どんぐり音楽会とは? わかりやすく解説

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どんぐり音楽会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/17 06:41 UTC 版)

どんぐり音楽会
ジャンル 音楽番組
出演者 柳有
砂川啓介
石川進
マイク眞木
製作
制作 中部日本放送
放送
映像形式 モノクロ放送(1969年12月28日まで[1]) → カラー放送(1970年1月4日から[2]
放送国・地域 日本
放送期間 1966年4月17日 - 1983年3月27日
放送時間 日曜 9:00 - 9:30
放送分 30分
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どんぐり音楽会』(どんぐりおんがくかい)は、1966年4月17日から1983年3月27日まで中部日本放送(CBC)で放送された視聴者参加型音楽番組である。放送時間は毎週日曜 9:00 - 9:30(JST)。当初はモノクロ放送だったが、1970年1月4日からカラー放送となった[2]

概要

毎回東海地区在住の小学生たちが参加していたローカル番組[3]で、『天才クイズ』とともに長年にわたって親しまれた。

基本的にはのど自慢番組であり、『天才クイズ』と同様に主にCBCホールで、完全パッケージの公開収録を行っていた。このため、会場では客席向けに8:58分くらいからの本放送用映像(当然9時までの分はスポットCM)が流れていた。毎回1組の歌手がゲストとして登場し(デビューから数年以内のアイドルが多かった)、レギュラー審査員数人とともに審査員を務めた。採点方法は1人ずつ歌った後、ピアノによるジングルと共にドングリのイラスト(眉毛がジングルと同期して動いていた)の中に点数をボード(両脇にスポンサー名が書かれていた)で表示するというものだった。最高得点は30点、最低点は27点。後に最高得点は50点に変更された。なお、最高得点が出た場合、天井から大量の紙吹雪が降り注いだ。

出場者の中には野口五郎葉山レイコ五島良子石川ひとみ三ツ矢雄二らもいた。

マイク真木が司会していた頃は、その週の最高得点者に「どんぐり賞」(複数いた場合は合議制で1名を選んだ)、またそれに準ずる好成績を上げた参加者にも「マイク賞」として、楽器が副賞として贈られていた。

なお、1977年からTBS系列局の多くで日曜9:00枠で放送されるようになった『兼高かおる世界の旅』は、CBCテレビではこの番組があったことから同時ネットされず、30分遅れの日曜9:30枠など、別の枠で放送されていた。

司会者

以下の彼らは女性のサブ司会者とのコンビで番組を進行していた。

脚注

  1. ^ 朝日新聞 1969年12月28日 名古屋版 朝刊P.9 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  2. ^ a b 朝日新聞 1970年1月4日 名古屋版 朝刊P.9 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  3. ^ 日本民間放送連盟(編)「制作ノートから 楽しい音楽会めざして どんぐり音楽会 / 佐野龍喜智」『月刊民放』第11巻第1号、日本民間放送連盟、1981年1月1日、34 - 36頁、NDLJP:3470941/18 
中部日本放送 日曜9:00枠
前番組 番組名 次番組
不詳
どんぐり音楽会
(1966年4月 - 1983年3月)



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