1936年のグランプリ・シーズンとは? わかりやすく解説

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1936年のグランプリ・シーズン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/03 08:32 UTC 版)

1936年のAIACRヨーロッパ選手権
ドライバーズチャンピオン
ベルント・ローゼマイヤー
前年: 1935 翌年: 1937
1936年のグランプリシーズン
前年: 1935 翌年: 1937

1936年のグランプリ・シーズン は、AIACRヨーロッパ選手権の第4回大会が開催されたグランプリ・シーズンである。アウトウニオンベルント・ローゼマイヤーがヨーロッパ選手権を制した。ローゼマイヤーは選手権の対象となる4つのグランプリのうち3つに勝利した。

シーズン概要

1936年シーズンに向け、アウトウニオンは520馬力の6リッターV16エンジンを搭載し、更に操縦性を向上させたアウトウニオン・タイプCを開発した[1]。他方、メルセデスは600馬力を発揮するV12エンジンを搭載したW25Kを開発したが、それに伴うエンジン重量の増加と、軽量化のための極端なホイールベースの短縮は操縦性を悪化させた。最終的に、メルセデスはV12エンジンを諦めて従来のL8エンジンの発展型を新車に搭載することとなった[1]スクーデリア・フェラーリは前年にデビューした8気筒のアルファロメオ8C-35英語版と、V12エンジンを搭載する新型アルファロメオ12C-36英語版を併用した。 シーズンが開幕すると、アウトウニオン・タイプCがライバルのマシンを上回る性能を示し、6つのグランプリで勝利したベルント・ローゼマイヤーが1936年のヨーロッパチャンピオンとなった。ローゼマイヤーのチャンピオン獲得は、レーシングドライバーになってから僅か2年で達成されたものだった[2]。前年に圧勝したメルセデスは新車開発の失敗から一転して不振に陥り、モナコグランプリとチュニスグランプリでカラツィオラが挙げた2勝のみに終わった。スクーデリア・フェラーリタツィオ・ヌヴォラーリは性能に劣るマシンで善戦し、ミラノグランプリではヴァルツィの、ハンガリーグランプリではローゼマイヤーのアウトウニオンをオーバーテイクして2グランプリ連続で優勝した[3]

ヨーロッパ選手権グランプリ

Rd 開催日 レース サーキット PP(プラクティス最速) ファステストラップ 優勝者 コンストラクター レポート
1 4月13日 モナコグランプリ モンテカルロ市街地コース ルイ・シロン ハンス・シュトゥック ルドルフ・カラツィオラ メルセデス・ベンツ 詳細
2 7月26日 ドイツグランプリ ニュルブルクリンク 抽選でグリッド決定 ベルント・ローゼマイヤー ベルント・ローゼマイヤー アウトウニオン 詳細
3 8月23日 スイスグランプリ ブレムガルテン・サーキット ルドルフ・カラツィオラ ベルント・ローゼマイヤー ベルント・ローゼマイヤー アウトウニオン 詳細
4 9月13日 イタリアグランプリ モンツァ・サーキット ベルント・ローゼマイヤー ベルント・ローゼマイヤー ベルント・ローゼマイヤー アウトウニオン 詳細


非選手権グランプリ

黄色の背景はグラン・エプルーヴ

ハンガリーグランプリで首位を争うカラツィオラローゼマイヤー
開催日 レース サーキット 優勝者 コンストラクター レポート
2月9日 ラングフォース・レース ラングフォース湖 パーヴィクトル・ウィーデングレン アルファロメオ 詳細
2月17日 ホーケン・レース ホーケン湖 ユージン・ビョルンスタッド アルファロメオ 詳細
2月23日 スウェーデン冬季グランプリ レメン湖 ユージン・ビョルンスタッド アルファロメオ 詳細
3月1日 ポーグランプリ ポー市街地コース フィリップ・エトンスラン マセラティ 詳細
3月8日 ノルウェーグランプリ イェージョン湖 ユージン・ビョルンスタッド アルファロメオ 詳細
5月10日 トリポリグランプリ英語版 メラハ・サーキット アキーレ・ヴァルツィ アウトウニオン 詳細
5月10日 フィンランドグランプリ インタルハ公園 ユージン・ビョルンスタッド アルファロメオ 詳細
5月17日 チュニスグランプリ カルタゴ市街地コース ルドルフ・カラツィオラ メルセデス・ベンツ 詳細
5月31日 グランプリ・ド・フロンティエ シメイ市街地コース エディ・ヘルツベルハー MG 詳細
6月7日 ペーニャ・リン・グランプリ モンジュイック・サーキット タツィオ・ヌヴォラーリ アルファロメオ 詳細
6月7日 リオデジャネイロ グランプリ ガヴェア市街地コース ヴィットリオ・コッポーリ ブガッティ 詳細
6月14日 アイフェルレンネン ニュルブルクリンク ベルント・ローゼマイヤー アウトウニオン 詳細
6月21日 ハンガリーグランプリ ブダペスト市街地コース タツィオ・ヌヴォラーリ アルファロメオ 詳細
6月28日 ミラノグランプリ ミラノ市街地コース タツィオ・ヌヴォラーリ アルファロメオ 詳細
7月12日 サンパウロ グランプリ サンパウロ市街地コース カルロ・マリア・ピンタクーダ アルファロメオ 詳細
7月19日 ドーヴィルグランプリ ドーヴィル市街地コース ジャン=ピエール・ウィミーユ ブガッティ 詳細
7月26日 シルクイート・ド・ヴィラ・レアル ヴィラ・レアル市街地コース ヴァスコ・ド・サメイロ アルファロメオ 詳細
8月2日 コッパ・チアーノ英語版 モンテネーロ・サーキット カルロ・マリア・ピンタクーダ アルファロメオ 詳細
タツィオ・ヌヴォラーリ
8月15日 コッパ・アチェルボ英語版 ペスカーラ・サーキット ベルント・ローゼマイヤー アウトウニオン 詳細
8月29日 JCC 200マイルレース ドニントン・パーク リチャード・シーマン ドラージュ 詳細
9月6日 コッパ・エッダ・チアーノ ルッカ市街地コース マリオ・タディーニ アルファロメオ 詳細
9月21日 モデナグランプリ モデナ市街地コース タツィオ・ヌヴォラーリ アルファロメオ 詳細
10月3日 ドニントングランプリ ドニントンパーク ハンス・ルエシュ アルファロメオ 詳細
リチャード・シーマン
10月17日 マウンテン・チャンピオンシップ ブルックランズ レイモンド・メイズ ERA 詳細
10月18日 ブエノスアイレスグランプリ コスタネーラ・サーキット英語版 カルロス・アルザーニ アルファロメオ 詳細

