ボビー・ティモンズとは? わかりやすく解説

ボビー・ティモンズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 15:35 UTC 版)

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ボビー・ティモンズ
Bobby Timmons
出生名 Robert Henry Timmons
生誕 (1935-12-19) 1935年12月19日
出身地 アメリカ合衆国 ペンシルベニア州フィラデルフィア
死没 1974年3月1日(1974-03-01)(38歳)
ジャンル ソウル・ジャズ
ハード・バップ
メインストリーム・ジャズ
職業 ピアニスト作曲家
担当楽器 ピアノ
レーベル ブルーノート、United Artists、プレスティッジ、New jazz、リヴァーサイドジャズランドインパルスマイルストーンフィリップスフォンタナRCAヴァーヴパシフィック・ジャズ、Roulette、Vee Jay、Baybridge、Bandstand、Chiaroscuro
共同作業者 アート・ブレイキー
ジャズ・メッセンジャーズ英語版

ボビー・ティモンズBobby Timmons)ことロバート・ヘンリー・ティモンズ(Robert Henry Timmons、1935年12月19日 フィラデルフィア1974年3月1日 ニューヨーク・シティ)は、アメリカ合衆国ジャズピアニスト作曲家[1]

略歴

牧師の息子として生まれる。

フィラデルフィア音楽院に進学し、最終的にはトレニアーズのもとでリズム・アンド・ブルースを演奏する。

1956年ケニー・ドーハムが率いるジャズ・プロフェッツのメンバーとなり、同年5月のライブで初めて録音を経験した。その後はチェット・ベイカーソニー・スティットメイナード・ファーガソンと共演している。世界的に名を揚げたのは、アート・ブレイキージャズ・メッセンジャーズ英語版のメンバーとしてであった(在籍期間は1958年-1959年および1961年)。1959年から1960年までキャノンボール・アダレイとも共演するが、1960年に再びブレーキーのもとに復帰してアダレイを落胆させた。J・J・ジョンソンとも共演して、自身のトリオを率いることができるようになった。ほかにもハンク・モブレーリー・モーガンドナルド・バードケニー・バレルアート・ファーマーペッパー・アダムスの録音において伴奏者に迎えられている。

1974年に肝硬変のため38歳で夭折した。

奏法の特色と後世への影響

メリハリの効いた強い打鍵とブロック・コード奏法が特色であり、特にファンキー色の強い曲において持ち味を発揮した。

ティモンズのピアノ奏法は、レッド・ガーランドに受け継がれた。ティモンズはソウル・ジャズのピアニストに位置付けられるが、フレージングにおいては次第にブルースゴスペル寄りになっていき、レス・マッキャンラムゼイ・ルイスに影響を与えた。

作曲家としては、ブレイキーに提供した「モーニン(Moanin')」や「ダット・デア(Dat Dere)」、キャノンボール・アダレイに提供した「ジス・ヒア(This Here)」といったヒット曲を次々と世に送り出している。これらの楽曲はいずれも、ゴスペルに如実に影響されたソウル・ジャズ様式の典型である。

出典

参考文献

  • Swing Journal, 6, 1997. スイングジャーナル社、1997年。

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