三菱銀行人質事件とは? わかりやすく解説

三菱銀行人質事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/26 13:59 UTC 版)

三菱銀行人質事件(みつびしぎんこうひとじちじけん)は、1979年(昭和54年)1月26日金曜日)に三菱銀行北畠支店に猟銃を持った男が押し入り、客と行員30人以上を人質にした銀行強盗および人質・猟奇殺人事件である。


注釈

  1. ^ 1996年東京銀行との合併で東京三菱銀行へ商号変更。2006年に東京三菱銀行とUFJ銀行との合併で三菱東京UFJ銀行に商号変更した後、2018年に三菱UFJ銀行に商号変更。
  2. ^ 耳を切り取った行員の行為自体は傷害罪の構成要件に該当するものであるが、事件の状況と年長行員が被害届を出さなかったことを考慮し、立件はされなかった。
  3. ^ 『戦慄 昭和・平成裏面史の光芒』(著者麻生幾、新潮社、1999年)によれば、大阪府警察本部の零中隊は事件当時、専用のアサルトスーツ(突入服)を装備していたが、部隊の存在を秘匿するため突入服を着用せず、代わりにトレーニングウェアを着用したと記載されている。
  4. ^ 『戦慄 昭和・平成裏面史の光芒』(著者麻生幾、新潮社、1999年)によれば、この時、零中隊が使用した拳銃はスミス&ウエッソン(S&W)社製の45口径拳銃だったと記載されている。 事件当時の警察が使用していた拳銃で該当するものは、S&W社の「M1917」回転式拳銃である。この銃はニューナンブM60が配備される以前に、米軍から支給されたものである。
  5. ^ 本事件発生当時、読売テレビを除く在阪3局は、すでにローカルワイドニュースを平日に編成していた(毎日放送『MBSナウ』、朝日放送『たいむ6』、関西テレビ『アタック630』)。
  6. ^ 本来は兵庫県が放送対象地域であるが、スピルオーバーにより大阪府も視聴可能地域となっている(当時、テレビ大阪は未開局)。
  7. ^ 前年暮れの1978年12月28日に発生。

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