1936年のドライバーズランキング

順位 ドライバー MON
GER
SUI
ITA
Pts
1 ベルント・ローゼマイヤー Ret 1 1 1 10
2 ハンス・シュトゥック 3 2 3 Ret 15
3 タツィオ・ヌヴォラーリ 4 Ret Ret 2 17
4 アキーレ・ヴァルツィ 2 2 Ret 19
5 レイモン・ソメール 7 9 Ret 21
6 ルドルフ・カラツィオラ 1 Ret Ret 22
7 アントニオ・ブリヴィオ 5 3 23
= カルロ・フェリーチェ・トロッシ Ret 8 7 23
= エルンスト・フォン・デリウス 6 3 23
10 マンフレート・フォン・ブラウヒッチュ Ret 7 Ret 24
= ルドルフ・ハッセ 4 5 24
= ヘルマン・ラング Ret 4 24
= ルネ・ドレフュス Ret Ret 4 24
14 ジャン=ピエール・ウィミーユ 6 Ret Ret 26
= ルイジ・ファジオーリ Ret 5 Ret 26
= ジュゼッペ・ファリーナ Ret Ret Ret 26
17 ピエトロ・ゲルシ 8 Ret 27
18 ウィリアム・グローバー=ウィリアムズ 9 28
= フィリップ・エトンスラン Ret Ret 28
= ルイ・シロン Ret Ret 28
= トーマス・ピット・ チョモリー=タッパー 10 28
= フランセスコ・セヴェーリ Ret 28
= カルロ・マリア・ピンタクーダ 5 28
= ピエトロ・ドゥシオ 6 28
25 クレメンテ・ビョンデッティ Ret Ret 29
26 ウォルター・レンス Ret 30
= アール・ハウ Ret 30
28 エウジェニオ・シエナ Ret 31
= マリオ・タディーニ Ret 31
= リチャード・シーマン Ret 31
= ホアン・ザネリ Ret 31
= ジャック・ド・ラム Ret 31
順位 ドライバー MON
GER
SUI
ITA
Pts
結果 ポイント
金色 勝者 1
銀色 2位 2
銅色 3位 3
レースの75%以上を消化 4
レースの50%以上 75%未満を消化 5
レースの25%以上 50%未満を消化 6
レースの25%未満を消化 7
失格 8
参加せず 8

参考文献

Etzrodt, Hans. “Grand Prix Winners 1895–1949 : Part 3 (1934–1949)”. The Golden Era of Grand Prix Racing. 2007年8月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年8月5日閲覧。

Leif Snellman and Hans Etzrodt. “1936”. The Golden Era of Grand Prix Racing. 2007年8月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年8月5日閲覧。

Galpin, Darren. “1936 Grands Prix”. The GEL Motorsport Information Page. 2007年8月5日閲覧。

脚注

  1. ^ a b Etzrodt, Hans. “1936 GRAND PRIX SEASON”. The Golden Era of Grand Prix Racing. 2016年11月19日閲覧。
  2. ^ ノイバウア, アルフレッド 著、橋本茂春 訳『スピードこそ我が命』荒地出版社、1968年、84頁。 
  3. ^ Etzrodt, Hans. “1936 GRAND PRIX SEASON 3”. The Golden Era of Grand Prix Racing. 2016年11月19日閲覧。



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