の踊子」(1)』アナログ総合 1961年01月01日(日) 午後10:15 〜 午後10:40
  4. ^ NHKクロニクル『連続テレビ小説 「伊豆の踊子」(2)』アナログ総合 1961年01月02日(日) 午後10:15 〜 午後10:40
  5. ^ NHKクロニクル『連続テレビ小説 「伊豆の踊子」(3)』アナログ総合 1961年01月03日(日) 午後10:15 〜 午後10:40
  6. ^ a b c 日本テレビ放送網(株)『大衆とともに25年. 沿革史』(1978.08) 33ページ (渋沢社史データベース)(2024年4月7日閲覧)
  7. ^ NHKクロニクル『劇場中継(東京 カラー)~浅草常盤座から~ 「恋染め伝八」(二幕三場)』アナログ総合 1961年01月14日(土) 午後01:00 〜 午後02:08
  8. ^ NHKクロニクル『第1回NHK杯ラグビー試合実況 「八幡製鉄」対「日本大学」 ~秩父宮ラグビー場から~』アナログ総合 1961年01月29日(日) 午後02:30 〜 午後04:10
  9. ^ TBSチャンネル『音楽の巨人たち〜TBSのライブラリーから、50年ぶりによみがえる〜 #13 アート・ブレイキー(1961年)“TBS Gスタ”』(2025年6月30日閲覧)
  10. ^ a b 「音楽の巨人たち」(アメブロ 新潟スターリング氏のブログ「ブログやめようぜ」2019年11月2日付)(2025年6月30日閲覧)
  11. ^ NHKクロニクル『大東京拝見―空から,陸から,海から― ~東京上空(ヘリコプター),西銀座ひばりケ丘団地 上野駅前,東京港ほか(一部スタジオ)から~』アナログ総合 1961年03月21日(火) 午後01:00 〜 午後02:00
  12. ^ NHKクロニクル『ケネディ米大統領と会見』アナログ総合 1961年03月28日(火) 午後09:30 〜 午後10:00
  13. ^ a b 朝日放送社史編修室『朝日放送の50年 Ⅲ 資料集』朝日放送株式会社、2000年3月31日、288頁。 
  14. ^ NHKクロニクル『特別番組「三党首座談会」』アナログ総合 1961年05月03日(水) 午後07:15 〜 午後08:15
  15. ^ TBSチャンネル『音楽の巨人たち〜TBSのライブラリーから、50年ぶりによみがえる〜 #9 MJQ(モダンジャズ・カルテット)コンサート(1961年)“TBS Cスタ”』(2025年6月30日閲覧)
  16. ^ TBSチャンネル『音楽の巨人たち〜TBSのライブラリーから、50年ぶりによみがえる〜 #5 ナット・キング・コール(1961年)“TBS Cスタ”』(2025年6月30日閲覧)
  17. ^ NHKクロニクル『特別番組「韓国のクーデター」』アナログ総合 1961年05月16日(火) 午後10:30 〜 午後11:05
  18. ^ NHKクロニクル『東京六大学野球春季リーグ戦実況 早稲田大学 対 慶応義塾大学』アナログ総合 1961年06月03日(土) 午後01:00 〜 午後04:00
  19. ^ NHKクロニクル 番組検索「小児マヒ情報」
  20. ^ NHKクロニクル「1961年8月8日 総合 番組表」
  21. ^ 東北放送 編『東北放送二十年史』東北放送株式会社、1972年5月1日、220頁。NDLJP:12277607/224 
  22. ^ 朝日放送社史編修室『朝日放送の50年 Ⅰ 本史』朝日放送株式会社、2000年3月31日、130頁。 
  23. ^ NHKクロニクル『セービン博士特別講演から 「小児マヒ絶滅へのあゆみ」 ~東京 産経ホールから中継~』アナログ総合 1961年09月18日(月) 午後02:00 〜 午後03:00
  24. ^ NHKクロニクル
  25. ^ NHKクロニクル『イタリア歌劇特別公演 「アンドレア・シェニエ」ジョルダーノ作曲 ~東京文化会館で収録~』アナログ総合 1961年09月28日(木) 午後07:15 〜 午後10:00
  26. ^ a b 昭和31年度(第11回)〜昭和40年度(第20回)芸術祭賞一覧” (PDF). 文化庁. p. 6. 2025年6月24日閲覧。
