1931年のグランプリ・シーズンとは? わかりやすく解説

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1931年のグランプリ・シーズン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/05 13:14 UTC 版)

1931年のAIACRヨーロッパ選手権
ドライバーズチャンピオン
フェルディナンド・ミノイヤ
前年: 無し 翌年: 1932
1931年のグランプリシーズン
前年: 1930 翌年: 1932

1931年のグランプリ・シーズンAIACRヨーロッパ・ドライバーズ選手権のタイトルが懸けられた最初のグランプリ・シーズンである。選手権はアルファコルセのフェルディナンド・ミノイヤが制したが、ミノイヤがシーズン中グランプリに勝利することは無かった。現在のFIA世界耐久選手権と同様に選手権は耐久レースで構成され、3つのグランプリは全て10時間の耐久レースとして行われた。長時間のグランプリを走り抜くため多くのチームが複数のドライバーでレースを戦った。

シーズン概要

シーズン開幕前、前年にアルファロメオでチームメイトのタツィオ・ヌヴォラーリと激しく争い、イタリア選手権を制したアキーレ・ヴァルツィブガッティに加入した。イタリアを代表するドライバーだったヴァルツィがフランスのメーカーと契約したことはイタリア国内で大きな物議をかもした。[1] このシーズン、アルファロメオは最初のモノポスト(シングルシーター)レースカーとなるアルファロメオ・ティーポA英語版を投入した。一方のブガッティは長年活躍してきたタイプ35の後継として新型の2.3Lブガッティ・タイプ51英語版を投入した。 注目されたヌヴォラーリとヴァルツィの対決だったが、両者はマシントラブルに悩まされ、最初のヨーロッパ選手権を制したのは堅実な成績を残したアルファロメオのミノイヤだった。 7月のドイツグランプリは雨のレースとなり、多くのドライバーが苦戦する中メルセデスSSK英語版に乗るルドルフ・カラツィオラがこのグラン・エプルーヴを制し、世界恐慌の中で悲惨な経済状況に苦しむドイツ国民に明るいニュースを届けた。カラツィオラはこの年のアヴスレンネンとアイフェルレンネンも制し一躍レース界の注目を集めることとなった。

ヨーロッパ選手権グランプリ

1931年モナコグランプリの勝者はブガッティルイ・シロンだった。
Rd 開催日 レース サーキット 優勝者 コンストラクター レポート
1 5月24日 イタリアグランプリ モンツァ・サーキット ジュゼッペ・カンパーリ アルファロメオ 詳細
タツィオ・ヌヴォラーリ
2 6月21日 フランスグランプリ リナ・モンレリ英語版 ルイ・シロン ブガッティ 詳細
アキーレ・ヴァルツィ
3 7月12日 ベルギーグランプリ スパ・フランコルシャン ウィリアム・グローバー=ウィリアムズ ブガッティ 詳細
カベルト・コネッリ

非選手権グランプリ

黄色の背景はグラン・エプルーヴ

開催日 レース サーキット 優勝者 コンストラクター レポート
3月29日 チュニスグランプリ カルタゴ市街地コース アキーレ・ヴァルツィ ブガッティ 詳細
4月6日 サン=ラファエルグランプリ サン=ラファエル市街地コース フィリップ・エトンスラン ブガッティ 詳細
4月19日 モナコグランプリ モンテカルロ市街地コース ルイ・シロン ブガッティ 詳細
4月26日 コッパ・ピエトロ・ボルディーノ アレッサンドリア市街地コース アキーレ・ヴァルツィ ブガッティ 詳細
5月10日 タルガ・フローリオ グランデ・マドニエ タツィオ・ヌヴォラーリ アルファロメオ 詳細
5月10日 ピカルディグランプリ ペロンヌ市街地コース "イヴァネル" ブガッティ 詳細
5月17日 モロッコグランプリ アンファ市街地コース スタニスラス・チャイコフスキー ブガッティ 詳細
6月6日 アイルランドグランプリ フェニックス・パーク ノーマン・ブラック MG 詳細
6月7日 ジュネーヴグランプリ メイラン市街地コース マルセル・ルー ブガッティ 詳細
6月7日 ローマグランプリ リットリオ・サーキット アーネスト・マセラティ マセラティ 詳細
6月7日 リヴィウグランプリ リヴィウ市街地コース ハンス・シュトゥック メルセデス・ベンツ 詳細
6月7日 アイフェルレンネン ニュルブルクリンク ルドルフ・カラツィオラ メルセデス・ベンツ 詳細
7月5日 マルヌグランプリ ランス・グー マルセル・ルー ブガッティ 詳細
7月5日 ヴォクリューズグランプリ アヴィニョン市街地コース フレデリク・トセリ ブガッティ 詳細
7月19日 ドイツグランプリ ニュルブルクリンク ルドルフ・カラツィオラ メルセデス・ベンツ 詳細
7月26日 ディエップ グランプリ ディエップ市街地コース フィリップ・エトンスラン アルファロメオ 詳細
8月2日 コッパ・チアーノ英語版 モンテネーロ・サーキット タツィオ・ヌヴォラーリ アルファロメオ 詳細
8月2日 アヴスレンネン アヴス ルドルフ・カラツィオラ メルセデス・ベンツ 詳細
8月2日 ドーフィネグランプリ グルノーブル市街地コース フィリップ・エトンスラン アルファロメオ 詳細
8月16日 コマンジュグランプリ サン=ゴーダンス市街地コース フィリップ・エトンスラン アルファロメオ 詳細
8月16日 コッパ・アチェルボ英語版 ペスカーラ・サーキット ジュゼッペ・カンパーリ アルファロメオ 詳細
9月6日 モンツァグランプリ モンツァ・サーキット ルイジ・ファジオーリ マセラティ 詳細
9月13日 ラ・ボルグランプリ ラ・ボル市街地コース ウィリアム・グローバー=ウィリアムズ ブガッティ 詳細
9月27日 チェコスロヴァキアグランプリ ブルノ市街地コース ルイ・シロン ブガッティ 詳細
9月27日 ブリニョールグランプリ ブリニョール市街地コース ルネ・ドレフュス ブガッティ 詳細
10月17日 マウンテン・チャンピオンシップ ブルックランズ ヘンリー・バーキン マセラティ 詳細

