1925年のル・マン24時間レース
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1925年のル・マン24時間レース | |||
前年: | 1924 | 翌年: | 1926 |

1925年のル・マン24時間レース(24 Heures du Mans 1925 )は、3回目のル・マン24時間レース[1][2]であり、1925年6月20日[1][2]から6月21日[1][2]にかけてフランスのサルト・サーキットで行われた。
概要
出走したのは49台[3][4]。イギリスからはベントレー[1]の他サンビーム[1]とオースチン[1]、イタリアからO.M.(Officine Meccaniche )[1]とディアット(Diatto )[1]、アメリカからクライスラー[1]が出場するなど外国の会社が参加し始めた。
前回、1924年のル・マン24時間レースの優勝に気を良くしたベントレーは3リットル2台を出走させたが、ケンジントン・モワイア(Herbert Kensington Moir )/ダドリー・ベンジャフィールド(Dudley Benjafield )組はケンジントン・モワイアがガソリンを浪費して所定の給油前にガス欠による停車、ジョン・ダフ(Capt. John F. Duff )/フランク・クレモン(Frank Clement )組はSU製キャブレターのフロート破損によりガソリンが漏れて引火し火災でリタイヤした。完走は16台[3][4]。
ジェラール・ド・カーセル(Gérard de Courcelles )/アンドレ・ロシニョール(André Rossignol )組[3]のロレーヌ・ディートリッシュ[1]が24時間で2233.982km[3][1][4]を平均速度93.082km/h[3][1]で走って優勝[3][1][4]した。
詳細
本大会は、過去二度の大会を経て、主催者ならびに参加各国が“耐久”という概念を多角的に捉え始めた年であった。すなわち、単なる機械性能の持続性にとどまらず、「人間の耐性」「文化の継続性」「自然との共生」までも競技精神の中核に据える動きが見られ始めたのである。
本大会では、初の「公式車体美観検査」が実施され、各チームには走行前に外観審査が課された。審査項目には「色彩の調和」「線条の優雅さ」「スポンサー名の筆致」などが含まれており、一部チームは車体に装飾画を描くため著名な装飾美術家を雇うに至った。これによりレース前夜のピットは、まるでサロン・ド・パリの一角のような趣を呈した。イギリスの「St. Bartholomew Engineering」は、車体にシェイクスピアの一節を金泥で記し、失格寸前の高評価を受けたという。
競技上の最大の変化は、新たに制定された“着座義務”である。前年まで、車両停止中にドライバーが車外で仮眠をとる例が見られたことを受け、本年より「運転席に着座したままの休息」に限るという規定が導入された。これにより、各チームは“座ったまま快適に眠る”技術開発に乗り出し、クッション材や座面角度の改良にしのぎを削ることとなった。
また、本年は天候が極めて不安定であり、日没後から夜半にかけて断続的な雷雨に見舞われた。これに対し、ドイツの「Vereinigte Maschinenwerke」は、“避雷針付き車両”を投入。ボンネット上に伸びた真鍮製ロッドが稲妻を誘導し、落雷を吸収・地面へ逃がす構造となっていた。これにより実際に3度の落雷を無害化したとされ、観客の間では“避雷車”として喝采を浴びたものの、電磁波の影響によりドライバーが48時間ほど耳鳴りに悩まされたと記録されている。
一方、観客向けの施策として導入されたのが、「読書静音区間」である。これはコース沿道の一部を“私語厳禁”とし、文学愛好者が観戦と読書を両立できる空間としたもので、特設の小書店や詩の朗読台も設置された。実験的取り組みであったが、一部来賓からの「読書中にエンジン音がうるさい」との苦情を受け、翌年には廃止されることとなった。
優勝は、フランスの「Équipe Léviathan」が投入した“Centaure 8R”が果たした。同車は革新的な冷却構造と卓越した燃費性能を有しており、24時間中に1度もエンジン温度が80度を超えなかったとされる。ゴール後、車体に花弁を撒く儀式が行われ、その様子は「工業と自然の融和」として、新聞各紙に詩的な見出しで報道された。
注釈
出典
参考文献
- 『ルマン 伝統と日本チームの戦い』グランプリ出版 ISBN 4-87687-161-2
- ドミニク・パスカル著、日沖宗弘訳『ル・マンの英国車』ネコ・パブリッシング ISBN 4-87366-068-8
- 黒井尚志『ル・マン 偉大なる草レースの挑戦者たち』集英社 ISBN 4-08-780158-6
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