大竹市強盗殺人事件とは? わかりやすく解説

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大竹市強盗殺人事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/14 07:56 UTC 版)

大竹市強盗殺人事件(おおたけしごうとうさつじんじけん)は、1963年昭和38年)12月16日日本広島県大竹市で発生した強盗殺人事件である。

この事件の犯人である梅川昭美(当時15歳)はこの事件から16年後の1979年(昭和54年)1月26日三菱銀行人質事件を起こし[1]大阪府警察特殊部隊に射殺された。

概要

1963年12月16日、広島県大竹市大竹町栄町の土建業者A宅で、Aの弟である男性Bの妻C(当時23歳)が殺害される[1]。Cは事件当時、義兄であるA宅で留守番していたところ、犯人に切り出しナイフで胸などを刺されて殺害され、現金19000円や預金通帳などを奪われた[1]広島県警察大竹警察署に、同署や廿日市警察署山口県警察岩国警察署との合同特別捜査本部を設置して捜査したところ[2]、同年12月23日、強盗殺人の容疑で当時15歳だった梅川を逮捕した[3][1]

1964年(昭和39年)1月17日広島家庭裁判所より中等少年院送致の処分が下される。1964年5月14日、特別少年院新光学院へ移送。1965年(昭和40年)6月7日、特別少年院から仮退院(仮出所)。ただし保護観察1968年(昭和43年)2月29日まで継続。

少年法と少年院の見解

梅川は強盗致死と窃盗の罪状に問われ、広島家庭裁判所に送致された。強盗致死罪の法定刑死刑又は無期懲役であるが、梅川は当時15歳の少年だったため、当時は16歳未満の少年に対する刑事処分ができなかった少年法の規定により、広島家裁(高橋水枝裁判官)は1964年(昭和39年)1月17日付で、梅川を中等少年院に送致する決定を出した[4]。同家裁は同決定で、犯行動機に酌量の余地はなく、また犯行は計画的で、殺人行為は当初から殺意をもってなされたものであり、発生した結果は重大であると指摘した上で、梅川については「犯行後の行動、鑑別所での態度、審判廷での供述態度からみると、少年は寸毫も人間的良心の苛責を受けておらず、罪の意識も皆無に近く、被害者の遺族の心情に思いをいたし、またこの種犯罪の社会的影響を考慮し、かつ近時年少少年による凶悪犯罪が増加の傾向にあることを考えるとき、本少年については、これを刑事処分に付するのが相応と資料されるところ、少年の年齢上にかはかる処分をとり得ないで、主文のとおり中等少年院に送致することとした。少年の上記病質的人格は既に根深く形成されていて、容易に矯正し得ない段階にきていること(鑑別結果)、また少年が今後社会にあれば同様に多種の非行を繰り返し再び犠牲者の出る可能性があると思料されること(当裁判所久保技官の意見)などを併せ考えるとき、本少年の将来については非常に多くの問題が残されているといわねばならない。本少年については、通り一辺の指導によつては、健全な精神発達を遂げさせることは困難であると思料されるが、中等少年院における特に長期にわたる強力な生活指導によつて、人の生命の尊さを知らしめ、同情、あわれみなどの情緒を涵養し、いささかなりともその病質的人格を改善することが出来得ればと心から期待する次第である。」と述べている[5]

この決定により、梅川は少年院送致となり、わずか1年半で退院となった。ただし、収監した少年院は梅川の性格を「このような資質の少年を社会に放任することはきわめて危険であり、積極的に規制する必要がある。この病的な人格はすでに根深く形成されており、矯正は困難であり、些細なことで反社会的行動や犯罪に結びつきやすく、累犯の可能性が極めて高い」と鑑定している。

犯人像

梅川は広島県大竹市小方向村生まれで、父が46歳、母が42歳という高齢で生まれた息子だった。しかもこの数年前に姉が夭折していたため、幼児期は可愛がられたという。しかし8歳のときに両親が離婚し、以後は極貧生活を送った。犯行を起こした1963年4月には広島工業大学附属工業高等学校へ進学したが1学期で退学し、その年の12月に凶行を起こした。出院後の1966年1月に大阪に移るが、1967年に父が死んだときも通夜葬儀に顔を出すことはなかったという。

梅川はその後も非行を続けたといわれ、消費者金融などに多額の借金をしたという。1973年7月30日には上下二連式散弾銃大阪市で購入した。そして1979年の三菱銀行人質事件でその散弾銃を使って凶行に至った。

関連書籍

関連項目

  1. ^ a b c d 読売新聞』1979年1月27日東京夕刊第4版8頁「【大阪】殺人前科の凶暴男 犯人梅川 十五歳で若妻殺し 暗い性格、スタイリスト」「【大阪】なんで猟銃所持許可した! 法に盲点 警察ショック」(読売新聞東京本社
  2. ^ 『中国新聞』1963年12月19日朝刊第14版14頁「【大竹】大竹市の若妻殺し 民間へ協力頼む 合同特捜本部を設置」(中国新聞社)
  3. ^ 中国新聞』1963年12月24日朝刊第14版14頁「【大竹】若妻殺しは十五歳の少年 大竹 金庫ねらい計画 バイトで勝手知る」(中国新聞社
  4. ^ 『家庭裁判月報』第16巻第6号189頁「37 強盗致死、窃盗保護事件(広島家裁 昭和三八年(少)二五四七、二五五七号 昭三九・一・一七決定 抗告無 報告一一号)――アパート借用資金を捻出するため、白昼、人妻に傷害をくまえて加えて金品を強取し、その結果同人をして死に至らしめた一五歳の少年を中等少年院に送致した事例―― 〔少年〕M(昭和二三・三・一生)」
  5. ^ 『家庭裁判月報』第16巻第6号193頁「37 強盗致死、窃盗保護事件(広島家裁 昭和三八年(少)二五四七、二五五七号 昭三九・一・一七決定 抗告無 報告一一号)――アパート借用資金を捻出するため、白昼、人妻に傷害をくまえて加えて金品を強取し、その結果同人をして死に至らしめた一五歳の少年を中等少年院に送致した事例―― 〔少年〕M(昭和二三・三・一生)」



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