1931年のドライバーズランキング

ミノイヤとカンパーリは同ポイントで選手権を終えたが、ミノイヤの合計走行距離がカンパーリを上回ったためミノイヤがチャンピオンとなる

順位 ドライバー ITA
FRA
BEL
Pts
1 フェルディナンド・ミノイヤ 2 6 3 9
2 ジュゼッペ・カンパーリ 1 2 Ret 9
3 バコーニン・ボルザッキーニ Ret 2 2 11
4 アルベール・ディーヴォ 3 7 Ret 12
= ギ・ブリア 3 7 Ret 12
= アキーレ・ヴァルツィ Ret 1 Ret 12
= ルイ・シロン Ret 1 Ret 12
8 タツィオ・ヌヴォラーリ Ret 11 2 13
9 ジャン=ピエール・ウィミーユ 4 Ret 7 14
= ジャン・グピア 4 Ret 7 14
= ウィリアム・グローバー=ウィリアムズ Ret 1 14
= カベルト・コネッリ Ret 1 14
13 [2] ボリス・イワノフスキ 5 Ret 5 15
= アンリ・ストフェル 5 Ret 5 15
= ジョヴァンニ・ミノッツィ 11 3 15
16 ヘンリー・バーキン 4 4 16
= ジャン・ペサト 10 6 16
= ピエール・フェリクス 10 6 16
= ブライアン・ルイス 12 4 16
20 ピエトロ・ゲルシ 8 8 17
= ロバート・セネカ 9 5 17
22 ゴッフレード・ゼンデル 6 Ret 18
23 クレメンテ・ビョンデッティ 3 19
= ルイジ・パレンティ 3 19
25 フランセスコ・ピローラ 6 20
= ジョヴァンニ・ルラーニ 6 20
= アマデオ・ルジェッリ 7 20
= レナート・バレストレーロ 7 20
= ジョージ・イーストン 4 20
= ルネ・ドレフュス 8 20
= ルネ・フェラン 9 20
= ルイ・リガル 9 20
= アール・ハウ 12 20
34 ウンベルト・クリンガー 8 21
= ロベルト・ディ・ヴェッキオ Ret 21
= ジェローラモ・フェラーリ Ret 21
= マルセル・ルー Ret Ret 21
= フィリップ・エトンスラン Ret Ret 21
= エミリオ・エミレンテ Ret 21
= エドモン・ブーリエ Ret 21
= ジョルジュ・ダルヌー Ret 21
= マックス・フォーニ Ret 21
= シャルル・モンティエ 8 21
=  ”ドゥコロンビエ” 8 21
= フランソワ・モンティエ Ret 21
46 エンツォ・グリマルディ Ret 22
=  ”ボーゲ” Ret 22
= ルイジ・ファジオーリ Ret 22
= アーネスト・マセラティ Ret 22
= ルドルフ・カラツィオラ Ret 22
= オットー・メルツ Ret 22
52 アルフレド・カニャート Ret 23
=  ”トルティーニ” Ret 23
= ウィリアム・スコット Ret 23
=  S. アームストロング-パイン Ret 23
= ジャック・ダンフィー Ret 23
順位 ドライバー ITA
FRA
BEL
Pts
結果 ポイント
金色 勝者 1
銀色 2位 2
銅色 3位 3
レースの75%以上を消化 4
レースの50%以上 75%未満を消化 5
レースの25%以上 50%未満を消化 6
レースの25%未満を消化 7
失格 8
参加せず 8

参考文献

Etzrodt, Hans. “Grand Prix Winners 1895–1949 : Part 2 (1919–1933)”. The Golden Era of Grand Prix Racing. 2007年6月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年8月4日閲覧。

Galpin, Darren. “1931 Grands Prix”. The GEL Motorsport Information Page. 2007年8月4日閲覧。

脚注

  1. ^ ノイバウア, アルフレッド 著、橋本茂春 訳『スピードこそ我が命』荒地出版社、1968年、30頁。 
  2. ^ イワノフスキはロシア国籍だが、ロシア革命のために亡命中だった



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