1936年・不振のシーズン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 00:31 UTC 版)
「ルドルフ・カラツィオラ」の記事における「1936年・不振のシーズン」の解説
「1936年のグランプリ・シーズン」も参照 前年、タイトルは獲得したものの、最大のライバルであるアウトウニオンの車両はV型16気筒のエンジンを搭載しており、メルセデスチームのW25は排気量では遅れを取っていた。そこでチームは従来の直列8気筒エンジンに代わるV型12気筒エンジンの開発を進めたが、結果的にこの計画は頓挫し、重いエンジンを積むために軽量化し、ホイールベースの短縮などの設計変更が施された車体のみが残されることになる。チームから「ショートカー」と呼ばれたこのW25は1936年に投入されたが、この年のチームに大きな不振をもたらすことになった。 選手権の第1戦で4月に開催されたモナコグランプリ(英語版)は雨のレースとなったためカラツィオラが車をトップでチェッカーまで運び、続く5月の非選手権のトリポリ(英語版)で4位、チュニス(フランス語版)で優勝、バルセロナ(フランス語版)で2位、と、一見するとまずまずの結果を残したが、この年の活躍はここまでだった。6月に開催されたアイフェルレンネン(フランス語版)からメルセデスチームは完全に競争力を失い、アウトウニオンに太刀打ちできなくなったことから、W25ショートカーに見切りをつけ、シーズン途中でその年の残りのレースに参戦することを取りやめた。 こうしてカラツィオラは失冠し、アウトウニオンの新鋭ベルント・ローゼマイヤーが新たなチャンピオンとなった。
※この「1936年・不振のシーズン」の解説は、「ルドルフ・カラツィオラ」の解説の一部です。
「1936年・不振のシーズン」を含む「ルドルフ・カラツィオラ」の記事については、「ルドルフ・カラツィオラ」の概要を参照ください。
- 1936年・不振のシーズンのページへのリンク