通報から籠城まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 08:11 UTC 版)
「三菱銀行人質事件」の記事における「通報から籠城まで」の解説
梅川の予想より遥かに早く楠本正己警部補(52歳)が銀行に駆けつける。楠本警部補は犯人に銃を捨てるよう要求し天井に向けて威嚇発砲をしたが、梅川は楠本警部補の顔と胸を撃って射殺した(警視に二階級特進)。その前後に店から脱出した行員が近隣の喫茶店に飛び込み110番通報を依頼、行内の別の行員も警察直通緊急通報ボタンを押して通報。直後にパトカーで駆けつけた阿倍野警察署の前畑和明巡査(29歳)と巡査長にも梅川は発砲し、前畑和明巡査を射殺した(二階級特進で警部補)。巡査長は防弾チョッキを着ていたため無事だった(当時は予算の関係でパトカーのトランクには防弾チョッキが一着しか積まれていなかった)。 午後2時35分に大阪府警本部に銀行の異常事態が通知され、3分後には大阪府内の全署に緊急配備指令発令。緊急配備から2分後には捜査員や機動隊などおよそ320名が銀行を包囲し、銀行付近500メートルの道路を閉鎖。すると梅川は行員にシャッターを下ろすよう命じ、銀行の出入口を閉鎖したが、その際現場に到着していた警察官がとっさに近くにあった看板や自転車等をシャッターの下に置いたため、シャッターは40cmの隙間を残して完全には下りなかった。 シャッターが閉じられた店内には客12人と行員31人の合計43人が梅川に人質に取られたが、うち親子連れと妊婦の客4人はすぐに解放されたため、人質の人数は39人になった。また人質とは別に梅川に気付かれずに貸し金庫室などに隠れた客5人が店内に残された。店内の状況は凄惨で、梅川によって殺害された者の遺体が人質たちのそばにあったままだった。
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