  27. ^ NHKクロニクル『日米貿易経済合同委員会開会式』アナログ総合 1961年11月02日(木) 午前08:55 〜 午前09:30
  28. ^ a b 読売新聞 1961年11月2日 朝刊 P.5 テレビ欄 番組表 及び 番組紹介記事「『荒野』 北海道にクワをふるう 不自由な身の夫妻」(読売新聞「ヨミダス」にて閲覧)
  29. ^ 読売新聞 1961年11月14日 朝刊 P.6 テレビ欄「カラー・テレビ評」(読売新聞「ヨミダス」にて閲覧)
  30. ^ 関西テレビ放送株式会社総務局社史編集室 編 編『関西テレビ放送10年史』関西テレビ放送株式会社、1968年12月1日、618頁。NDLJP:12274682/669 
  31. ^ NHKクロニクル『特別番組「総理と語る」 内閣総理大臣 池田勇人』アナログ総合 1961年11月13日(月) 午後08:00 〜 午後09:00
  32. ^ 新潟放送社史編纂委員会『新潟放送十五年のあゆみ』新潟放送、1967年、613頁。NDLJP:2518084/702 
  33. ^ 新潟日報 1961年2月26日朝刊 P.7 記事「きょうから「新潟放送」と改称 ラジオ新潟」(新潟日報マイクロフィルム版で閲覧)
  34. ^ 新潟放送『新潟放送40年のあゆみ』新潟放送、1992年10月15日、75, 535頁。 
  35. ^ a b 新潟日報 1961年2月26日朝刊 P.4 下部広告「創業10周年を迎えるラジオ新潟の社名がきょうから変わります 株式会社 新潟放送 BSN(Broadcasting System of Niigata)」 及び同P.7 記事「きょうから「新潟放送」と改称 ラジオ新潟」(新潟日報マイクロフィルム版で閲覧)
  36. ^ a b 秋田放送 会社概要(2025年5月1日閲覧)
  37. ^ a b 熊本放送『熊本放送20年史』株式会社熊本放送、1973年10月1日、263頁。NDLJP:12274611/159 
  38. ^ a b c 株式会社東京放送『TBS50年史 資料編』株式会社東京放送、2002年1月、333頁。 
  39. ^ 株式会社毎日放送 会社紹介 沿革(毎日放送公式サイト)(2025年5月1日閲覧)
  40. ^ a b 山梨放送10年史編集委員会 編『創業より山梨文化会館まで』株式会社山梨放送、1967年9月2日、117頁。NDLJP:2518083/129 
  41. ^ a b 南日本放送 会社概要「MBCのあゆみ」(南日本放送公式サイト)(2025年5月1日閲覧)
  42. ^ a b 南日本放送『南日本放送十年史』株式会社南日本放送、1963年10月10日、295頁。NDLJP:2503381/301 
  43. ^ a b 青森放送社史編纂委員会『青森放送二十五年史』青森放送株式会社、1980年9月30日、446頁。NDLJP:12275565/245 
  44. ^ a b 日本テレビ放送網株式会社社史編纂室 編『大衆とともに25年 沿革史』日本テレビ放送網、1978年8月28日、447頁。NDLJP:11954641/239 
  45. ^ 日本放送協会 編『NHK年鑑'64日本放送出版協会、1964年10月15日、127,171頁https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2474361 
  46. ^ 讀賣テレビ社史編集委員会 編『近畿の太陽 : 読売テレビ10年史』讀賣テレビ放送株式会社、1969年3月21日、423頁。NDLJP:12274683/476 
  47. ^ NHKアーカイブス NHKクロニクル
  48. ^ 朝日新聞 1961年4月5日 朝刊 P.5 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)

参考文献

など


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