1965年のル・マン24時間レースとは? わかりやすく解説

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1965年のル・マン24時間レース

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/29 23:43 UTC 版)

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1965年のル・マン24時間レース
前年: 1964 翌年: 1966
1965年のコース

1965年のル・マン24時間レース24 Heures du Mans 1965 )は、33回目[1]ル・マン24時間レースであり、1965年6月19日から6月20日にかけてフランスのサルト・サーキットで行われた。

概要

フォードは引き続きフェラーリを打ち負かそうと、フォード・GT40が6台、ACコブラが5台と計11台を投入したように、金にあかせた物量作戦に出た[2]

ガスタービンエンジンを搭載したローバーBRM、31号車がグラハム・ヒル/ジャッキー・スチュワート組のドライバーで出場した[3]

出走は51台[4][1]

従前の耐久レースの常識は「ゴールまで走り切るのが第一で、自分のペースを守って走ることが鉄則」であったが、このレースの前半は記録的速さになり、以後「相手に負けないペースで走り続け、生き残ったマシンが勝つ」という時代に入った[2]。トップ争いを続けたフォード・GT40とワークスのフェラーリ・330P2は次々リタイヤ[2]した。

完走は14台[1][4]

残ったのは24時間で4677.110km[3][1][4]を平均速度194.880km/h[2][1]で走ったN.A.R.T[3]チーム、マステン・グレゴリー(Masten Gregory )/ヨッヘン・リント[1][4]フェラーリ・250LM[1]、21号車であった。フェラーリは6連勝[1][4]、9勝目[1][4]

ローバー・BRMは10位[3]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i 『ルマン 伝統と日本チームの戦い』p.223「資料1」。
  2. ^ a b c d 『ルマン 伝統と日本チームの戦い』pp.27-154「ルマン24時間レースの歴史」。
  3. ^ a b c d 『ル・マンの英国車』pp.124-127「1965」。
  4. ^ a b c d e f 『ル・マン 偉大なる草レースの挑戦者たち』pp.298-303。

参考文献




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