フォードの参戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/23 01:27 UTC 版)
1960年代初頭にフォード・モーターは本格的なレース参戦をもくろみ、1964年のル・マン24時間レースにフォード・GT40を投入するが全車リタイアという散々な結果に終わる。そこでフォード側がシェルビー・アメリカンに計画の参加を依頼したことからマイルズもGT40のドライバーとして活動することとなる。 1965年のル・マン24時間レースにマイルズはブルース・マクラーレンと組んでチーム、シェルビー・アメリカンとしてGT40を駆って参戦するもギアボックスの不調でリタイアを喫する。 翌1966年に改良型であるGT40Mk2が投入されるとマイルズは参戦したデイトナ24時間レース、セブリング12時間レースで立て続けに優勝を果たす快挙を成す。 そして同年のル・マン24時間レースにデニス・ハルムと組んで参戦。レース終盤にトップに躍り出てデイトナ、セブリング、ル・マンの三冠という快挙を成そうとするも、試合を観戦していたフォードの幹部が宣伝目的で2位を走っていた同チームのブルース・マクラーレン、クリス・エイモン組のGT40Mk2と同じくGT40Mk2の供給を受け3位を走っていたチーム、ホールマン・ムーディの3台を同時にフィニッシュラインを超えさせるように指示。マイルズは指示に従って減速し、目論み通りにほぼ3台が同時にゴールインを果たすがここでレース主催がマクラーレン、エイモン組の車両がマイルズ、ハルム組の車両より20ヤード後方よりスタートしていたことを加味してマクラーレン、エイモン組が1位、マイルズ、ハルム組を2位とする裁定を下した(ホールマン・ムーディの車両は12周遅れだったため順位は変わらず)結果、マイルズは3冠を逃がすこととなった。
※この「フォードの参戦」の解説は、「ケン・マイルズ」の解説の一部です。
「フォードの参戦」を含む「ケン・マイルズ」の記事については、「ケン・マイルズ」の概要を参照ください。
- フォードの参戦のページへのリンク